日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

桜花 金子兜太と遠藤周作を想いながら

2010-05-21 16:47:09 | 添景・点々
5月なのに「初夏の候」とか`夏日`、更に今朝のテレビの天気予報では`熱中症`に気をつけるようにと云われたりするようになった。
三寒四温という言葉は冬季に使われるようだが、今年はそんな優雅な言葉が思いつかないほどの気温の変動が激しかった。体調は持ちこたえたもののここに来て喉をやられ、もう一週間になるのに声が出ない。電話先の知人が僕の声を聞き、一瞬息を飲む様が感じ取れ憂鬱だ。
初夏かあ!と思いながら欅並木を見ると、新緑の様はとっくに消え失せてタフな濃緑に覆われている。マンションの庭に立っている八重桜にも花の面影がない。いつの間に!とふと思った。心の隅に奇妙にとどまっている桜花があるからだ。

小田急線座間駅のプラットホーム沿いに、太い幹の桜の樹が並木のように連なって立っている。この見事な桜花が満開になると薄気味悪くなる。薄白くて僕が感じるのは「陰惨」という文字なのだ。今年もそうだった。吉野桜はピンク色で華やかだが、大島桜は白色なのだという。とするとこの桜は大島なのだろうか。

NHKテレビで俳句の番組を見ていたら、俳人金子兜太が桜を詠んだ句の講評で辛辣な一言を述べた。詠んだ女性はそれでも金子兜太が真剣に受け止めてくれたとニコニコとしていたが、兜太(とうた)は、私は「桜が嫌いなのだ」とつぶやき、しまったと思ったのか「立派な花だとは思いますけどね」とあわてて付け加えた。
場の空気は兜太らしいと一瞬精気に満ちたような気がした。兜太は桜に死の影を見ているのに違いない。
其の夜、奇しくも深夜番組で金子兜太の特集番組を見た。海軍主計中尉として壊滅したトラック島で参戦し、捕虜を体験した俳人の一面を知った。
朝日の紙面でも講評を受け持つが、ぶっきらぼうにも読める其の一言は味わいが深い。90歳を超えても闘う俳人として存在する俳人の胸の底には、散ってから葉を出す桜の叫びが宿っているに違いない。

遠藤周作夫人に「代々木公園の桜吹雪」というエッセイがある。
二人で代々木公園を散策して、左右に分かれるとき、周作が右側の小径を辿りだしたとき、一段と桜吹雪が激しくなり、見送っている夫人の前で周作の姿はすっぽりと桜の膜の中に消えていった。「主人が死んじゃうとは、つまりこういうことなのだ」という思いに涙がとどまらなかったとある。
夕暮れになって帰宅してからも其の悲しみを一人で持ちこたえることが出来ず、主人に其の話をしてしまったと書かれている。周作はじっと聞いていたが、やがて「一茶の句に ━死に支度いたせいたせと桜かな━ という句があるんだ。辞世に詠んだ句の一つだ」とつぶやくように述べたという。

桜は好きではないが「嫌いでもない」。でも座間の桜の薄気味悪さ、
古希になり、夏日になってから僕はこんなことを考えている。

<「代々木公園の桜吹雪」04年版ベストエッセイ集(文春文庫)より>