夏休みに山陰に回ると言っていた娘からメールが来た。
「益田の『グラントワ』に行ってきたよ!」。
「石見美術館は休館で(併設されている)文化センター(ホール)も何もやっていなくて、写真をあちこち撮っていたらスコールが来た。ベンチに座ってボーっとしていたら、館の人がホールや舞台や楽屋にも案内してくれて面白かったよ。」
鳥取砂丘に行って「ラクダに乗るんだ!」といっていたが、通り道にいい美術館があるから寄ってみたら!と遠慮がちに進言したのだ。「中庭が浅い池になっていて子供たちが遊んでいるし、地元の石州瓦を屋根や外壁に使っていてなかなかよさそうだよ」。気になっているが僕は行く機会がない。
この建築を見ていなくて言うのも良くないが、高知県に建つ牧野富太郎記念館などと共に、建築家内藤廣の代表作の一つだと言われるようになる予感がする。これからの使われ方次第なのだが。
南米コロンビアのメデジン市の図書館とコンセプトが似ているが、現在の内藤廣の自然観と一体となった建築感が実現されている。
牧野富太郎記念館は時を経て樹木に埋もれて自然と建築が合体した稀有の例になったが、メデジン市の図書館とこのグラントワ、そしてこの7月に北海道に行ったときに立ち寄った、稼動はしているがまだ仮設の足場も架かっているし、ガラスも半透明のシールで覆われていて確認し難ったものの、この旭川駅舎(プラットホール)からも内藤の自然観が感じ取れる。
建築は市民のためにあるのだという内藤廣の一つの回答が、透明ガラスによって透ける建築をつくって自然と一体化させることと、グラントワやメデジン市図書館のように、そこに集う人々を回廊へ誘い戯れることの出来る水を囲むことである。
旭川駅舎の一階は少々無粋と感じたし、益田のホールを囲む壁が、コンクリートの塊なのがいいのかどうかは、行って見なくてはわからない。
石見空港に近く、山陽から中国山地を越えて山陰への拠点になる益田市は、7年前に三つの町が合併して住民51000人あまりの市となった。平安時代に今の県知事に当たる、石見(いわみ)国司を輩出したという歴史的なまちである。そこに建てた。
帰ってきた娘から、サントリーホールでのコンサートの招待券が当たったので一緒に行かない?とメールが着た。喜んで「行く、行く」と返信した。8月25日のサマーフェスティバル、若き山田和樹が指揮する東京都交響楽団による、ジュリアン・ユーと言う中国人作曲家の作品や、湯浅譲二そして田中聰(たなかさとし)の本邦初演や世界初演の作品のある現代音楽のコンサートである。
娘はいろいろなチケットを当てるのが結構上手いのだ。
ことにジュリアン・ユーの、自然の脅威に対峙するような、例えばショスタコビッチの第5シンフォニーのような刺激的な曲の熱気のこもった演奏を聴いて心が騒いだ後、新宿西口地階の、ライオンビヤホールに誘った。ここはビヤホールではあるが結構静かで料理も旨い。そこで娘の撮った「グラントワ」の写真を見た。
僕は、せっかく訪れたのに休館でボーと途方にくれている娘をホールに案内してくれた職員の志に感銘を受けていた。
そして娘が益田に行ってくれた事と、僕に見せるために建築の写真を沢山撮ったこと、更に、案内してくれた職員が、天候や時間によって空に溶け込んで青く光ったりくすんだ茶褐色に見える石州瓦の面白さを娘に伝えてくれて、それを面白がった娘にもグッときていた。
とりわけスコールの凄まじさ、樋をつくらずその水勢が中庭のプール(池)に流れ込む仕組みにも納得した。
この地は温暖で雪もさほど降らないといわれているが、陽を受けてきらめく石州瓦の外壁と豪雨の写真を見ると、日本海側の風土を思う。
昨年末シンポジウムのために行った米子で、女子学生たちが晴れているのに傘をバッグにぶら下げて歩いているのを見て、案内してくれた建築家が、ここは山陰、晴れていても「いつ雨が来るのかわからない」とにやりとしたことを思い出したものだ。
ところで「グラントワ」とは、`大きな屋根`というフランス語からとったのだという。