日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

4000本安打

2013-08-24 18:34:30 | 日々・音楽・BOOK
イチローが4000本安打を打ってから3日を経た土曜日の今朝、ヤンキースのレイズとの試合を観る。黒田が投げて負けたが、イチローの打席のときに時折4000本安打達成時の映像が挟み込まれるものの、イチローが打席に立っても観衆からの何の反応も伝わってこなかった。米紙ではささやかな報道しかなされたかったとも聞く。でも総立ちになったヤンキースタジアムの観衆や累乗に駆け寄った選手たちの姿に、野球が好きでその場に立ち会った人たちの率直な気持ちが伝わってきて嬉しいものだった。今日の試合はレイズの本拠地のせいかもしれないが、ヒットが出なかったこともあり、4000本安打が通過点であるのも確かなことなのかもしれない。

その3日前の21日の朝、いつものようにTVのチャンネルを回す。
ヤンキースタジアムでのブルージェイス戦での第一打席の左翼へのクリーンヒットをリアルタイムで見て、いつものように、いつもの時間に本厚木からブルーのロマンスカーMSEに乗る。まだ夏休みの余波で賑やかな子供連れの家族の多い車中で、過ぎていく窓の外の風景をぼんやりと見ながら、人の可能性の無限のようなものを考えていた。

ピート・ローズは「4千本安打を認めない」と述べ、大リーガーのプライドを評したが、その論旨の中に、大リーガーは年間の試合数や時差や移動距離が違ってハード、同列には論じられないとある。しかし、言葉の違いや異なる風土、生活習慣の違う中でのプロとしての施業に僕は瞑目する。そしてプロとしてのとてつもない努力を思う。

イチローはリベラやジータと同じフィールドにいること自体が喜びだと言う。野球少年だ。でも時を経れば、それはベーブルースや、ゲーリック、或いはヨギ・ベラというキャッチャーと同じ舞台に立っていたということと同じことになるのかもしれない。そしてまたいずれ異国から来た偉人と同じ舞台で戦ったのだと多くの球人からイチローも言われることになるのだろう。