光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

晴れのいいお天気、風が心地よい。野菜の秋、稲刈りのあと、ススキ。

2015-09-20 13:59:36 | 植物・花(秋)
  朝は、5時半ごろ、カチッという目覚ましが鳴る音がした。それから5分たって、鳴るのを解除して、

  さらに4分布団の中にいて、録音ラジオのおしゃべりと音楽を聞いて、5時40分、ようやく起き上がった。

  温度計を見る。21℃くらい、薄暗さがあって、雨は降っていなかった。


  それからかなり時間がたつが、午前10時ごろからは晴れているようで、晴れると海の方向からの風が吹くが、

  かなり強い。これが格別冷たくはない。雲もかなり出ていて、このごろは同じような天気が続いている。

  夜はどうなるかわからないが。でも雨が降ると、また雨かという気にはなる。

  動かないと、寝たきりになるので、新聞その他、読めるものは読んで、残しておくものは残して。

  でも特に、ノートを引っ張り出して、文字を書いたりはしない。その文字を書くという作業をやらなくなって

  かなりの時間がたつ。


  別に読むのも書くのも好きではなかった。TVを見るのは、これは楽だから、高校生くらいまではよく見ていたと

  思う。言い換えれば、本も読まないし、学校の勉強もやらないし、時間はあったので、ただ遊んでいた。そうゆう若い

  ころの自分。それはやはりいまも変わらない。

  ただ、高校を卒業して、大学ではTVを持っている必要はなかった。たまに、TVは見たが、別に興味はなくなって

  いた。TVはなくても、生きていて楽しいことは他にあった。それから12年くらい、帰省したときなどは見ていたが、

  見なくても大丈夫な時間はあった。何を書いているのだろうか。今日もほとんどTVをつけていない。


  文字を書くのが苦痛になった、というのは椅子に座っているのが苦痛になる、というのとほとんど同じである。

  寝転がっていては、そうは字は書けない。立って書くのも、非効率的で、やろうと言う気にもならなかった。

  何でそうなったか。20歳前から、多分18歳のときから、日記のようなものを書き続けている。これをやり過ぎた。

  そんなものは理由にならない。でも、2010年の時点ではまだ大丈夫で、それからあと急にだめになった。

  その最後のノートが残っている。これ以外に、まとめて買ってあった何冊かが残っている。

  
  最近その新品のノートに、星空のことを書く場合など、は多少は説明もいるので、データを書いている。少しだと

  大丈夫だが、書くのは寝転がってである。画像はほとんど真っ黒なので絵を書いて、ここにこうゆう星が天体がある、

  そうゆうものを書き込むのにも使う。

  でも、もう何年も毎日文字を書いていないので、間違える字がやたら多く、また漢字が書けない。記憶に残らない。

  物忘れが激しい。本を読もうとしても、読めない漢字はまた増えた。辞書を引く速度も落ちた。

  新聞も字がまずは見えなくなってくる。小さい字は、特にはっきりと見えない。毎日、なんでもいいから書くことを

  楽しみにしていたのだが、それが出来なくなって、いまがある。

  
  手帳には、文字があふれている。忘れないようにいろいろ重要なこと書く。でも、書いていて、やっていない。

  そうゆうことまで出てくる。書き忘れも多い。むかしの手帳は、文字も少ないし、簡単なことしか書いてない。

  自分で見て思うのだが、その文字も読める。スラスラと。いまは書いている文字も、後から見て首をひねる。


  運動不足が第一の原因かも知れない。足腰が弱ると、文字も書けない。そうゆうことになる。

  思い浮かぶことを今日はそのまま書いている。


  18日、金曜日に、雨に少し降られて、でも傘差して、近くの、ここのいえの、花やら木を撮っている。

  これはきのうも書いた。その続きである。

  ギボウシの画像を、付け加えた。これは今日の朝のギボウシと同じ。

  
  今年は天候がよくなく、野菜は特に目玉飛び出る値段で、ほとんど買わない。いまは多少はリンゴが安い。

  安いと言っても、1個が160円する。それ以外は、250円で、これなら何か他にないか探したほうが利口だ。

  私は柿は食べられないというか、あまりいい思い出もないので、いえにある木に成るが、食べても半分である。

  これも市場に出ると、高い。


  そうゆう意味もあるのだろう。野菜作りをしている方はいる。新しく畝を作って、タネを蒔いている。

  ピーマンなどは、これは春の残り物だろうか。よくはわからず、新しく植えたのかも。

  他にも野菜は多いが、葉っぱだらけのものも。花はカボチャがきれいである。


  やぶ蚊に追われながら、手で振り払いながら、田んぼも見た。それほど大きな田ではない。一応生きている田んぼで

  もう使われないところも多い。持ち主もいないのだろう。

  ススキがあった。これを見ると、秋だなと思う。中秋の名月は、旧暦の8月15の月だが、今年は、国立天文台の

  ほしぞら情報、9月を見ると、9月27日である。




  その一。ギボウシ、朝の続き。




  その二。葉の様子。この時期に咲く品種かどうか。何度か見ているはずだが。




  その三。実の様子からピーマン、これもものすごく高い値で売っている。買えない。




  その四。サツマイモの葉だと思う。




  その五。ナスかな。




  その六。カボチャの花。中にやはりハナグモ。





  その七。これで、何反あるかな。





  その八。ススキ。毎年見る。この部屋の窓からも見える。




  その九。




  その十。


  天気だけはいい。それだけでいい。



ヒガンバナの命は短く、いまごろギボウシの花が咲く

2015-09-20 07:06:49 | 植物・花(秋)
  天気は雨は降っていないが、曇りのときが多い。


  きのうの午後も、非常にいい天気で、涼しすぎることもなく快適と言ってよく、でも

  1週間に一回の、食料品の宅配の日で、午後はただ待っているしかなかった。


  遅いと言っても、時間内なので、文句は言えない。それでも早いと午後3時に来てくれる。

  そうお願いしているのである。大体4時までに来てしまう。でも、きのうは違った。それから片付けるのに、

  最低30分はかかる。買い物も楽ではないが、いちいち注文したものを確認して、それを冷蔵庫に入れる、

  階段に置く作業は、気も使うし、体力も使う。最後にレジ袋が残る。これは膨大な量になる。

  捨てるわけにゆかず、これも置いてある。もう休む時間なく、夕食の準備。

  
  必ずこの時間までにみな終えるという限界が、午後6時半で、これに確たる意味はないが、そう決めている。

  きのうは6時15分前に、みな済ませた。


  空を見ていたが、夕方までは晴で、でも日が落ちるのは早く、1時間はたっているが、もう空に晴天域は

  なかった。

  日の入りは何時かな。暗い。


  きのうの新聞、大部分は、すでに出来上がっていて、最後に少しだけ、追加したものだというのがわかった。

  何しろ、安保関連法案が、可決成立したのが、9月19日の真夜中の午前2時過ぎか3時かと言うころである。

  それから全部を印刷して午前5時に間に合うわけがない。ここは午前6時だけどね。

  お正月の、よくわからない、第二部以下の大量の広告と記事少々も、かなり前に作られているものだが、

  それと同じ扱いである。


  これは18日の午後だったと思うが、参議院での特別委員会かの、ネット中継というのを見ていた。

  私も暇だからである。これが、社説にも書かれているが、轟音と言っていい野次の嵐の中で、議員が

  声嗄らして絶唱している。TVでの中継がないとなると、国会はこんなにも「えげつない罵詈雑言の

  飛び交うもの」に変化するのか。この目で見た。3分。



  ヒガンバナを探したわけではないが、すぐそば、お隣の庭にもあって、ほかに今ごろギボウシに似る
 
  花もあったので、これも借景させてもらった。

  ヒガンバナの最後は、徳川の時代の絵師が描くところの、死人に似る。











  どう見ても、ギボウシで、でもこれにも種類がある。

  







  彼岸、これの意味を辞書で調べないといけない。