光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

私って、だれ。アジサイのガクの赤い色と葉脈、花が残ったままの鈍い色

2015-09-07 14:08:47 | 植物・花(秋)
  いまのお天気の印象は、意外といいというもの。


  雨はもちろん降っているが、また風も吹いているが、わずかに明るさが出てきている。

  ただ、着ているものは、掃除のときとかは脱ぐが、朝とほぼ同じ、上3枚、下2枚である。

  靴下もなぜか履いている、これは自分でもよくわからない。


  私、ほとんど、私は男なので、「オレ」、と言っている気持ちだが、書くときは私。わたしんちが、はずれたかなと

  思った。そうゆう言いかたもあるだろうし、頭の中で考えるときは、それはけっこうあるかも知れない。これも

  わたしをオレに変換している場合がある。でもあたしんちが、やはりいいかな。「わし」は、ここでは女性の方も

  普通に使っているようである。わしとこはという風になるかな。私の祖母も、わしという言葉を使っていたような

  記憶があるが、間違っているかも知れない。

  
  私はだれ、という疑問は、ついにそこまで老いぼれたかという意味もあるようだが、そう言いたくなるような状況は

  昨今多いのではないか。私の判断で、私のことは決める、私のこの先のこと。大仰にいうと、この年齢になっても

  悩ましいことは多いわけで、決断も必要だし、切り開いてゆく、そうゆう厳しい言葉も頭の中で飛び交う。

  いまでも運命を決めるのはけっきょく私自身だ。これは自分自身への励ましでもある。これは予定にないことを

  書いている。


  この辺で、と言っても、あまり意味はないが、ここに転がり込んできて時間がたっているし、祖父母の葬儀のときには

  何やかや、ここでもやらないといけないときもあった。しかしこれは古すぎる話だ。

  TVで、会社の人を見ていると、あるいはこの辺りでもたまに、営業活動されている人はいて、首に綺麗なリボンの

  ような紐にビニルケースをぶら下げている。子供のときだと、小学生からか、名札は付けた。中学校でもそうで、

  要するに、名前を明示した洋服を着ている。高校はどうかな。学生となると、それはない。持つものは持っているが。

  教師も同じで、ほぼ学生と同じ格好である。  


  いまどきのオトナだと、会社に勤めている人は、あるいはお役人も、みなこの何かを首にぶら下げているのが普通に

  なる。でも道で見かけることはほぼない。おばあさんがそれをやっているのも見かけない。身分証明書みたいな

  ものか。もう珍しくはない。でも、大きな字ではないので、TVでも情報はわからないし、営業の方も、それを

  手に持つが、はっきりとは見せない。本物かな、いつも思う。


  何も持たないで普通は外にも出る。鞄にお金、はあるが。知っている人は、アンちゃんとなる。どこゆくがけ。

  でも、限られているな。何人くらいいるか。酒屋さんと、郵便局は、もう間違われることはない。葬儀がある。

  私の父が亡くなったのは、もう7年前だが、この辺りでも、ある程度は間は空いたが、亡くなる人が多かった

  ときである。こちらとしては、香典などもってゆくときもある。母がいつまで、こうゆうことをしていたか。


  で、道歩いていて、突然、この前はご丁寧になどいわれる。私は、顔を存じ上げないが、お店の名前から、あー

  あの方かということになり、黙礼はする。何かいったときもあったか。あれ、私のこと知っているのね、という

  ちょっとした驚き。何かあったとき、これはだれだというのがわかる人は、少しはいるようだが、ほかだと

  ほとんど異国の人か。異邦人。でも、営業の格好していないし、普段着だし、この辺の人間だ、というのは

  わかる。歩くというのは、車降りてのときもあるが。

  私は、戸籍にも名はある。住民票も出る。健康保険証も持てば、通帳出せばお金はおろせる。たぶん北陸銀行でも。

  でも私はたぶん、この銀行の行員さんをもうだれも知らない。


  身分証明、あるいは身分証明書の話で、日常の生活で、身分を問われることはまずはない。例外的だと、市役所の

  支所で父が亡くなったあと、戸籍関係、その他けっこうお高い、謄本とか証明書を取った。このとき、自分の印鑑証明を

  初めて作った。年金手帳も見せてくれといわれた。これは運転免許証を持ってないからだ。

  
  国民総背番号制の件について、地元紙に、みな知らないだろう、てな感じでありがたい記事が載っている。

  私も知らなかった。父に続いて、母も認知症になった。父の最後の1年の年、この母の異変に気が付いていたのは

  もちろん私だけだが。列島の社会、生きてゆくうえにおけるルールの異変に、気が付いてなかった。

  このナンバー付きのカード、送られて来るそうだ。身分証明書にもなるとか。おせっかいな話だな。本質は抜きで

  これに役立ちますよ、という断片情報は、いらないのである。

  長くなった。


  土曜日、母方の叔母が来られた。もちろん、息子さんと一緒に。従弟とは彼が中学くらいから、時々会っている。

  私のいえにも来たことがある。

  すぐに帰ったが、叔母の忘れ物に気が付くまで、1分かからなかった。これで2回目で、叔母が気が付くまで、40分は

  かかった。つまりその時間、電話かあるいは直で来るか、いずれにしろ、待っていないといけなかった。

  叔母が、「私はだーれ」というときはまだ来ないと思うが。私のほうが早いか?。



  ガクアジサイのガクの赤。



  その一。




  その二。ガクの裏の赤味。撮りにくい。




  その三。




  その四。




  その五。くどいけど。ガクもスカスカで、葉脈だけが残っているものも多い。葉脈、この言葉が脳から
  出た。





  その六。斜塔。




  その七。普通のアジサイ。しっかりもの。




  その八。この木の葉が、よくはわからない。花がはっきりとしない。




  その九。




  その十。


  なんか、ずれたというか呆けたこと書いた。

  もう一昨日の夜になるか、単一の乾電池4個入っている、懐中電灯を、手で触って落とした。

  床に小さいがクレータが出来た。足の甲に落ちなくて、よかった。



あのやけに暑かった夏を完全に忘れさせる、気温の低さと雨風だが

2015-09-07 07:14:16 | 植物・花(秋)
  黒いニット地の頭からかぶるものを着た。上は3枚。


  この洋服の画像は、小さいクワガタの画像を撮ったときに、腕の先だけだが一緒に出ている。

  これがいつごろか思い出せない。


  きのうの午後も、雨風で、お天気回復の気配はなかった。わずかに雨が弱くなったが。

  雨風で、雨は斜めに降ってほぼあらゆる方向から、風の方向と関係なく、窓をたたく感じである。

  雨がいえの中まで入ることに気が付かないこともあるので、窓をみな閉めたつもりだが、わずかに開いている

  ところあって、低めのゴーという音。隙間風ではこんな音はしない。が、たまに聞くのもいいような気になる。


  気温が低い。夜中から早朝、特にこの時間、代謝も落ちているので、体温も下がっている。このところ間違いなく

  その時間タオルケットの上に毛布をかけているが、きのうの夜は、眠るときから2枚だった。

  空を見て、真っ暗で、でも竹が南西の方向に大きくしなるのがわかった。これもしかし、長続きはしない。


  大陸の高気圧、今ごろの気温はどの程度なのか、地面での気温だけど。

  列島の国の南の太平洋の海水の温度、深いところは簡単にわからないだろうが、表面でもいいが

  どのくらいなのだろうか。互いに高気圧ががんばっていて、列島の国に前線が発達する。


  エルニーニョが発生すると、冷夏になる、これはよく言われた。いまはどうなのか。

  書きながら何か調べるとやっぱり白けてくる、これは独り言。

  心理面でいうと、ただただ鬱陶しい、陰鬱感が大きくなる。北陸では、これは普通は真冬に感じることだが。


  ただ、いまは厚着しているし、涼しさもないし、雨も上がっているし、風も穏やかで、先ほど玄関から出たら

  風は生暖かいような気もする。


  でも朝、起きた時点で、妖しげな温度計は、20℃辺りをうろうろとさしていた。

  この残暑の季節で出る値ではない。













  草刈って、残ったものを撮る。撮っている場所に、もう少し伸びた草が、根性で出る。


  7時10分になっている。