日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

沖縄の人々と共に

2016-07-24 13:28:29 | 建築・風景
22日の夜、何気なくTVのチャンネルを回していたら、沖縄の`やんばる`と言われる東村(ひがしそん)の山原の様相が映し出された。
山原(やんばる)は、山や自然の樹林などが残っていることを言うこの地の言葉である。
ヘリパットと呼称される(軍用の)ヘリコプター着陸帯の早朝からの移設工事の開始に際して、地元住民が中心となって車を並べて座り込み、其れを機動隊が500人を投入し、地元の警官が車を移動させ、住民を引っ張り出す様相が映し出された。またか!と`ことば`もでなかった。

僕が気になったのは、その後TVでも、僕の愛読紙「朝日新聞」でも、NHKをはじめとするTVでも、何の報道もなされないことだ。ふと、報道管制がなされたのか?と思ったものだ。

ところで僕の中に同時に浮かび上がったのは、辺野古の基地化に反発している翁長知事のコメントがないこと、その知事が、那覇市長の時、これからの沖縄を率いていく若き世代の、少年・少女のために建てた建築「沖縄少年会館」(設計宮里栄一)を取り壊して駐車場にし、早世したとは言え戦後の沖縄の建築界を率いてきた建築家金城俊光と金城信吉が沖縄の人々のためにと設計した「那覇市民会館」の解体を表明していることだ。二律背反である。

そして改めて思う。沖縄の建築は、沖縄の人のためだけに建てるのではない。日本の、世界の、人々の生きていくことに共感し、生きることを支えるために建てられたのだと敢えて書き記しておきたい。

<追記を!>
2009年に訪れたときに記載した「ヘリパット」のある東村のことを記載した僕のこのブログの一部を記載しておきたい。院生時代この東村に滞在して民俗学の視点から調査を行った渡邊欣雄博士の率いた母校明大の院生達と共に、数年間に渡った沖縄文化検索の旅に同行したときのものだ。
さて、ゴルファー宮里藍の里「東村」の現在の様相を見てみたくなった。

『東村では「気」の道を見、ハーリーの保管庫を見、門中墓と村共同体墓の格好の事例を見た。そしてここでも基地の影とも言っていい防衛施設庁助成による様々な施設、例えば護岸と道路の整備や博物館の設置、そして渡邊教授が愕然とした巨大な村役場の新設。僕が驚いたのは名護から更に奥に入るこの地域をやはり観光地として位置づけしようとしていることだった。役場にも小さな博物館にも観光案内のリーフレットやチラシが置いてある』

《追記》
やんばるのヘリパットの件ですが、Tosiさんからのコメントに在りますように、東京新聞に大きく、また沖縄の`琉球新報`などの地元紙にも詳細な状況報告がなされていました。その数日後朝日新聞では短い報告ですが、問題の視点を変えた政府のコメントなどがなされたことを追記しておきます。