秋の花というと、青っぽい、あるいはライトブルーという光の中にいることは少なく、どちらかというと、黄色いというか、赤茶けた感じの中になる。秋の光の並び方は、春のそれとあまり変わらないと思うけど、どちらかと言えば、秋は、黄色で赤く、もう過ぎ去った春は、青で緑で、水色である。その春は一度冷たい冬が来ないと、いけない、というかやって来ない。このまま春になるとなると、ちょっと気持ち悪いものもありそうで、この辺りは、十分にしみ込んでいる感覚のせいだろう。
暖かい地方というのがある。熱帯の当たり、赤道地帯にある国々。なかなか暖かく、あるいは暑く、灼熱の日々がある。それが恒常的かというと、どうだろうか、多少の大気の流れというものが全地球的な規模であるから、海の占める面積の多い、南半球とそうでない北半球では、気象も非対称的で、だから、熱帯辺りに住んでいるかたも、多少の四季というものを味わうことが出来ると思う。たぶん、北半球の方が陸地は多いはずだが。
あとは、高度の問題がある。それと、大陸と島国の問題もあって、気候というものも簡単に判断出来ないものがある。そうゆうことは昔学校で習った気がする。地中海式気候、聞いたことがあるがもうそのことも忘れている。
高度の問題だと、例えば4000m級の高原に住んでいる人がいる。どうしてそんなことが可能なのか、まったく不思議だ。空気がまずは薄い。その中の酸素の占める割合は、地上辺りと同じでやはり20%くらいなのだろうか。それにしても気圧も下がって、酸素の量も少ない状態で、人は生き延びて独特の文化を作っているようだ。高地というと、他には同じ感じもするが、高緯度地帯に住む人もいる。寒いとか、そうゆう問題はもうないのだろう。生まれてきたところがそのかたの基準になって、高々気温が零℃であっても十分に暖かいのだろう。
地球の陸地に、人は住むが、海底というのも住めなくはないようで、しかし海底都市は物語や、映画には、あるいはTVでは見ることがあるが、実際のものというのは、これは見たこともなく、聞いたこともない。月に住むのと同じくらいむつかしそうで、同じように火星にも人は住めそうで、しかし個人的には、海底も、月も、火星にも住めそうになく、いやはや、地球の平地に住むことが嘘のようにありがたく思える。
だから、その地面に生えている、花々もあるいは植物も、いろいろな条件に適応して生きているのだろう。高いところ、高緯度のところ、そこに植物は生えている。さらに、海底だと動物はいそうで、新聞にもウンゼンメートルの海底に、蠢く生き物がいたことが載っていた。海底の植物だと、光が届かないから、その程度は限られるのだろう。
日常の花々、あるいは植物を見ていて、こんな花がある。よく、こんなところに植物があると思うこともときどきある。これも花があって、チョウがいて、またトンボがいて、そこに枯れ木があるから、この花探しもなかなか飽きが来ない。雑草となると、まったく振り向きもされないが、見ているとカリンなものもあるし、またチョウも含めた小動物は、この花を頼りに生きているようだ。小さな花がある。見慣れない形がある。どこにどうしてこんなことがあり得るのだろう。そうゆう世界の入り口がここにある。
ただ、あまりにそれにのめり込むと、引っくり返る。さらに、お腹は出ているからそのものに接近するとお腹を圧迫する。足だって、かなり筋肉は伸びて危なっかしいたら、ありゃしない。気を付けないとな、どこにあるのかそんな花という感じで見ていて、ギックリ腰になった不幸を考える。ある限られたものが、何事にもまたありそうで、その中で探しものというのがよさそうである。
いくつかの花々。
なじみのフジバカマ、ちょうど花を真上から。
シジミチョウの一種である、ウラナミシジミがいた、小さな白い花名を付ける植物。この大きいこと。そのホンの一部。
少しよってみる。ウラナミシジミと比べてみると、花の大きさもわかる。
花もそれぞれだが、いろいろなものがある。その形とか色とか、考えると切りがないようである。
暖かい地方というのがある。熱帯の当たり、赤道地帯にある国々。なかなか暖かく、あるいは暑く、灼熱の日々がある。それが恒常的かというと、どうだろうか、多少の大気の流れというものが全地球的な規模であるから、海の占める面積の多い、南半球とそうでない北半球では、気象も非対称的で、だから、熱帯辺りに住んでいるかたも、多少の四季というものを味わうことが出来ると思う。たぶん、北半球の方が陸地は多いはずだが。
あとは、高度の問題がある。それと、大陸と島国の問題もあって、気候というものも簡単に判断出来ないものがある。そうゆうことは昔学校で習った気がする。地中海式気候、聞いたことがあるがもうそのことも忘れている。
高度の問題だと、例えば4000m級の高原に住んでいる人がいる。どうしてそんなことが可能なのか、まったく不思議だ。空気がまずは薄い。その中の酸素の占める割合は、地上辺りと同じでやはり20%くらいなのだろうか。それにしても気圧も下がって、酸素の量も少ない状態で、人は生き延びて独特の文化を作っているようだ。高地というと、他には同じ感じもするが、高緯度地帯に住む人もいる。寒いとか、そうゆう問題はもうないのだろう。生まれてきたところがそのかたの基準になって、高々気温が零℃であっても十分に暖かいのだろう。
地球の陸地に、人は住むが、海底というのも住めなくはないようで、しかし海底都市は物語や、映画には、あるいはTVでは見ることがあるが、実際のものというのは、これは見たこともなく、聞いたこともない。月に住むのと同じくらいむつかしそうで、同じように火星にも人は住めそうで、しかし個人的には、海底も、月も、火星にも住めそうになく、いやはや、地球の平地に住むことが嘘のようにありがたく思える。
だから、その地面に生えている、花々もあるいは植物も、いろいろな条件に適応して生きているのだろう。高いところ、高緯度のところ、そこに植物は生えている。さらに、海底だと動物はいそうで、新聞にもウンゼンメートルの海底に、蠢く生き物がいたことが載っていた。海底の植物だと、光が届かないから、その程度は限られるのだろう。
日常の花々、あるいは植物を見ていて、こんな花がある。よく、こんなところに植物があると思うこともときどきある。これも花があって、チョウがいて、またトンボがいて、そこに枯れ木があるから、この花探しもなかなか飽きが来ない。雑草となると、まったく振り向きもされないが、見ているとカリンなものもあるし、またチョウも含めた小動物は、この花を頼りに生きているようだ。小さな花がある。見慣れない形がある。どこにどうしてこんなことがあり得るのだろう。そうゆう世界の入り口がここにある。
ただ、あまりにそれにのめり込むと、引っくり返る。さらに、お腹は出ているからそのものに接近するとお腹を圧迫する。足だって、かなり筋肉は伸びて危なっかしいたら、ありゃしない。気を付けないとな、どこにあるのかそんな花という感じで見ていて、ギックリ腰になった不幸を考える。ある限られたものが、何事にもまたありそうで、その中で探しものというのがよさそうである。
いくつかの花々。
なじみのフジバカマ、ちょうど花を真上から。
シジミチョウの一種である、ウラナミシジミがいた、小さな白い花名を付ける植物。この大きいこと。そのホンの一部。
少しよってみる。ウラナミシジミと比べてみると、花の大きさもわかる。
花もそれぞれだが、いろいろなものがある。その形とか色とか、考えると切りがないようである。