いまのお天気の印象は、意外といいというもの。
雨はもちろん降っているが、また風も吹いているが、わずかに明るさが出てきている。
ただ、着ているものは、掃除のときとかは脱ぐが、朝とほぼ同じ、上3枚、下2枚である。
靴下もなぜか履いている、これは自分でもよくわからない。
私、ほとんど、私は男なので、「オレ」、と言っている気持ちだが、書くときは私。わたしんちが、はずれたかなと
思った。そうゆう言いかたもあるだろうし、頭の中で考えるときは、それはけっこうあるかも知れない。これも
わたしをオレに変換している場合がある。でもあたしんちが、やはりいいかな。「わし」は、ここでは女性の方も
普通に使っているようである。わしとこはという風になるかな。私の祖母も、わしという言葉を使っていたような
記憶があるが、間違っているかも知れない。
私はだれ、という疑問は、ついにそこまで老いぼれたかという意味もあるようだが、そう言いたくなるような状況は
昨今多いのではないか。私の判断で、私のことは決める、私のこの先のこと。大仰にいうと、この年齢になっても
悩ましいことは多いわけで、決断も必要だし、切り開いてゆく、そうゆう厳しい言葉も頭の中で飛び交う。
いまでも運命を決めるのはけっきょく私自身だ。これは自分自身への励ましでもある。これは予定にないことを
書いている。
この辺で、と言っても、あまり意味はないが、ここに転がり込んできて時間がたっているし、祖父母の葬儀のときには
何やかや、ここでもやらないといけないときもあった。しかしこれは古すぎる話だ。
TVで、会社の人を見ていると、あるいはこの辺りでもたまに、営業活動されている人はいて、首に綺麗なリボンの
ような紐にビニルケースをぶら下げている。子供のときだと、小学生からか、名札は付けた。中学校でもそうで、
要するに、名前を明示した洋服を着ている。高校はどうかな。学生となると、それはない。持つものは持っているが。
教師も同じで、ほぼ学生と同じ格好である。
いまどきのオトナだと、会社に勤めている人は、あるいはお役人も、みなこの何かを首にぶら下げているのが普通に
なる。でも道で見かけることはほぼない。おばあさんがそれをやっているのも見かけない。身分証明書みたいな
ものか。もう珍しくはない。でも、大きな字ではないので、TVでも情報はわからないし、営業の方も、それを
手に持つが、はっきりとは見せない。本物かな、いつも思う。
何も持たないで普通は外にも出る。鞄にお金、はあるが。知っている人は、アンちゃんとなる。どこゆくがけ。
でも、限られているな。何人くらいいるか。酒屋さんと、郵便局は、もう間違われることはない。葬儀がある。
私の父が亡くなったのは、もう7年前だが、この辺りでも、ある程度は間は空いたが、亡くなる人が多かった
ときである。こちらとしては、香典などもってゆくときもある。母がいつまで、こうゆうことをしていたか。
で、道歩いていて、突然、この前はご丁寧になどいわれる。私は、顔を存じ上げないが、お店の名前から、あー
あの方かということになり、黙礼はする。何かいったときもあったか。あれ、私のこと知っているのね、という
ちょっとした驚き。何かあったとき、これはだれだというのがわかる人は、少しはいるようだが、ほかだと
ほとんど異国の人か。異邦人。でも、営業の格好していないし、普段着だし、この辺の人間だ、というのは
わかる。歩くというのは、車降りてのときもあるが。
私は、戸籍にも名はある。住民票も出る。健康保険証も持てば、通帳出せばお金はおろせる。たぶん北陸銀行でも。
でも私はたぶん、この銀行の行員さんをもうだれも知らない。
身分証明、あるいは身分証明書の話で、日常の生活で、身分を問われることはまずはない。例外的だと、市役所の
支所で父が亡くなったあと、戸籍関係、その他けっこうお高い、謄本とか証明書を取った。このとき、自分の印鑑証明を
初めて作った。年金手帳も見せてくれといわれた。これは運転免許証を持ってないからだ。
国民総背番号制の件について、地元紙に、みな知らないだろう、てな感じでありがたい記事が載っている。
私も知らなかった。父に続いて、母も認知症になった。父の最後の1年の年、この母の異変に気が付いていたのは
もちろん私だけだが。列島の社会、生きてゆくうえにおけるルールの異変に、気が付いてなかった。
このナンバー付きのカード、送られて来るそうだ。身分証明書にもなるとか。おせっかいな話だな。本質は抜きで
これに役立ちますよ、という断片情報は、いらないのである。
長くなった。
土曜日、母方の叔母が来られた。もちろん、息子さんと一緒に。従弟とは彼が中学くらいから、時々会っている。
私のいえにも来たことがある。
すぐに帰ったが、叔母の忘れ物に気が付くまで、1分かからなかった。これで2回目で、叔母が気が付くまで、40分は
かかった。つまりその時間、電話かあるいは直で来るか、いずれにしろ、待っていないといけなかった。
叔母が、「私はだーれ」というときはまだ来ないと思うが。私のほうが早いか?。
ガクアジサイのガクの赤。
その一。
その二。ガクの裏の赤味。撮りにくい。
その三。
その四。
その五。くどいけど。ガクもスカスカで、葉脈だけが残っているものも多い。葉脈、この言葉が脳から
出た。
その六。斜塔。
その七。普通のアジサイ。しっかりもの。
その八。この木の葉が、よくはわからない。花がはっきりとしない。
その九。
その十。
なんか、ずれたというか呆けたこと書いた。
もう一昨日の夜になるか、単一の乾電池4個入っている、懐中電灯を、手で触って落とした。
床に小さいがクレータが出来た。足の甲に落ちなくて、よかった。
雨はもちろん降っているが、また風も吹いているが、わずかに明るさが出てきている。
ただ、着ているものは、掃除のときとかは脱ぐが、朝とほぼ同じ、上3枚、下2枚である。
靴下もなぜか履いている、これは自分でもよくわからない。
私、ほとんど、私は男なので、「オレ」、と言っている気持ちだが、書くときは私。わたしんちが、はずれたかなと
思った。そうゆう言いかたもあるだろうし、頭の中で考えるときは、それはけっこうあるかも知れない。これも
わたしをオレに変換している場合がある。でもあたしんちが、やはりいいかな。「わし」は、ここでは女性の方も
普通に使っているようである。わしとこはという風になるかな。私の祖母も、わしという言葉を使っていたような
記憶があるが、間違っているかも知れない。
私はだれ、という疑問は、ついにそこまで老いぼれたかという意味もあるようだが、そう言いたくなるような状況は
昨今多いのではないか。私の判断で、私のことは決める、私のこの先のこと。大仰にいうと、この年齢になっても
悩ましいことは多いわけで、決断も必要だし、切り開いてゆく、そうゆう厳しい言葉も頭の中で飛び交う。
いまでも運命を決めるのはけっきょく私自身だ。これは自分自身への励ましでもある。これは予定にないことを
書いている。
この辺で、と言っても、あまり意味はないが、ここに転がり込んできて時間がたっているし、祖父母の葬儀のときには
何やかや、ここでもやらないといけないときもあった。しかしこれは古すぎる話だ。
TVで、会社の人を見ていると、あるいはこの辺りでもたまに、営業活動されている人はいて、首に綺麗なリボンの
ような紐にビニルケースをぶら下げている。子供のときだと、小学生からか、名札は付けた。中学校でもそうで、
要するに、名前を明示した洋服を着ている。高校はどうかな。学生となると、それはない。持つものは持っているが。
教師も同じで、ほぼ学生と同じ格好である。
いまどきのオトナだと、会社に勤めている人は、あるいはお役人も、みなこの何かを首にぶら下げているのが普通に
なる。でも道で見かけることはほぼない。おばあさんがそれをやっているのも見かけない。身分証明書みたいな
ものか。もう珍しくはない。でも、大きな字ではないので、TVでも情報はわからないし、営業の方も、それを
手に持つが、はっきりとは見せない。本物かな、いつも思う。
何も持たないで普通は外にも出る。鞄にお金、はあるが。知っている人は、アンちゃんとなる。どこゆくがけ。
でも、限られているな。何人くらいいるか。酒屋さんと、郵便局は、もう間違われることはない。葬儀がある。
私の父が亡くなったのは、もう7年前だが、この辺りでも、ある程度は間は空いたが、亡くなる人が多かった
ときである。こちらとしては、香典などもってゆくときもある。母がいつまで、こうゆうことをしていたか。
で、道歩いていて、突然、この前はご丁寧になどいわれる。私は、顔を存じ上げないが、お店の名前から、あー
あの方かということになり、黙礼はする。何かいったときもあったか。あれ、私のこと知っているのね、という
ちょっとした驚き。何かあったとき、これはだれだというのがわかる人は、少しはいるようだが、ほかだと
ほとんど異国の人か。異邦人。でも、営業の格好していないし、普段着だし、この辺の人間だ、というのは
わかる。歩くというのは、車降りてのときもあるが。
私は、戸籍にも名はある。住民票も出る。健康保険証も持てば、通帳出せばお金はおろせる。たぶん北陸銀行でも。
でも私はたぶん、この銀行の行員さんをもうだれも知らない。
身分証明、あるいは身分証明書の話で、日常の生活で、身分を問われることはまずはない。例外的だと、市役所の
支所で父が亡くなったあと、戸籍関係、その他けっこうお高い、謄本とか証明書を取った。このとき、自分の印鑑証明を
初めて作った。年金手帳も見せてくれといわれた。これは運転免許証を持ってないからだ。
国民総背番号制の件について、地元紙に、みな知らないだろう、てな感じでありがたい記事が載っている。
私も知らなかった。父に続いて、母も認知症になった。父の最後の1年の年、この母の異変に気が付いていたのは
もちろん私だけだが。列島の社会、生きてゆくうえにおけるルールの異変に、気が付いてなかった。
このナンバー付きのカード、送られて来るそうだ。身分証明書にもなるとか。おせっかいな話だな。本質は抜きで
これに役立ちますよ、という断片情報は、いらないのである。
長くなった。
土曜日、母方の叔母が来られた。もちろん、息子さんと一緒に。従弟とは彼が中学くらいから、時々会っている。
私のいえにも来たことがある。
すぐに帰ったが、叔母の忘れ物に気が付くまで、1分かからなかった。これで2回目で、叔母が気が付くまで、40分は
かかった。つまりその時間、電話かあるいは直で来るか、いずれにしろ、待っていないといけなかった。
叔母が、「私はだーれ」というときはまだ来ないと思うが。私のほうが早いか?。
ガクアジサイのガクの赤。
その一。
その二。ガクの裏の赤味。撮りにくい。
その三。
その四。
その五。くどいけど。ガクもスカスカで、葉脈だけが残っているものも多い。葉脈、この言葉が脳から
出た。
その六。斜塔。
その七。普通のアジサイ。しっかりもの。
その八。この木の葉が、よくはわからない。花がはっきりとしない。
その九。
その十。
なんか、ずれたというか呆けたこと書いた。
もう一昨日の夜になるか、単一の乾電池4個入っている、懐中電灯を、手で触って落とした。
床に小さいがクレータが出来た。足の甲に落ちなくて、よかった。