光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雨続きで、二つのコップの中の水を使った風景あれこれ

2015-09-01 14:11:43 | 散策
  雨はときどき止んでいて、忘れたころにまた降りだしている。どっちだというと、雨と曇り、いまは半々かな。


  朝は雨だと暗い。秋分まで、もうすぐのような気もするが、しばらくは時間はある。秋分も含めて、連休になる。

  嬉しい人がいてそうでない人がいる。4日も休み続くと、どうなるか。これの呼び方も考えないといけないか。

  いまでも、朝は雨だと暗い。夕方も暗い気がする。秋分のころ、この感じはどうなっているか。

  朝よりやはり、夕刻の闇の訪れの早さ、いたく感じるいる、そうなると思う。

  
  朝のこと。

  雨で、どうゆうわけか、途中省略して、最後に行き着いたのは、洗面所に置いてある、さほど汚れていない、ガラスのコップ。

  いまはこれで水を飲んだりはしない。あまり意味はない。でも洗っているので、水は飲める。滑る可能性がある。

  数日前だったと思う。まだ夕方の日が当たるし、同じ二つのコップに水一杯入れて、そのままにしてあるが、

  水は蒸発する。お日様のエネルギーで。これを撮ってみた。ここから見える向うも。むかしはかなりやった。

  結果書くと、暗すぎて、絵として使えない。で、そんな古くない時間、今年の6月、たまにやる古いカメラのためし撮りで

  同じようなことをやっている。こっちの方がいいが、ただ漠然としている。あんまり面白くない。画像は最後です。

  ただ漠然だが、確固たるアイデアは、いまもない。

  でも、周りが汚いので、これは先ほどだけど、きれいにした。出る画像に関係ないが。



  毎度の午前中のことを。外、雨かも知れない。でも雨が上がるかも知れない。すぐに必要でないものでもあるが、何しろ

  身体動かしてないので、気持ち入れ替えて、買い物。歩いた感じはどうゆうものか、どの程度、歩く能力が低下しているか

  これも知りたい。出かけるのに傘は要らないと思ったが、降ってきたので、これも持った。靴は普通の短靴。

  傘差して、短靴履いて、シャツは、長袖にした。こっちが楽だ。Gパンは、2年前まではまだ、余裕あった。

  でもどう考えても、お腹にくっ付いたのは脂。水が少しはいっている、そうゆうことは考えられない。


  ときどき、TVで恰幅のいい人を見る。たぶんあれだと、裸になると私のような感じの身体があらわになるはずだが。

  それにしても、正々堂々楽々ちんな歩き方である。同じ列島に住む人でもそうだし、異国に住む方でもそうだ。

  何が違うか。お腹だけ見てはだめで、肩幅、胸の厚さ、他に腰回りに足の太さだろうか。そこはよくわかる。


  決定的である。あそこまでゆくことが出来るか。なんとなく、ヒマラヤを目標とする登山家を目指すような

  困難さがあると思う。ヒマラヤは無理で、平地でいいので、30分楽に歩けるようになりたい。

  途中、久しぶり、という人に会う。アレッ、となる。よーー久しぶりだな、相手の方もそう言ってくれる。

  15m離れていたので、こっちから10mまで近づいた。で、もう一回おはようございますといった後、何話したかな。

  余裕があれば、おコメの話を聞きたかったのだ。この雨で、「コシ」は、品質とか収量に問題ないですか。

  だが、そのとき機転はきかなかった。コシはコシヒカリのこと。天気も天気なので、またいつか、で終わった。


  5m離れていて、よそ見していたから気がつかなかったが、アンちゃんどこ行くね、と聞かれた。よく知っている人で

  ある。いまはアンちゃんでいいのだが、一体いつごろまで、アンちゃんに抵抗あったかな。61でも、アンちゃん。

  相手の女性の年齢は、止めておこう。何しろ、剛腕といっていいかも知れない。日々の労働で鍛え上げている。

  アンちゃんこれできんけ。それが出来ないので、こうゆうことも書ける。


  このところ、やたら食器用の洗剤が減る。水で薄めているが。こんなもの、でも必要。帰りは少し遠回りする

  つもりだったが、何しろ歩き方がギクシャクで、そうゆう気持ちもなくなって、往きと帰りは同じ道である。

  これだと仕事的にはどうなるのだろうか。鍵、あるいは錠、あまり考えないでおこう。ガチャ。

  右左、両方回さないといけない。そうしないと、かかったかよくわからぬ。抜くときは、それはいいか。


  どっこいしょ、気持ちだけど。妙なところから出入り、ではないが、これもいろいろあって、でもいろいろが役に立つ。


  この間、大体30分だが、しかし、運動のことを考えている。後片付け、まずはうがい、うがいは忘れた。顔は洗い

  直した。手は石鹸で洗った。汗が出そうであるが。上も下も、一枚脱いでいる。こうゆうこともあかんのやね。

  たるみっぱなし。お金、品物。大丈夫、レシートチェック、これも。


  しかし、これではもちろん、済まない。でもここで書いている時間はあまり長いのはやばい。

  新聞回収袋、二つ。一つは、もう縛ってあったが、ゆるくなっているので、もう一回安物といっていいビニル紐で

  しばった。9月の、カレンダ、行動予定に結果、予定だけだが、かなりになっている。でもなんでかしらんが

  2日に思えてガクッとなる。1日なのに。一昨日の掃除、もう効果なく、ここも運動で、しかし電気エネルギーをも使うが

  掃除機。

  掃除機の効果は、やっているときだけ。そう決めているので、終わったら、もう汚れがあっても、一日はそのまま。


  それでも、不思議と汗は引っ込んでゆく。うーん、何kcal消費しただろうか。でも、時間にして、1時間半は

  かかっていない。これじゃパン一枚分か。


  それで、ワールドカップというのがある。コップ二個なので、ワールドコップ対決とか、言葉も考えたが。

  で、もともと、おわかりのように、このコップ、「カップ」が付く名前がある。なんかまずい。それで平凡なタイトルに。




  その一。これは6月のものです。惜しいのは、二つのコップが重なる、そうゆう絵がなかった。これは
  わずかにありそうでない。




  その二。目薬金魚。




  その三。緑は藻かな。気泡は空気にした。




  その四。モノクロ。屈折とは。光は普通、真空中の速度で表わされることが多い。





  その五。二個のコップ、くっ付けたところまではまーまー。でも、ちょと足りない。ここはどうすべき
  だったか。




  その六。この方向だと意味ないか。




  その七。





  その八。双子で、一方だけに、気泡。




  その九。何かありそうな気は。




  その十。感じ悪くないもので、おしまいに。


  晴れてきた。

  書いてないことがあるでしょ、そうゆうもんなんですよ。きのうも明日行きますと電話で言いながら、

  来ないだろうという予感はあったのだけど。



おわらは、雨がよく似合う

2015-09-01 07:13:13 | 散策
  夜、女子バレーを見ていた。きのうも。


  韓国戦である。日本では韓国あるいは大韓民国という、英語表記は頭文字で、「SK」が多いのかな。

  顔付きを見ていた。韓国の選手のである。

 
  ヒトは、分類という考え方でゆくと、いま地球上にいる人類は、違いを見いだせなくて同じということに

  なっているはずである。「種」としては違いがない。種だったと思うが。

  
  それで顔付きである。異国の選手の顔を見て、よく見る日本人の顔と似ているかどうか、どうしても

  そこを見る。私の書くもの、書くことの性格上、これ以上のところについてはあまり出てこないと思う。

  韓国の選手は、やはり日本人に似ている。まずはそう思う。日本の選手の顔を知らない、監督さんも知らない、

  そうゆう条件で見てみると、同じ国の選手どうし、戦っているように見える。


  あまりじっとしているスポーツでないので、その顔付きもはっきりとたしかめることが出来ないが、

  日本の選手より、日本人に似ている。日本人じゃないか、そうゆう選手がいる。年齢が出る。しかし何か

  見出すものはなかった。私の観察だと、動いている、運動している。そうゆう場合、特に女性は、瞬間だが若く

  見える。もっとも、そうでない場合もあって、実年齢に比例すると思える場合もある。


  今朝、4時20分に目が覚めて、これはなんかまずいなと思った。案の定、眠れそうにない。

  ネコは元気だったが、ネコなので、ほかに考えることを変えた。しばらくしてこれもありかと。


  何かというと、子供といっていい義務教育の期間、学校の教室で同じクラスゆえ、席が隣になると

  いうことがある。席をくっ付けたりもしていた。で隣に座った女の子は誰だったか、どうゆう子だったか

  そもそもそうゆうことがあったのか、考えた。これはさらに目が覚める考え事だ。

  これがあった。小学校6年のときだ。転校したてである。なぜか知らないが、よく話しかけてくる。

  授業中である。初めのころは、ほとんどの時間、のようにも思えたが、これは私の都合のいい解釈かも。

  その後も、たまにこのときのことを思い出しているが、なぜあのときちょっとでもその話に付き合わ

  なかったのか、強く思う。ただ、これも私の性格というか、書き方もあるが、これ以上は書けない。

  まー何もなかったからだが。

 
  時間的に余裕あって、さらに今度は、こうゆうことは中学でもあったか。高校はどうか。それも考えた。

  しかし、あれだけいろいろと聞かれた、話しかけられたということは、もうなかったようだ。


  まだ時間に余裕があって、しかし、この先はもう忘れた。


  あれ、午前7時過ぎた。


  9月だからと思ったが、適当なものなく、ここは色のあるもので、7月の画像である。













  一応画像は以前には出していないことをたしかめた。


  変わらず雨、変化がないようで、少しずつ季節の移ろいはしかしある。