何書いていいか、ときどき迷う。考えていても、椅子に座って画面を見ると、違うものが出てくる。
明るい話題だと、今日の天気は比較的安定感があると言うところ。朝も晴れていたし。
お日様が出る前に、北の空に真っ白な雲が。この雲は普通の雲のようで、雲の名前も忘れてしまっているものだから
普通のプカプカと浮いている、そうゆうものだとしよう。高い位置にある、地平よりも。これを太陽が照らす。
白い生地だから、お日様の色が出るような気もしたが、赤味があったかな。夕焼け色の雲が、日が出る前に
北の空にあって、それからお日様が出た。ただ、今日は出たという時間、それを見ていない。
今日は新聞が休みなので、特に郵便受けに何も入っていないことをおかしいと思うことはなかった。
そこから外にも出なかった。後からどっちにしろ出るからだ。
時間はあるようで、容赦なく過ぎてゆく。何かを起きる前に見る、読むということもなかった。
木があるということもあるが、朝起きてゆく居間は、あるときは日が出ていても、薄暗い。今日も、あるところは
金色に輝いて、ほかはカーテンを開けても、暗いまま。
気にしているシクラメンだが、土を少し耕した。カチカチの黒い土になっていたが、金属のフォークで、刺さる
ところはあった。それまであった、薄緑の葉はほぼ変わらない。これが枯れるとアウトだな、そう思って耕した
のだけど。新しい芽が出てきていたのだろう、こちらは大きくなって、この効果は土に空気が入ったからだ。
そう思うことにした。でも根っこって、ここから気体を吸い上げるものか。やはり葉からだろう。でも、根も
窒息するのか。溶存酸素というのがある。肺呼吸している生き物も、酸素は血液で運ばれる。ヘモグロビンが
その作用をする。
植物はどうなのだろうか。こうゆう「とんちんかん」なことを書いていると、これはこれで気持ちは安定する。
それにしても、らしくない花を咲かせるシクラメンで、何年たつかな。日の当たることの少ない部屋。蛍光灯の
光で、生長。もうこれから朝日も当たらない。
ここのいえに私も知らないものがある。毎回探しものをすると、発見があって、また幻滅もある。
陶器か磁器か、お人形の格好をしている、これは顔立ちは西洋風だ、があった。なんだろうか。よくわからない。
置物かなと思ったが、オルゴールだった。このオルゴールの音は、聞くのも久しぶりだが、よかった。
これが突然鳴り出したら、悲鳴は上げないが、あれ、という感じにはなる。
音でいいのは、虫の鳴き声と、このオルゴールの音かな。電話とか、玄関のチャイムの音は、聞き飽きた。
匂いでこれはと思うものに、片付けをしていて、奥の奥から出てきた、蚊取り線香。これに火をつけて出る匂い
がある。どうもメーカによって違う。この匂いの差はと思う。仏壇にも、線香の束は入っているが、危なくて。
蚊取り線香も、どうやって火をつけるか悩ましいものがあって、またそのままにしておいても大丈夫なはずの
大きめの金属製の、もともと何が入っていたかわからない缶の蓋に置く。陶器ではない。
これが大体の場合、ほぼ垂直に煙は昇ってゆく。空気の流れは、特に影響ない場合である。温められた空気は
真上に上昇。でも煙の面白さは、やはり空気の流れがある場合で、いつ見ても不可思議である。
こうゆうものを何とかといったが、もう忘れた。ヤケドしそうにもなる。そうゆう不器用さはもう大分前から
出てきている。
午前の9時前に、出かけた。朝見たような真っ白な雲が青空を背景に、あちこちにあって、ときに
影が出来て、直射光はちょっと弱っていた身体を温めてくれた。これで不安もだんだんとなくなって
ゆく。
ヒガンバナはどこでも咲いているようだ。今ごろ、まだノウゼンカズラが咲いている。
さすがにサルスベリは終わった。ケイトウ、真紅の色。倒れているものもある。
それよりも、普通に人が歩いている姿を見ると、感動もしたりする。
帰ってきて、忘れものとかないか、間違いのないことをたしかめた。それから蜘蛛の巣を払った。
いえの周りは大丈夫のようだが、赤くなった柿の実が落ちそう。落ちた青い柿も赤くなる。
柿が赤くなると、というものがあるが、いまは柿は食べないな。
ラジオのスイッチを入れて、しばらくして、これはNHK-FMだが、番組以外のことをいっていて、よく聞いてみると
阿蘇山の噴火。ラジオは、比較的早かったようだ。TVは10時から。珍しく、国会中継。
今日も画像は、空の雲になるが、これはきのうのもので、噴火のあの、モクモクと噴煙が上がっては落ちてくる
そうゆう恐ろしさはない。
その一。筋状で網の目に見える。ここにピントが合う。
その二。
その三。
その四。東の空には、網状で筋状の雲以外の雲も。
その五。
その六。
その七。
その八。これはまた、という雲。
その九。
その十。どこを見ているのか。
南風だったが、いまは北風に変わっている。
明るい話題だと、今日の天気は比較的安定感があると言うところ。朝も晴れていたし。
お日様が出る前に、北の空に真っ白な雲が。この雲は普通の雲のようで、雲の名前も忘れてしまっているものだから
普通のプカプカと浮いている、そうゆうものだとしよう。高い位置にある、地平よりも。これを太陽が照らす。
白い生地だから、お日様の色が出るような気もしたが、赤味があったかな。夕焼け色の雲が、日が出る前に
北の空にあって、それからお日様が出た。ただ、今日は出たという時間、それを見ていない。
今日は新聞が休みなので、特に郵便受けに何も入っていないことをおかしいと思うことはなかった。
そこから外にも出なかった。後からどっちにしろ出るからだ。
時間はあるようで、容赦なく過ぎてゆく。何かを起きる前に見る、読むということもなかった。
木があるということもあるが、朝起きてゆく居間は、あるときは日が出ていても、薄暗い。今日も、あるところは
金色に輝いて、ほかはカーテンを開けても、暗いまま。
気にしているシクラメンだが、土を少し耕した。カチカチの黒い土になっていたが、金属のフォークで、刺さる
ところはあった。それまであった、薄緑の葉はほぼ変わらない。これが枯れるとアウトだな、そう思って耕した
のだけど。新しい芽が出てきていたのだろう、こちらは大きくなって、この効果は土に空気が入ったからだ。
そう思うことにした。でも根っこって、ここから気体を吸い上げるものか。やはり葉からだろう。でも、根も
窒息するのか。溶存酸素というのがある。肺呼吸している生き物も、酸素は血液で運ばれる。ヘモグロビンが
その作用をする。
植物はどうなのだろうか。こうゆう「とんちんかん」なことを書いていると、これはこれで気持ちは安定する。
それにしても、らしくない花を咲かせるシクラメンで、何年たつかな。日の当たることの少ない部屋。蛍光灯の
光で、生長。もうこれから朝日も当たらない。
ここのいえに私も知らないものがある。毎回探しものをすると、発見があって、また幻滅もある。
陶器か磁器か、お人形の格好をしている、これは顔立ちは西洋風だ、があった。なんだろうか。よくわからない。
置物かなと思ったが、オルゴールだった。このオルゴールの音は、聞くのも久しぶりだが、よかった。
これが突然鳴り出したら、悲鳴は上げないが、あれ、という感じにはなる。
音でいいのは、虫の鳴き声と、このオルゴールの音かな。電話とか、玄関のチャイムの音は、聞き飽きた。
匂いでこれはと思うものに、片付けをしていて、奥の奥から出てきた、蚊取り線香。これに火をつけて出る匂い
がある。どうもメーカによって違う。この匂いの差はと思う。仏壇にも、線香の束は入っているが、危なくて。
蚊取り線香も、どうやって火をつけるか悩ましいものがあって、またそのままにしておいても大丈夫なはずの
大きめの金属製の、もともと何が入っていたかわからない缶の蓋に置く。陶器ではない。
これが大体の場合、ほぼ垂直に煙は昇ってゆく。空気の流れは、特に影響ない場合である。温められた空気は
真上に上昇。でも煙の面白さは、やはり空気の流れがある場合で、いつ見ても不可思議である。
こうゆうものを何とかといったが、もう忘れた。ヤケドしそうにもなる。そうゆう不器用さはもう大分前から
出てきている。
午前の9時前に、出かけた。朝見たような真っ白な雲が青空を背景に、あちこちにあって、ときに
影が出来て、直射光はちょっと弱っていた身体を温めてくれた。これで不安もだんだんとなくなって
ゆく。
ヒガンバナはどこでも咲いているようだ。今ごろ、まだノウゼンカズラが咲いている。
さすがにサルスベリは終わった。ケイトウ、真紅の色。倒れているものもある。
それよりも、普通に人が歩いている姿を見ると、感動もしたりする。
帰ってきて、忘れものとかないか、間違いのないことをたしかめた。それから蜘蛛の巣を払った。
いえの周りは大丈夫のようだが、赤くなった柿の実が落ちそう。落ちた青い柿も赤くなる。
柿が赤くなると、というものがあるが、いまは柿は食べないな。
ラジオのスイッチを入れて、しばらくして、これはNHK-FMだが、番組以外のことをいっていて、よく聞いてみると
阿蘇山の噴火。ラジオは、比較的早かったようだ。TVは10時から。珍しく、国会中継。
今日も画像は、空の雲になるが、これはきのうのもので、噴火のあの、モクモクと噴煙が上がっては落ちてくる
そうゆう恐ろしさはない。
その一。筋状で網の目に見える。ここにピントが合う。
その二。
その三。
その四。東の空には、網状で筋状の雲以外の雲も。
その五。
その六。
その七。
その八。これはまた、という雲。
その九。
その十。どこを見ているのか。
南風だったが、いまは北風に変わっている。