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光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

春の陽気で、梅探し

2009-02-08 18:53:43 | 散策
  朝は、星を探していて、これは見事に失敗した。準備不足もある。もともと、眠っていて、ッすぐに起きて、空を眺めるなんて都合のいい話しがあるわけがない。これをやるほうがおかしいが、しかし雨のはずで、晴れていたから欲もあるから、本能的に無理をやる。危ないものだと思う。その先に、窓から向こうは、特に柵はなく、下手すると転げ落ちてしまう。

  それから、かなり時間がたった。尾を引いたのは、時間だった。すべてが遅れてしまって、後手後手で、一息ついたのは、ずいぶんと時間がたってから。そういえば、足に来ていた。頭にも、毛にも来ているが、きょうは足に来ていて、なんだか筋肉がパンパンに張っているか、その反対で、緊張感がない。足に来るのは、これはないことはない。眠ってばかりだとすぐに足は弱くなる。横になってグダグダしていてもそうなる。これが一番困るというのが、過去の経験だが、眠ってばかりでなくても、病気で風邪で、2、3日かもっと寝たきりというだけで、足にも来るし、バランス感覚がなくなってしまう。

  雪かきをしても、体全体がおかしくなるが、一番嫌なのは足に来ることで、逆にいうと日ごろから歩いていないと、いけないということだと思う。足は鍛えてもすぐには丈夫にはならないし、また限度もあって、やれば成果が出るものでもない。疲れだけが溜まるときもある。むつかしい問題だ。判断が出来なくなることもある。今日は休んだほうがいい、こうゆうことも必要。しかし、この足に「ガタ」が来たのは、きっと探し物で結構中腰になったり、また普段使わない筋肉を使ったからだとも思えた。大体最近は、体を使っていない。もう雪かきも大して出来ない。悲壮感もある。太ったし。どんどん落ち込んでゆくような感触もあった。

  でも、今日は晴れ。風がないと暖か。午前も、かなり暖かで、風さえなければ、ポカポカ。そのとおりになった。だからきっと梅の花も咲き出したのだろう。先に書いておくと、午前に一輪見つけたが、その後午後になると、よおおく見ると、さらにもう一輪咲きそうで、咲いていたようだ。あー、植物は、スローモーションではあるけど、時間単位の変化をしている。それが人の目に見えるし、ちゃんとわかるものでもあった、と、あらためて知る。

  それで、足には来ていたが、普通に何事もなかったように思うことにして、梅の花探しをやることにした。って、普通に普段歩く道を歩いただけだが。ここの梅も咲いている。あれあれ、という場面がすぐにあった。もちろん咲いていないものもあるが。
  お寺の紅梅が、これもよく見ると咲いている。紅梅というとなかなかない。ないから、お寺さんにゆくが、ときにしかられたりもする。もっとも、その方はお寺の方ではないようで、お寺の関係者という人なのだろう。紅梅が咲くか、感嘆に近いものがある。早いなー。ことしはやはり暖冬か、梅の知らせるところだと、そうゆうことになりそうだ。

  途中から、また足が重くなって来て、もう少し歩こうかというのも止めにした。北風である。安全策も必要、いろいろ都合もある。それにしても、この時期に梅があちこちで咲くというのは、何という「めでたい」ことか。これで、そのうちにまた雪が降るのだろうか。色々と考えることは多いが、その後も晴れ続きで、最後には、午後も3時を過ぎると、北アルプスの山々も雲が切れて見え出した。一瞬の春かどうか。その後の夕焼けも少し身にしみる美しさがある。これまた、不思議なものだ。どうにかなりそうな感じだが、かろうじてなんとか体を支えている。


  春らしい植物の少し。




  アオキの、花芽が大きい。




  虫のような感じにも見受けられる。




  後ろにあるのは、ギボウシ?、で、出て来ているのは何だろうか。




  閉じている、オオイヌノフグリ。




  タネツケバナ。




  貴重な、タンポポの今ごろの画像。

  これを見ていると、春はそこまで、という感じも本物に思える。 

梅一輪、開花する。

2009-02-08 16:32:15 | 散策
  なんか、大変なことになったと思う。
  梅は、当分その花を咲かせない、など断言したから、

  その梅の花をここで見たときは、大失敗したというのと、
  「うそ」っという妙な喜びで、まことに複雑な気分。
  どう複雑かは、書けませんが。
  そうゆうことはすぐに忘れることが大切だが、
  
  私は嘘つきだ(った)ということ、証明したようである。

  これは多くの方が、肯定するだろう。
  私は嘘はつかない、など書くと、それは嘘だということに
  なってしまう。
  また、私は嘘つきである、というものも、
  これは解釈の仕方で、私は本当のことしか言わないとも、とれる。
  おかしなことで、しかしいずれにしろ、梅は咲かないというのは
  間違いだった。梅と、これを見て、読んで下さっている方に一言
  お詫び申し上げます。

  それから、とってもいいお天気で、その辺りの梅を眺めてきたが、  
  やはりボチボチ咲いているようである。お寺の紅梅も、もう咲いていた。
  辺りは急に春になったようだ。




  午前も、かなり日が高くなると、知らなかった、気がつかなかったが、
  この花が咲いている。




  少し拡大。花の向こうに、蕾がもう一つあるように見える。


 

  お昼も過ぎた。日は出たり出なかったりだが、これは失敗作で 
  向こう側が、明るくなり過ぎていた。ソフトで、明るさを上げて、
  それでも、この程度。




  同じファイルではないが、2枚目と同様、拡大してみる。


  あと、オウレンの花も咲いていて、これも結構暗め。




  花のうちの、オシベかに合焦していて、花弁まで届いていなかった。

雨上がりの青空の朝

2009-02-08 07:08:07 | 散策
  朝のお天気、もう晴れ、ほぼ快晴に近い空がある。少し前は、今からもう明るくなりますよという、お知らせみたいなものもあった。これが星が消えるとき。風がない。雨は上がった、それで、かすかに、雲も大きく切れた空から、星が見えていて、予想以上にお天気の回復状態はいい。
  アメダスの6時の気温、4.2℃、気圧は1021.7hPa、湿度、70%。これは爽やかな値。室温、9.5℃、暖かく、これでは熟睡。

  物探しはもう終わった。あらためて、ゴミの中に住んでいることを知る。でも、このままだろう。なるべくものを買わないこと。そんなことが出来るかどうか。自分の居場所にものを持って来ないこと。誓えません。それから、
  さらに、探しもので、体を多少は動かして、今頃足に来たようだ。体のあちこちが痛い。散歩していても、さほど寒くはないが、肩の辺りが凝りだして痛くなる。足に来た?、

  朝も窓を開けると、風がない。さらに、外に星が見えていると、もしかして、ルーリン(鹿林)彗星が見えるかも知れない、と思う。国立天文台の、イベントとお知らせの中に、「ルーリン彗星見えるかな?」キャンペーンが出ていて、これをきのうの夜に見ていた。いよいよ、この星も見えるかも知れない?。彗星だからというわけでもないが、「かな」とか?マークが付く。

  先にきょうの結果を書いておくと、3.5cm、7倍の双眼鏡では、その存在はわからなかった。てんびん座のα星辺りを探したが、もうここを離れているかも知れない。てんびん座のα星は、二重星でこれが目印になる。AstroArtsさんの、投稿画像ギャラリーも見ていて、ルーリン彗星(C/2007 N3)は、今はてんびん座のα星のそばにあるのは、間違いないと思ったのも、ここを探した理由である。でも、最新の写真からもう丸二日もたっている。彗星の動きは日に日に早くなるようで、てんびん座から、おとめ座にかけても、探さないといけなかったようだ。

  あと彗星は、写真だと、恒星状のものがあって、そのまわりにぼんやりしたものが写っているが、肉眼だと、ほぼ雲を見るような感じになることも、今思い出した。すると、星の輝きより、ぼんやりとした綿雪のような明りを見つけるほうが重要だとも思える。
  この星を見ようとすると、もう少し早起きにならないといけない。それから、足が震えるようでもいけない。彗星を見るのには色々困難が付きまとう。水星を見るときにも似ているし、またPCの辞書もこの二つをよく間違える。きっと、位置をはっきり把握していたら、もしかしたら見えたかも知れないなー。

梅の花、昔話し

2009-02-07 18:56:29 | 散策
  お昼も少し過ぎたころ、ここの梅が一番早く開花するはず、というところに、行ってみることにしたら、期待に反してかあるいは期待どおりか、小さく咲く梅の花があって、これはなかなかいいもので、行ってよかった。でも、まだ寂しい感じの咲き方。半開き。パリっとした咲き方ではなかった。
  お日様も出ているが、冷たい感じの風もある。梅2輪咲いているのは、少し寂しい。これ以外に、意外と蕾が膨らんでいるのが、お寺にある紅梅で、これは去年はさっぱりだった。だからことしは、可能性がある。梅は、ここにもあるし、またあちこちといってもいいくらいに、お庭にあるものだが、これが咲くのは、少し先、かなり先である。ある意味、断言できる。

  で、今頃だと、梅の花を見にというと、昔話しになる。
  一番だと、近かった、小石川の植物園で、しかし当時の植物園で梅が早く咲いたかというとそうでもないようで、一番の見ものというと「フクジュソウ」だった。この黄色い小さな花が、今ごろかその前後には咲いていて、しかし探さないとなかった。あるいはここにあったかというような感想をもったもんだ。もっとも、入園料も安く、3桁の一番小さな10進法の数で、それでもただでもおかしくはないと当時は思ったものだ。
  少し遠出となると、京王線に新宿駅から乗った。高尾山にゆくのもなかなかというときのものもあるが、真冬の高尾山も、結構ツルツルしていそうで、この話題は今も読むことが出来る。決して冬の高尾山は侮れない。だから、春の声を聞いて、高尾山があって、それより早くは、その手前の駅で降りて、梅探しをやる。それでも、1月だと滅多に梅は咲いていないもので、それこそお金を取るようなところにいったかどうか、これもはっきりしない。
  2月だと、もうあちこちで関東だと梅の花は咲くようで、しかし一番の梅の咲く場所というか、梅林というと、これは埼玉は、越生ということになる。東武東上線の池袋駅から、恐らくは急行かに乗って、坂戸で乗り換えて越生着、そこから梅林まで歩いた。越生の梅林だと、健脚な方はそのまま奥武蔵の丘陵と低山までは歩くことも可能で、この逆というものあった。奥武蔵を歩いていて、最後は黒山の滝を経て、たぶんそうだと思うが、さらに越生まで歩く、という人と、奥武蔵のあるところで出合ったが、その当時でもこの距離は長く思えて、そのかたの歩き方も、また違った。あっという間に姿を消す歩き方。お寺で修行しているような空気もあったようだが、話しが飛びすぎた。

  越生の梅林のよさは、まずはそこまで歩く楽しさみたいのがあった。今はどうか、それはわからない。その当時は駅からは、途中麦畑もあり、また鄙びた感じもあったが、歩くのは、どうしてもアスファルト舗装されたものとなる。それでも、ぽつんと一人歩いていても、さほど車にも会わずに、いい空気を吸えた。
  お祭り以外は、むろんいつでもどこからでも眺めることは出来たし、「ろは」で、またお祭りでもその辺りだけで、十分に梅の感じを味わえた。宴会以外はというと、梅林畑で十分である。この梅は、ほとんどが白梅だった。それから、実がなると梅干しになったようだ。それよりも、一面白い花が咲くと、これは奥武蔵の峠からも、白いものが薄っすら見えたこともあったし、その畑にいるときはいい匂いが辺りに満ちていて、さらにお寺のようなものもあって、結構この感じは好きだった。
  何回か、越生の梅林には行った。その他、梅の花を探して、出かけることもあったが、歩いているといくらでも梅はあるもので、だんだん近くで梅見をするのももっともなことといえる。

  高尾辺りだと、梅もあるが、サンシュユの黄色い花があって、これはどこにでもあるもんではなく、またこれがサンシュユだとわかったときは結構感激して、これはここにも何回か書いたようだが、それも長く時間が開いたようで、今そのことをまた思い出して書く。
  梅がもし白と紅があり、さらにサンシュユがあると、これは豪華絢爛な感じがあって、裏高尾辺りの普通の公園にこの三つがあったどうか、記憶も曖昧だが、あったような気がしている。ここには少なくとも2回行った。2回で終わったかも知れないが。
  こうゆうようなものは、まだ寒さも続く冬と春の狭間で、求められる光景だったのだろう。高尾山というと、これが4月の桜のときが思い起こされるが、その当時も人・ひと・ヒトで、大変でこうなると、桜は諦めるのが正しい選択だった。たわいないが、いい時代のいい思い出だと思う。

  
  変化のない、いつものもの。




 この時期の、この角度からの緑はいつもいい感じになる。ツバキかも知れず、ここにあるものだが、名はわからない。




  黒い実の付くもの。モチノキと同じように常緑だが、実は黒い。鳥は食べない?。




  タイサンボク。退色しているようで、こんなものかも知れない。




  うまそうな大根がある。




  ブロッコリ。なんでもありそうで、あったのは、野菜はこの二つ。

観天望気でいってみよう

2009-02-07 16:32:00 | 散策
  きょうも大体晴れ、外にいるほうが暖かいときもあった。
  車の中だともっと暖かく、まるで南国にいる気分になれる。
  寒さに弱くなった、というか、たぶんそうだろう。
  これも訓練でなんとかなりそうだが、体をこわすわけにも 
  ゆかず、適度に保温もしないといけない。

  寒空でもある。光はあるが、地面を見ていると、さっぱりで
  しかしこのあたりで一番早く梅が開花するだろうと
  思っているところ、に行ってみると、な、なんと、2輪くらいは咲いていた。
  行ってみないとわからないものである。ひっそりと咲いていて
  他はみな蕾のまま。

  いいものを見たと思ったが、むろん手ぶら。
  よって、今日も太陽のある光景。3回目。




  2月5日、空が青いところが、ちょっと目を引く。




  空の色は変化する。これは、少し望遠側になっているから、
  明暗の差がはっきりして、空は明るくなる。




  もう夕方になる。朝の空の青さと、似ているところがいい。




  太陽を端に追いやると、空の青さがまたはっきりする。こうゆうのは
  数を押すしかないようである。




  西のほうから見る。太陽がお団子みたいになり始めたかも知れない。




  太陽のない西の空は、淡いモモの色と、そらからもともとの、青がある。
  これは、もしかしたら、春の空に近いかも知れない。 

青い、快晴の朝

2009-02-07 07:02:11 | 散策
  朝のお天気、快晴。真っ青な一瞬があった。これは美しい。だが、寒すぎた。南の風があって、窓を開けると震える。体温が下がるのがわかる。アメダスの6時の気温、、マイナス0.3℃、気圧は1022.3hPa、湿度83%。室温、6℃。一旦目が開いてまた眠れる、不思議な温度。

  ずっと晴れていたようだが、雲があって月も隠れた。金星だけが、灯りに慣れた目でも地平近くにあるのがわかった。それ以降、窓の外を見ることもなかったが、二度くらいは、西の窓から、明るい月が見えていて、そのまわりに陰りはなく、晴れているのが実感された。この寒いのに、水泳をしている夢を見ている。泳いだかどうかは忘れた。その後また何かに追いかけられる、そうゆう夢を見ていて、目覚ましの音がなった。たぶん、4、5分の短い夢だろう。起きた瞬間は、
  というより、目覚ましがなった瞬間というのは少し慌てる。止めにくく出来ている、目覚ましが鳴らないようにするスイッチをツルツル滑る手で下に押す。あー、寒い。
  そういえば、晴れている。パジャマのまま、少し着込んで、南の窓を開けるが、もう書いたとおり、風があって、サーッという感じで、外のほぼ氷点の空気が入る。見えている、春の星座とか、また夏のそれである、さそり座もはっきりしているが、この格好では寒く、星を見るのには適さない。中途半端は何ごともだめ。

  あー寒いと思いながら、ようやく着替え、ヒータで、シャツを温める。棉だけど、だから、まー安全。遅れた。
  遅れると、順番というか、段取りもガタガタになる。しばし、リンゴを切っていて、まだ冷たい牛乳を飲んでいないことに気が付く。冬でも、牛乳の一杯目は、冷たいものにしている。これは、はるか彼方からそうゆうことになっているが、しかし自慢ではない。パンが焼ける時間、お茶を沸かす時間、手持ち無沙汰な自分がいる。ヒータをつけているが、9℃くらいまでしか上がらない。

  もう一度外に出たが、もう空の星は消えかけようとする。朝の空がやって来る時間が早くなる。いつもより、5分遅れて、戻ると、東の空が明るく、またはっきりとした青い色を呈していて、これが美しい。この空の色も一瞬一瞬変化して、今は明るさが勝っている。氷点辺りの気温がさすがに冷たく、でも空気中の水分が少ないせいか木々が白くはなっていないが、田んぼは真っ白。
 
  明るい空がある分、寒さが余計に身にしみて、血管がきゅっと引き締まるような気もする。

名のみの春でも、嬉しい

2009-02-06 19:00:05 | 散策
  寒いときもあるが、ホッとするときもある。
  思いもよらないことで、いいことというのはまずはない。財布を落とした、とかいって戻ることはなく、大してお金を入れてなくて、お金だけ入れておいてよかったと思うのが、今の時代。ケイタイ落として、とかいう電話が、話しの中にあったのだろう。まるまるちゃん、ケータイ無くしたんだって、そうゆう話しを間接的に聞くこともあった。まったく、本人はさぞかししょげているだろう。色々な情報が入っているものが増えた。便利なようで、その反作用もあるもの。

  何でこんな話しになるのか、自分でもわからないが、色々ものを持って歩くときが必ずあるが、その数が増えすぎて、往きはいいが帰りは怖いということも増える。財布に、それから、通帳に、印鑑にという感じ。それなら、お財布ケータイでともなるが、こうなると、どっちもだめということになる。まずは頭に叩き込まないといけない、印鑑には、種類があって、認めとそれと銀行印と。それ以外に通帳に、こんどはカード。これは使わないことに決める。たまに手動で入金する。この作業も重要である。自動にしておくと、いつまでもお金が引き落とされる可能性もあって、まずは一つくらいは自分で、入金して、銀行員の方の、少しだけ白い目にさらされる、そうゆう気分を味あう。嫌だけど、やらないといけない。残高照会だって、ばかにはならない。こうゆうものに興味がなくなると、少し危険信号がともる。
  お金に細かいことはいいことで、たまにお店で、1円ないけど、いいなど聞く。それから、ときに、どう見てもレシートに打たれていないものが、一点だけあって、これは200円に2円足らない数字だが、やっぱりこんどお店に行ったときに、打ち忘れがあるようで、この分を払います、などとも言う。善人にような感じの振る舞いだが、そうとは限らない。それにしても、なんでこんなことを書くのかなー。

  一つはお金も含めて、出かける前にあれとこれを持った、帰って来て、あれ、あれがない。あれ、お金がどうも合わない。所持金から使ったお金を引くと、これだけ残っていないといけないが、それがない。おかしい。こうゆうことが多くなるからで、これも何かの練習のようなもので、また細かい文字を書いたりするのも、これも練習のようだが、役に立たないこともある。
  昔は、と言っても色々年代があるが、こんなことを気にはしなかった。が、こうゆうことを気にするのも、何ごともこれまでよりはうまくはいかないということを実感するからで、これからもこのことで、あーだのこーだの、もめることは多いと思う。これと、のんびりと生きるというのが長生きのコツです、というものは矛盾しない。しないはずである。確信している。

  春だなと思うと、春のことばかりがタイトルに出たりする。少し前は雪だった。夏も終わると、雪かきのことを書いたりもした。その雪が、このところ降ってはいない。でも、降るだろうなー。これが長続きすると、周章狼狽することは間違いない。で、今はまだ2月だが、なんだか春のような気もする。春のようなお天気ですね、そういえばきょう聴いていたラジオでもその話が一番だった。そういわれると、春だとかばかり書いている。でも、風は冷たい。思いの外、冷たい。
  春というと、ここでは梅ではなく、やはり花粉症。これで決まり。きょうも、その辺りを歩く機会があったが、どう見ても杉の茶色い色の目立つこと。外に出て、それも医院であったから、帰って来てまずは手を洗い鼻うがいをする。手が荒れるが、手洗いと鼻うがい。そうして、専用のタオルで手を拭いたりすると、クシャミが出る。あれ、花粉症に鼻うがいは効かない。そうゆうわけではないと思うけど、くしゃみが出る。間違いなく、花粉は飛んでいる。
  
  それで、寒風の中、それと珍しくまた一旦引っ込んだお日様が出て来て、ついでにフキを探す。この前のフキである。これがない。見つからない。オオイヌノフグリは、花弁を開いていた。しかし、フキはどうした。ここでも、ものを探す能力が落ちていることを知る。

  色々まとまりのないことを書いた。これが、大体春であることの証しのような気がする。これ以外の辛気くさい、湿っぽい話しは避けないといけない。またそのうちに出るだろうけれど。
  



  小さな花を見ていても、春だなと思うものはある。そう思った。こじつけもあるが。




  さほど大きな用水ではないし、水が流れている感じはあまりないが、ここに光が当たると、このような絵柄が出来て、目に太陽光が入らないようにしている。
  これも、小花のようで、また雪融けの春を思わせる時間。




  もう一枚。春の光る虫。




  小さい花弁を持つこの花。タネツケバナではなくて、なんだかはっきりしない。




  こっちのほうがよくわかる。かなり接近している。それに耐えられる美しさを持つ、冬か春かの、小さな白い花。

春の風は冷たすぎる。

2009-02-06 16:32:21 | 散策
  春の明るさがある。明るいときが、このところ 
  続いている。暖かいときもあったが、今はというと
  やはり冬の寒さである。
  耐寒性が落ちた。少しだけポカポカしている、
  そうゆう温室からパッと外に出ると、この感じが強い。

  ほこり、塵芥、というものがなぜ、あんなに溜まるのか。
  探し物をやると、あちこち綿ぼこりだらけ、というのがよくわかる。
  自分もほこりでまみれる。
  それから、これだけものがあると、床が抜けるという感じを
  さらに強く持つ。

  探し物、個人的なことだが、どうゆうわけか、PCのメインボードの
  使用説明書、というのが、こんなところという場所に
  チラッと見えた。
  もう見つからないと思ったら、あった。
  春の風で、ゴミをはらった。この風の冷たいこと。


  色々としかいえないもの。




  日陰の、ツバキ。ブルッと震える寒そうな風に、揺れる。




  一度出た、オウレン。同じときのもの。




  これは、一回目とまったく同じ花だが、時間が少しだけ、後である。




  ちょっとやんちゃな、水玉と光玉。これも一度出ている。




  苔の様子。まだ雨が残っていたかも知れない。まるで、ミカンの細かい
  房のような形。

春雨か

2009-02-06 06:51:45 | 散策
  朝のお天気、今は曇り。きのうの宵の時間、遅くから雨。きょうになってもたぶん雨。少し予報と違う。外に出てみると、星も見えていて、思ったより天気はいい。アメダスの6時の気温、4.0℃、気圧は1021.4hPa、湿度87%。室温、8.2℃。

  まだ眠いようで、灯りをつけていても、うとうとする。雨の音はしかし聞こえない。ちょうど目覚ましの音が一回鳴ることをたしかめて、スイッチをオフにした。雨のことは考えていないがあっさりと止んだような感じから、春雨。何か他にも意味ありそうな、意味ありげな言葉。

  春の雨は春の雪よりは、いい。さらに夜の時間降って、朝の早めに上がると、雨上がりの星が見える。これが最高で、ここには、ゴミはない。PCが壊れると、ずっと動くとばかり思っているから、いろいろとやることと考えさせられることも多い。しかし、でるのは愚考で、また愚行のようだ。まったく弱ったものだが、PCが壊れたら、どうするというテーマは面白そうだが、しかし理屈からいうと、壊れている限り、書き込みも出来ず、矛盾している。

  物置がある。まさか、ここに必要としているものが、移動している。そんなことはないはずだが、まーたまには、シャッターを開けてと。このシャッターの重いこと。もともと重い。開けないからさらに重い。開いた、腰が砕けそうになる。しばし辺りの様子をうかがう。中は、当たり前だが、ゴチャゴチャで、ゴミがよくこれだけたまったものだと思う。これではネズミもヘビも、また「お化け」も棲まない。勇気ある、おばかな人だけがここに探検に入るが、昔はもちろんもっときれいだった。
  探し物はなかった。古い雑誌の上に、去年の、つまりまだ新しい雑誌が積まれている。鉄道もの、写真のもの、また、PCのハード関係のもの。さらにものすごい、昔のものもある。1960年代の、『天文ガイド』、姉の見ていた『ミュージック・ライフ』、嘘のような本当の話し。

  空の明るさは、あまり変わらないが、雨はもしかしたら、もう降らないかも知れない。今日は、誰かさんの薬を取りに行ってと、それから食べ物も買って、でもコーヒーの粉は、もうないままでもいいか。

春空散歩

2009-02-05 18:47:27 | 散策
  何月のお天気というのが、何月の気温とか、いうのがあるが、3月の上旬の気温でしたといっても最高気温が、例えば、11℃だったりもする。その土地によって、表現は違うもので、いつも違和感がある。もっとも、今日は3月の上旬のお天気だったそうだとは、ここでも書くから、大して違わない。これが、大体のここでの標準的なことで、それ以上のことも出ないし、それ以下だと結構にあるかも知れない。

  3月の上旬の標準気温いうと、それも最高気温だが、11℃だとこれは暖かいとはいえない。でも、もっと寒いところだとこれは暖かいだろう。今朝の札幌のお天気を朝のTVで見ていたが、ことしは暖かで、なおかつ雪がどうだったか、ここを聴き逃した。でも、雪祭りがあるから、それほど少ないこともない。さらに、そばにはいくらでもたくさん雪が降るところがありそうで、雪祭りにもさほど影響はないのだろう。
  頭の中で、いろいろ捜索するものがあるが、錯綜だった、たかがPCが壊れたといって、頭が痛いというのも困りものだが、これは事実。さっさと眠ればいいものを、ゴチャゴチャはやらないが、最低限の探し物などやると、それ以外でももめることの多いきょう日に、いいわけがない。でも、自然とそうゆう風になってしまう。
  なぜ、CPUが壊れるのか、CPUテストで、止まってしまうのか。このCPUはこの前といっても2年くらいは前だが、買い換えたばかりで、いまだかって、CPUがどうのこうのでPCがお釈迦になったことはない。そうゆう記憶ははっきりしている。だからくやしいのである。なんとか出来ないか、そうゆうことも眠る時間であるが、考える。ここが人間といえば言えるかも知れないところ。機械だと、壊れれば動かないし、また命令さえ出れば疲れることなくその計算をやる。人でよかったと思うのはこのときか。

  壊れそうなものは、いろいろあるぞよ、もう一人の自分がいう。そういえば、自分がこんどは思う。今のPCだって、動いているほうだけど、「電源」も買って早々にパンっと大きな音とともに、壊れた。これはしかし昔で、最近だと、
  カセットラジオ、10年以上は動いていた、15年か、あとはルータ。これも5年は働いた。それから、電気ヒータ、これも壊れると思いつつ壊れなかった。しかし、普通電気ヒータは、二クロムの線が切れて終わりだが、スイッチを消しても電気ヒータは付いたままで、危ないの度を越すもんだから、これも廃棄した。お湯を沸かすボイラは、これは15年はもったが、途中何回か修理した。これも最後は、交換するしかなかった。他には、と書いて、春散歩だった。

  春のようなお天気で、実際は風が冷たい。でも、頭の中は、いつもゴチャゴチャしている。最近がひどい。これもしかししょうがない。ここで少しでも頭をリフレッシュしないと、頭も体も交換は出来ないし、新調もままならぬ。このガタガタの体と頭で、もう少しだけかどうか知らないが、生きていないといけない。そのためには、多少は寒くても歩くしかない。脳の中は、ま「からから」いっているが、どうゆう風なところがいいか、これはこれまでの経験で判断する。何しろ、春は3月の気候である。
  その辺りの30分コースを新しく設定する。ワンちゃんだけ顔を見たいので、そこを入れると、こうあるという道をゆく。春だが、まだ梅も咲かない。咲いているのは、小さな花と、それとスイセンと、この程度しかわからない。そうか、サザンカがある。お寺のほうへも行った。すると、白梅の花は全然といっていいくらい変化はないが、これも南側に木があるから、花の運命はわからないもので、しかしかなりの古木である。

  動物というと、決まってイヌが出るが、いつものワンちゃんは、うたた寝、睡魔には勝てないらしく、きっといい夢を見ていた。眠ってはいないがという、老犬ではないワンちゃんは、必死に眠気と闘っていた。しかし顔はうつむいたまま。
  で、新発見で、新しく白いイヌに吠えられた。いいことだと思う。ワンちゃんは吠えないとなー。元気な証拠。吠えられてひるむことはない。繋がれている。
  こうして、春の散歩は終わった。汗はかかず、やはり冬のそれである。



  茶色だけど、晴れのお天気で、木々も雨の後で、元気そう。




  建物が出るのは珍しい。これくらいしか、ないかも知れない。




  ここからは少し感じが違う。もともと非対称だが、それにもならないというシダ?。




  これは、雨の後のもので、出会える幸運というものがある。よく出るが、運もあった。




  苔だろうと思う。今頃の緑の鮮やかさはこの苔が一番だが、




  これも、その苔の一形態であろう。目で見ていると、緑が少し白っぽく、踏み付けらたものかと思ったら、違った。苔の芽見たいなもので、これが大きくなって、そのまわりのもののように、また上の苔のようになるようである。
  これはマクロで、実質拡大して見るということをやらないとわからない。