朝日新聞のコラム)1月20日(土)`折々のことば`(鷲田精一の稿:「天声人語」の左上欄に連載)に、盟友・小岩勉さんの写真集「女川海物語」の`あとがき`のなかの一節が取り上げられた。
『誰かがいつも側にいて、黙って、あるいはうなずきながら聴いているのだった』 。その一文である。
女川は周知の通り「原発(原子力発電所)」が設置され、1984年に稼動したまち。その27年後の2011年3月11日、`東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に見舞われた。仙台に在住している小岩さんは、地震の起きた19年前に此の著作を刊行している。僕との出会いは此の著作、写真に触発されたが、その`あとがき`に目を通し、僕の中の何かが触発されたのだ。
「3・11」という自然災害は僕に何をもたらしたのか!と改めて自問自答するが、2011年の翌年から毎年3・11の前後に女川を訪れてその`まち`の変容に目を向けている。と同時に仙台近郊の変化にも目を向けることにもなる。そして小岩さんや、東京女子大から東北大学に赴任した森一郎教授と、教授に紹介した小岩さんと共に女川を訪れた後、仙台に戻って軽く一杯やりながら四方山話(かなり深刻な、とは言え笑いを含んだ)を楽しんでいる。
さて今年も!例年の2月中旬の沖縄紀行の後、此のお二人と共にの女川行き、まだやり取りしていないがさて・・・・