東北大学の森 一郎教授(哲学)が送って下さった「愉しい学問」と題したニーチェの著作を読み始めた。
まず何よりも森先生の送り状に魅せられる。こう終わる。・・・私としては、ぼそぼそと夢に描いてきた「世界への愛 amor mundi」の成就を目指そうと、懲りずに自分に言い聞かせています。まだ私は生きている。まだ私は考える。とぶつぶつ繰り返しながら。・・・
まだ私は生きている。まだ私は考える、と言うフレーズは、ニーチェの一言を汲み取ったものだが、ニーチェはこのあとこう続ける。「すなわち、私はまだ生きていかなねばならない。なぜなら私はまだ考えなければならないから。」そしてそうだった、とどこかで聞いたか読んだのかさやかではないが「我在り、故に我思う、すなわち、我思う、故に我在り」は心に留まっている。
朝のロマンスカーに揺られながら55ページまで細々と読み砕いてきたが、こんな僕のコトバをアトランダムにメモした。
深淵 諧謔、洞察、僭越、多様、微笑、失笑、悦楽、トドノツマリ、懐疑、目配せ、羞恥 示唆
それはともかく、この著作の第一部、第二部は1883年に起稿、第3部が翌年と続けた。なんと130数年前のことになる。それが現在(いま)に生きる森教授や、門外漢の僕にさえも身近な課題として問題提起されて、己の來し越し方に瞑目することになるのだ。
それにしても分厚い507ページ。さてどうなることか!と思いながらも実は、この著作を胸に抱いて、岩波新書の湯浅学著「ボブ・ディラン ロック精霊」をあっという間に読み飛ばしてしまった。
<愉しい学問のカバー写真は、仙台の写真家、盟友でもある`小岩 勉`さんの写真です>。