日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

課題「白紙となった新国立競技場」「安保法案」「普天間と辺野古」

2015-07-19 13:54:04 | 文化考

このブログのタイトルにした三つの課題を、考え続けてきた。
「新国立競技場」。
建築家を含めた僕の親しい女性連による保存活動の一端「シンポジウム」に出かけたりし、そこで著名建築家による対案などを見てきたが、其れが多くの人を惹きつける魅力的な提案だったら!と思ったりしたものだ。でもその対案を提案した建築家はJIA(日本建築家協会)に所属する主要な建築家、ザハの案の実施設計に関わる建築組織も、JIAの主要メンバーによってのチーム。僕たちJIAに所属する建築家は、この状況を一体どう考えるべきなのだろうか!
ところで、この巨大な費用のかかる課題、誰も責任者・仕切り役だと名乗り出ない!

さて最大の課題『安保法案』、議員構成を考えると小選挙区制の弊害とも言いたくなり、折を見て中選挙区制を再考するのはどうかとも言いたくなる。同時に今の政界、自民党に対峙する民主党議員の多数が自民党議員と共に`靖国神社´参拝を繰り返すのでは、何を言っても通じないと、一言言いたくもなる。

<普天間と辺野古とある新聞記者と評論家の論考>

6月7日に記載したブログ`長崎市公会堂´に眼を向けた稿で、「不都合な真実」と題した新潮新書を購入したことを記した。
興味深い事例が記載されていて一気に読み終えたが、「あとがき」に明快に記載された『沖縄批判ではなく、既得権益を守る公務員を中心とした沖縄の支配階級』を批判をした」という一節と、付け加えた「民族主義沖縄権力への批判」という一言に、沖縄にはそういう側面があるのか!と一瞬引き込まれた。
過去の経緯を捉えているので多くの人に一読して欲しいが、しかし同時に、様々な文献考察したとは言え、このような構成では沖縄の全容は捉えられないのではないか、ことに上記に付け加えた`民族主義沖縄権力`という言い方に、不信感、不快感を持つことにもなったものだ。
著作者大久保潤氏と篠原章氏お二人の論考の主点は、このあとがきに書かれた「公務員権益」と「琉球大学卒業生」の特権が絡んでの沖縄社会構成である。

僕が沖縄に出かけて触れあうウチナンチュは、無論琉球大学卒の建築家や教育者もいる。彼らはある種の特権を持っているのかもしれないが、その魅力的な人柄に触れると、そうとは言い切れず、またJAZZ MENなどそうではない人も沢山いて、僕は多くの人と何がしかの価値観の共有をしている。
貧富の格差はあるとしても、戦後70年、未だに接収された土地(米軍基地・・外国)のあることと、この地の風土・故郷を慈しんで生活している人の思い、そして世代が変わっていくこととは何かと僕は考え続けるのです。

<写真 沖縄に敬意を表し亀甲墓を掲載する。 中城按司として座喜味城や中城城をつくった護佐丸の墓。2005年11月撮影 本ブログ2005年12月11日の沖縄考を参照下さい>