日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

祝福! 札幌建築デザイン専門学校3年制卒業の諸君へ・そしてWBC

2009-03-25 18:43:48 | 建築・風景

原監督のお前さんたちは強い侍になった、という一言が生まれ、無心になんてなれない、考えに考えたが、出たので(ヒットが)一つの壁を越えたとあのイチローが述べたWBC。
僕は工事をやっている工場増築工事の鉄骨原寸検査に行く途中の列車の中で、同行した所員と携帯電話テレビを見ながら興奮していた。座席に座っている乗客の大半が携帯電話に見入っている。こういう時代になったのだと驚きながらも、やはり嬉しさがこみ上げてくる。日本人だから。

彼らはプロだ。それも時代をつくり出す秀でた若者集団だが、彼らを生み出した大勢の野球を愛する人々の時を刻んできた歴史があってのことだ。
君たちがいて建築界がある。飛躍しているとは思わない。仕事というのはそういうものだと僕は考えている。厳しいが、だから喜びもあるのだ。勝ち負けはともかく。

僕は今、札幌建築デザイン専門学校の諸澤先生が送ってくれた「2008年度3年制卒業設計作品集」をめくりながら先程のWBCを思いだしてこの一文を書き始めている。同時にふと僕が若かりし時の学校を卒業し社会にでた時はどうだったのかと目を閉じて考え込んだりしている。
最終ページに2年次と3年次の設計課題講評時の、記念写真が掲載されている。
学生諸君が僕を囲んでいて、Vサインをしている女子学生がいたりして、やはりなんとなく面映い。若いということはいいものだと感慨も覚えるが、いつまでも若いはずの我が姿を見て、まいったなあと思ったりもしているのだ。本当だよ!

ここ数年秋になると北海道を訪れるのが楽しみになった。
釧路や旭川、稚内、それに小樽などを諸澤さんに案内してもらって建築を視るのも嬉しいが、何より若き君達との交流が楽しい。
2年次には札幌市内の街角を設定した設計課題の講評、3年次はDOCOMOMO選定建築を学生が選び、これからの時代に存続・継承する提案をするというユニークな設計課題である。

この課題設定が僕と諸澤さんとの交友の成果といってもいいかもしれない。そしてこの設定を受け入れるこの学校の懐の深さに驚いたりしている。本来なら指導の先生と共に共同講評というのが普通の仕組みだと思うのだが、僕の講評時間設定がほぼ半日にもなったし、いつの間にか僕一人で講評することにもなった。
時間をもらえると学生の作品の出来だけでなく、今の社会の様相や場所をどう捉えるか、3年次の課題ではこの建築を設計した著名建築家の問題意識について学生とやり取りができるとことになった。

若い校長先生が教室の隅にいて、僕と学生とのやり取りを興味深く聞いていたりする。ということで僕は、2年次の学生が1年経って建築への理解が深まり、CGなどを使った作品発表が見事に飛躍していて驚かされたりしている。同時に完成度の高いDOCOMOMO選定建築にトライさせられる学生の苦悩も感じ取れる。おいこれで大丈夫かと心配になったりもする、まとめきれない作品もあるが、それでもその学生独自の問題意識と感性に心が打たれたりするのだ。
どの作品を見ても、歳とった僕でも学ぶものがある。

手元に広げた君たちの作品集を見ながら感じていることがある。
学生は、若いといっても結構現実的だ。若いから現実的だとも言え、それは決して悪い事ではないが、講評時にしつこく述べたように、働くことは辛く厳しいので「癒される」空間や仕組みを考えることが大切だ、という問題意識には僕は組しないということだ。
僕は「癒される」と言う言葉自体が嫌いなのだ。癒される空間を(建築を)つくるのではなく、働く喜びや人が生きていく上で大切な`ものをつくる`感性を生み出す建築にトライして欲しいのだ。

その萌芽はある。今年は票が入らなかったそうだが、「せんだいメイディアテーク」で行われた卒業設計日本一決定戦にトライした、国京君の「活気と日常の狭間―グラデーション状の集合体」は建ててみたい建築だし、小田嶌君の「Activity~意識の中で」など、卒業設計としてこれでいいのかと思わせられるが、詩情があって心が魅かれる。きっと君はこの心根をいつまでも持ち続けるだろう。

設計の課題でもそうだが、卒業して世に出た社会や仕事場を君達はどう感じているのだろうか。厳しいがそれを新しい課題にトライする機会を得たと考えるのがいいとまで僕はいえないが、僕の若き日、そんなことまで考える余裕もなかった。よく生き延びてきたと思うことも多々ある。
でも貧しくてもテニスにトライしたり、高価な建築の本(例えばフランス語で書かれた読めもしないコルビュジエ全集など)を手に入れたり、写真にのめりこんだりするものだから、廻りからは余裕綽々と見られたりしたようだ。僕の現実を聞いたらきっと驚く。
そんな僕が君たちの前で話をすることになった。本当にいいのかと僕自身が驚いている。
設計課題を講評しながらそんなことを考えていたのだ。

一言付け加えておきたいのは、学生時代に培った友情の素晴らしさだ。何故か3年間同じ教室で同じことを学んだ。奇蹟みたいなものだ。頼りにしても良いと僕は断言できる。これは僕の経験則だ。そして恩師はさりげなくそういう君たちの行く末をいつまでも見ているだろう。

そのようなことが僕の諸君(ちょっとえらそうないい方だが)へのはなむけの言葉です。
いずれ極めて「直」な、諸澤先生を囲む会をやりましょうよ! <090325>