光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

花の形とか、色とか、つやとか

2008-10-14 18:58:16 | 植物・花(秋)
  秋の花というと、青っぽい、あるいはライトブルーという光の中にいることは少なく、どちらかというと、黄色いというか、赤茶けた感じの中になる。秋の光の並び方は、春のそれとあまり変わらないと思うけど、どちらかと言えば、秋は、黄色で赤く、もう過ぎ去った春は、青で緑で、水色である。その春は一度冷たい冬が来ないと、いけない、というかやって来ない。このまま春になるとなると、ちょっと気持ち悪いものもありそうで、この辺りは、十分にしみ込んでいる感覚のせいだろう。

  暖かい地方というのがある。熱帯の当たり、赤道地帯にある国々。なかなか暖かく、あるいは暑く、灼熱の日々がある。それが恒常的かというと、どうだろうか、多少の大気の流れというものが全地球的な規模であるから、海の占める面積の多い、南半球とそうでない北半球では、気象も非対称的で、だから、熱帯辺りに住んでいるかたも、多少の四季というものを味わうことが出来ると思う。たぶん、北半球の方が陸地は多いはずだが。
  あとは、高度の問題がある。それと、大陸と島国の問題もあって、気候というものも簡単に判断出来ないものがある。そうゆうことは昔学校で習った気がする。地中海式気候、聞いたことがあるがもうそのことも忘れている。

  高度の問題だと、例えば4000m級の高原に住んでいる人がいる。どうしてそんなことが可能なのか、まったく不思議だ。空気がまずは薄い。その中の酸素の占める割合は、地上辺りと同じでやはり20%くらいなのだろうか。それにしても気圧も下がって、酸素の量も少ない状態で、人は生き延びて独特の文化を作っているようだ。高地というと、他には同じ感じもするが、高緯度地帯に住む人もいる。寒いとか、そうゆう問題はもうないのだろう。生まれてきたところがそのかたの基準になって、高々気温が零℃であっても十分に暖かいのだろう。

  地球の陸地に、人は住むが、海底というのも住めなくはないようで、しかし海底都市は物語や、映画には、あるいはTVでは見ることがあるが、実際のものというのは、これは見たこともなく、聞いたこともない。月に住むのと同じくらいむつかしそうで、同じように火星にも人は住めそうで、しかし個人的には、海底も、月も、火星にも住めそうになく、いやはや、地球の平地に住むことが嘘のようにありがたく思える。
  だから、その地面に生えている、花々もあるいは植物も、いろいろな条件に適応して生きているのだろう。高いところ、高緯度のところ、そこに植物は生えている。さらに、海底だと動物はいそうで、新聞にもウンゼンメートルの海底に、蠢く生き物がいたことが載っていた。海底の植物だと、光が届かないから、その程度は限られるのだろう。

  日常の花々、あるいは植物を見ていて、こんな花がある。よく、こんなところに植物があると思うこともときどきある。これも花があって、チョウがいて、またトンボがいて、そこに枯れ木があるから、この花探しもなかなか飽きが来ない。雑草となると、まったく振り向きもされないが、見ているとカリンなものもあるし、またチョウも含めた小動物は、この花を頼りに生きているようだ。小さな花がある。見慣れない形がある。どこにどうしてこんなことがあり得るのだろう。そうゆう世界の入り口がここにある。
  ただ、あまりにそれにのめり込むと、引っくり返る。さらに、お腹は出ているからそのものに接近するとお腹を圧迫する。足だって、かなり筋肉は伸びて危なっかしいたら、ありゃしない。気を付けないとな、どこにあるのかそんな花という感じで見ていて、ギックリ腰になった不幸を考える。ある限られたものが、何事にもまたありそうで、その中で探しものというのがよさそうである。

 
  いくつかの花々。




  なじみのフジバカマ、ちょうど花を真上から。




  シジミチョウの一種である、ウラナミシジミがいた、小さな白い花名を付ける植物。この大きいこと。そのホンの一部。




  少しよってみる。ウラナミシジミと比べてみると、花の大きさもわかる。




  花もそれぞれだが、いろいろなものがある。その形とか色とか、考えると切りがないようである。

コスモスの光

2008-10-14 16:27:15 | 植物・花(秋)
  雨が降りそうな天気で、しかも少し風があって、
  暖かさもなくなった。

  コスモス、結構ある。
  コスモスだけだと、タイトルとしては寂しく、付けるものは
  まずは、音、とか、香り、それから、輝きに、陰影。
  他だと、位相、温度、いのちに、反射。
  他にはないか、遺伝子にDNA、あとは、色、色素に、誘導に、誘惑か。

  いろいろあるが、大した数ではないが、最後に、光がいい、と思って
  コスモスの光、にした。




  白いコスモスが、一番いいように思える。




  透過光のコスモスも、なかなかいい。




  冒険というのがありそうだが、このくらい。




  かなり密に咲いてくれて、見事だが、風で倒れたところがあって、
  これが残念の一言。

朝に沈む月

2008-10-14 06:50:10 | 散策
  朝のお天気、雲り。なぜかきょうは、厚い雲があって、太陽は顔を出さない。上空はと思って見るとこちらもかなり雲が厚い。風は今はないか、弱め。アメダスの6時の気温13.4℃、気圧は1020.1hPa。室温、18℃。

  ときどき、空を見上げる。あまり上を見ていると、でこぼこの道もあって、つんのめる。また、あからさまに穴もあるから、そこに足を突っ込むのは厳禁である。溝も、道の脇にある。道の端を歩いて、ここに落っこちるのも格好が悪く、悲惨。

  それで、うちの中から、星を見る。これは安全だが、見える範囲は少ない。その行為もたまにしかしないから、なにが今はどこにあってというのは、皆目だめ。月は明るいし、また面積もあるから、誰にもどこにあるかわかりそうで、そうでもない。月はやたら南に見えるときもあれば、ずいぶん北側にも移動する。あまりの動き方に驚くが、これも地球が黄道面に対して、傾いているのが大きな原因のようだ。

  きょうの朝方、外を見ていると、まだかなり暗い。真っ暗といってよく、隣の街の外灯やら、それから夜も輝くイルミネーションはいつもと同じか、少しかげって輝いていた。それから、雲も厚いらしく、月も見えなかった。そういえば、きのうだと月は晴れた空にまん丸に輝いていて、その明るさは歩くのには十分だった。その月が、雲にかくれていたらしい。
  で、雲がそこに亀裂を生じたものだから、月の光が漏れた。これを見ていると、不規則な巨大な灯りがそこにあるようで、何も知らないと少しギョッとする。太陽のようにも見える。が、これは、とてもUFOには見えない。しかし月の位置を知っていると、この灯りは、月であることは簡単にわかる。

  まあるい月が、雲の切れ間から、ギザギザの面積を持つ灯りとして見えるというのは、なんだか贅沢な見世物のような気がして来た。星というと、大体が、丸く見えて、さらには恒星は点でしかありえず、また大気の影響で少しにじんで見えて丸みを持つ。明るさが、面積に変わるようで、でも、それは丸かったり、放射状であったりで、規則性がある。まったくのでたらめな形というものは、なかなか現われない。

  雲の隙間から、漏れるときの月の光は、結構面白いものだ、そう思ってもう一回眠る。きょうはまだ、満月ではなかった。