日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

沖縄への思いの一端を!紙漉所跡

2017-10-01 17:14:51 | 沖縄考

 前稿で、斎場御嶽(セイファーウタキ)に触れたら、沖縄への思いが込み上げてきた。

 ここ数年、沖縄の建築家根路銘安史の想いがあって開催されている`聖クララ教会`でのコンサートを聴講する為に、2月に沖縄を訪れている。僕がこの教会を初めて訪ねたのは、15年前にもなる2002年。JIA(日本建築家協会)の大会が沖縄で行われた時だった。九州支部に所属していた沖縄が支部として独立、全国大会が沖縄で開催されたときだ。

 関東甲信越支部の理事を担っていた僕は、訪沖に際して一廻り若いクリスチャンの建築家に声をかけた。彼は大会には出なかったものの、沖縄の教会群を観たくて同行してくれた。ところが彼に引っ張っていかれたその僕自身が、此の`聖クララ教会`に魅せられる事になった。

そして出会った与那原の建築家根路銘が中心となって建築士会島尻支部での主要なイヴェントとして2月に聖クララ教会でコンサートを開催していることを知り、数年前から、僕の訪沖はそのスケジュールに併せることになる。

さて、斎場御嶽を始めて訪れたのは何時だったか!上記、JIAの大会の時、あるいはその後母校明大での一般公開された講座に臨み、その講義の中での沖縄の風水論考に魅せられたからだったか?終了後教壇に赴き渡邊教授に質問をしたのが発端、院生を対象とした渡邊欣雄(当時は東京都立大教授:社会人類学)教授の明大の院生を対象とした講座に数年間聴講、僕はJIAの建築家としてではなく、まあ言ってみれば、OBとしての聴講生としてではあったものの、講座の一環として一緒に企画調整、数年に渡って、渡邊教授や院生と共に沖縄紀行に参画する事になった。そして沖縄に嵌まる。

 ところで掲載する画像、琉球王国時代から昭和初期にかけての「紙漉所跡(カミスキジョアト)」である。1879年(明治12年)の琉球処分の後も、この一帯(那覇市首里儀保町4)では民間の手で紙漉が続けられた」とある。<文中 敬称略>