東北へ向かう前日、伊勢原の東海大学病院で、前立腺癌摘出手術後の定期検査を受けてから新宿の事務所に行った。山梨県で工事をしている仕事の、現地で打ち合わせをしてきた宮川君から、翌週行う検査機関とクライアントによる竣工検査の日程、現場確認などをするためだ。
そしてまた、右手人差し指のばね指(指の腱鞘炎)の具合がよくなく、2月24日に腱鞘切開手術、3月11日に抜糸をしたが、その余波のような痛みを伴っての今年の東北巡りになった。2年前に写真家小岩勉さんの車で案内してもらい、女川、石巻、気仙沼の3・11、2年後の被災地の様相をただ受け留めてきた。
今年は、東京女子大を退任して東北大学に赴任された哲学者森一郎教授をお誘いして小岩さんに紹介、何が出来るということでもないが、気に掛かる被災から4年後の女川と石巻のまちの姿を、今年も小岩さんに車で案内戴き、確認したいと思ってのことだ。
小岩さんは「女川海ものがたり」という23年前になる女川の人々の生活を捉えた著作を著した写真家である。その著作の帯には、「人」のまち、「漁師」のまち、そして「原発」のあるまち、その「日常」、その「素顔」と記されている。もう一つの箱に入れたその装丁に魅せられる、小岩写真ノート「野守の鏡」(nomorinokagami)は三冊のハードカバー、モノクロによる写真集、その3冊には「茫漠な時間」「植物と人間」「寡黙な関係」と名打たれている。
森教授の、3・11以降の哲学の可能性と副題のある「死を越えるもの」(東京大学出版会)は、必ずしも読み取れ得ないことを自認するが、何かを感じ取るとページをめくる僕の座右の書。実は「あとがきー原子力時代の子どもたちー」に登場するピンク・フロイドの「原始心母」論考にも惹かれたのだ。車中で昨年末に発売されたピンク・フロイドの最終章と言われるアルバム(CD)「永遠」について話が弾んだ。森教授は無論、小岩さんも黙ってはいられなくなる。
そして小岩さんは、女川の仮設住宅に住む知人からの要請があって´女川海ものがたり´の新しくプリントした写真を届けた。知人は写真展示をするようだ。
女川の漁港、そして急遽作られた船の着く桟橋を見、トラックが行き交っていて小山になっていく土盛りの台地と、何故か温泉を併設した新設なった女川駅、その釈然としない形状に言葉が出なくなる。
土手構築作業は淡々と進んでいるようだが、草原になっている石巻の被災地を車を留めて歩く。そして仙台に戻って僕の泊まるホテルに近い飲み屋で酒を酌み交わしながらの話は尽きなかった。
そして、翌日から山形、郡山と巡ってその地を率いる建築家のつくった建築を拝見してその軌跡をお聞きした。
<写真 女川港を望む>