日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

新春の一齣:建築家・槇文彦の一文から!

2017-01-09 13:36:31 | 建築・風景
自宅のテーブルの上に、「モダニズムの建築と素材について」(第23回タジマ建築セミナー参考資料)と表記した建築家槇文彦さんの小冊子(10ページ)が置いてある。1999年8月26日経団連会館での講演会の資料で、「記憶の形象・都市と建築との間で」と題した槇さんの著書(1999年9月10第1刷発行・ちくま学芸文庫刊)の上巻からの抜き刷りである。
年末の大掃除をした自宅の書棚から見つけ、年の初めに、僕自身の`ある種の原点`のようなものを再考してみようかと思って取り出して大晦日に置いたのだ。

この槇さんの2冊による著作(文庫本)が17年前にもなるのか!と感慨を覚えるのは、僕が進行役を担って槇さんにお話戴いた1999年2月19日に行ったDOCOMOMO Japanのセミナーで、後半の僕とのやり取りの冒頭で、この文庫版による著書に触れて「愛読しています」と一言述べたら、槇さんがことのほか喜んで下さったことだ。

DOCOMOMO Japanは2000年のブラジリアの大会で加盟承認を得たが、その前年に本部からの要請があり、代表を担うことになる鈴木博之東大教授(当時)や、初代事務局長となる藤岡洋保東京工業大学教授と相談をしてメンバー構成をし、僕がまとめ役となる幹事長となってDOCOMOMO Japanを創設して、20選を選定した。

さらに選定したのだからと、鎌倉の近代美術館の太田泰人学芸員(当時)と打ち合わせをして、新館の展示を具体化し、さらに創設に尽力して下さった林昌二さんに呼ばれて日建設計に赴いたところ、大手5社の役員のお一人が鎮座されていての資金調達の相談だった。
何はともあれ大手5社+1社からの資金援助を受けることが出来て、更に僕自身、建築家としての仕事に真摯に取り組んでいて、あるゼネコンから多額の寄付を受けて、ブラジリアでの大会の前に鎌倉近美新館で20選展までやってしまったことと、更にその前に、前述した槇さんの講演会を開催したことなどと共に、妙に懐かしく思い出している。

そこには亡くなられた初代代表を担った鈴木博之さんや、上記20選展でキュレーターを担い後に鈴木さんの後継者として、代表を担うことになった松隈洋京都工芸繊維大学教授(現)の姿がある。

晴天に恵まれた新春のささやかな一齣だが、槇さんのこの講演会の冊子の冒頭に書かれた、下記短い一文・メッセージに惹き付けられた。<共感し、抜き書きを下記に記す>

『・・・すぐれた建築作品にいえることは、それらの作品がつくられた時代に生きた建築家、あるいは建築家以外の人々が、無意識の上で潜在的に表現したいと思っていながら顕在化し得なかった「何者」かを一撃のもとに露にする行為にほかならない。・・・そして建築の創造が発明でなく、発見である・・・と続け・・・建築が・・想像をこえたものを追求することではなく、時代が共有する想像、あるいは幻想にこたえる文化的行為であるからである』と閉める。

<写真2009年2月19日 DOCOMOMOセミナーにて>