ずいぶんと長く、病院に通っている。自分の病院ではなく、血のつながりのあるある人のために、そのためになるべく多く、ゆくようにしている。
何度かもう危ないですので、という電話を受け取る。そのたびに心臓がドキっとして、あまりいい気持ちではない。もう歳であるし、これもしょうがないものだが、最初から、ずっと危ないですよといわれて、やはりもうだめか、それなら、これも生まれた限り死はまぬがれないもので、何度かお別れをし、一種安心感も出たが、これが時間がたって、また少し調子がよくなると、お別れしたはずのものが、取り消しになる。まだもう少し生き長らえるようで、それなら、こうやって病院にゆくのにも意味がありそうである。
色々な段階があって、今の入院がある父だが、痴呆も先にあって、介護施設の方には非常にお世話になった。あるときに、高熱で入院、医師の判断は、重篤なものです、というもので、これはもうだめなのか、それが次第にはっきりするようで、すでに過去の人としての彼があった。一方で、いつも思うのだが、人はある人の脳裏の中で生き続ける。人の生命の最後には、生き物ではなくなる場合、それとある人からの記憶がなくなるものがありそうで、そうゆう意味では父は、もうかなりボケ症状が出ていたときでも、私の頭の中では、彼の姿は「あるとき」のものはよみがえる。最後の笑顔より、もっと他の、例えばけんかをしていたときのこと、その他優柔不断なことなど簡単に思い出される。
その危ないです、何度目かの、といわれた日から少したって、父の状態は今日は少しよくなった。不安がかなり吹き飛ぶようで、しかしそれだからどうにかなるわけではない。目が開いていて、その上を手を前後に動かすと、まばたきをする。これくらいである。でも、先回のときよりはいい。
病院にはいろいろな人がいる。車椅子の人、点滴を付けて歩いている人。中心静脈点滴をしつつ歩くことが出来る人。点滴を付けて、しかもその先の輸液の袋は2、3であったりもし、さらに排泄物のためのビニルを付けている人もいる。その姿を見ると、何ともいえない。
車椅子に乗る方がいて、さらにエレベータに乗られた。私はその後に乗った。それから、気は付いていたがもう一人の患者さんもいて、それで、一階に着いた。そこで、降りたと思った、もう一人の方がかなりゆっくりとしか歩けなかった。そのことに気が付かず、車椅子の方を後ろ向きのまま、エレベータの外に出してあげようとしたとき、後にその方がまだいて、つまり私の足が、当たった。アッという声がして、すいませんと誤った。これまた、病院にはいろいろなことがあって、ゆっくりした歩き方の方もおられて、それに気が付かない私がいた。
いつも大体同じ時間に行く。すると、掃除をされている方がおられて、その方にも何度もお会いしたことになる。失礼な言い方かも知れないが、高齢な方に思われる。それでも、元気にしておられて、病室の掃除をしてくれる。最初は、ちょっと椅子をたたんだりしないといけなくて、面倒だなど思った。それは今もまったくないとはいえないが、すぐに外に出るか、移動する。それも椅子をたたんで、そうゆ風にしている。これも長く病院に通っているからで、その方に感謝しないといけない。毎日こうして掃除をしてもらって、父は生きている。
若干病院の中は暑い。介護用のものを買いにゆくのと、それに久しぶりに病棟を出て外の空気も吸った。日が出ていて暑くらいで、すぐ目の前にキンモクセイが咲いていて、トイレの匂いと書きたいが違った。最近のトイレは病院も一緒だと思うが無臭。それ以外にも木々の変化の様子も見ることが出来た。ほとんど人もいない。洗濯物を干している人がいて、ここはそうゆう場所かと思う。空気も吸ってまた、もとの病室に戻る。目を開けている状態が続いていて、なんだか知れないがたしかに、今去るのは残念な気もした。そのときは間違いなく来る。それはわかっていて、そこから退く。
散歩道のいくつかの様子。
大きなカエデの葉っぱ。これはかなり赤い。もともと赤いものもあるが、これは違う。
秋らしい白い菊?。パラパラ程度なのがいい。あっさり目。
大きい。この竹も枯れそうになる。
違う匂いの花、フジバカマ。この虫はハナムグリかな。
高精彩でもなんでもない、フジバカマ。風があって、かなり揺れて、ハナムグリに気が付いたのが後で、こちらは結構よく揺れていた。
何度かもう危ないですので、という電話を受け取る。そのたびに心臓がドキっとして、あまりいい気持ちではない。もう歳であるし、これもしょうがないものだが、最初から、ずっと危ないですよといわれて、やはりもうだめか、それなら、これも生まれた限り死はまぬがれないもので、何度かお別れをし、一種安心感も出たが、これが時間がたって、また少し調子がよくなると、お別れしたはずのものが、取り消しになる。まだもう少し生き長らえるようで、それなら、こうやって病院にゆくのにも意味がありそうである。
色々な段階があって、今の入院がある父だが、痴呆も先にあって、介護施設の方には非常にお世話になった。あるときに、高熱で入院、医師の判断は、重篤なものです、というもので、これはもうだめなのか、それが次第にはっきりするようで、すでに過去の人としての彼があった。一方で、いつも思うのだが、人はある人の脳裏の中で生き続ける。人の生命の最後には、生き物ではなくなる場合、それとある人からの記憶がなくなるものがありそうで、そうゆう意味では父は、もうかなりボケ症状が出ていたときでも、私の頭の中では、彼の姿は「あるとき」のものはよみがえる。最後の笑顔より、もっと他の、例えばけんかをしていたときのこと、その他優柔不断なことなど簡単に思い出される。
その危ないです、何度目かの、といわれた日から少したって、父の状態は今日は少しよくなった。不安がかなり吹き飛ぶようで、しかしそれだからどうにかなるわけではない。目が開いていて、その上を手を前後に動かすと、まばたきをする。これくらいである。でも、先回のときよりはいい。
病院にはいろいろな人がいる。車椅子の人、点滴を付けて歩いている人。中心静脈点滴をしつつ歩くことが出来る人。点滴を付けて、しかもその先の輸液の袋は2、3であったりもし、さらに排泄物のためのビニルを付けている人もいる。その姿を見ると、何ともいえない。
車椅子に乗る方がいて、さらにエレベータに乗られた。私はその後に乗った。それから、気は付いていたがもう一人の患者さんもいて、それで、一階に着いた。そこで、降りたと思った、もう一人の方がかなりゆっくりとしか歩けなかった。そのことに気が付かず、車椅子の方を後ろ向きのまま、エレベータの外に出してあげようとしたとき、後にその方がまだいて、つまり私の足が、当たった。アッという声がして、すいませんと誤った。これまた、病院にはいろいろなことがあって、ゆっくりした歩き方の方もおられて、それに気が付かない私がいた。
いつも大体同じ時間に行く。すると、掃除をされている方がおられて、その方にも何度もお会いしたことになる。失礼な言い方かも知れないが、高齢な方に思われる。それでも、元気にしておられて、病室の掃除をしてくれる。最初は、ちょっと椅子をたたんだりしないといけなくて、面倒だなど思った。それは今もまったくないとはいえないが、すぐに外に出るか、移動する。それも椅子をたたんで、そうゆ風にしている。これも長く病院に通っているからで、その方に感謝しないといけない。毎日こうして掃除をしてもらって、父は生きている。
若干病院の中は暑い。介護用のものを買いにゆくのと、それに久しぶりに病棟を出て外の空気も吸った。日が出ていて暑くらいで、すぐ目の前にキンモクセイが咲いていて、トイレの匂いと書きたいが違った。最近のトイレは病院も一緒だと思うが無臭。それ以外にも木々の変化の様子も見ることが出来た。ほとんど人もいない。洗濯物を干している人がいて、ここはそうゆう場所かと思う。空気も吸ってまた、もとの病室に戻る。目を開けている状態が続いていて、なんだか知れないがたしかに、今去るのは残念な気もした。そのときは間違いなく来る。それはわかっていて、そこから退く。
散歩道のいくつかの様子。
大きなカエデの葉っぱ。これはかなり赤い。もともと赤いものもあるが、これは違う。
秋らしい白い菊?。パラパラ程度なのがいい。あっさり目。
大きい。この竹も枯れそうになる。
違う匂いの花、フジバカマ。この虫はハナムグリかな。
高精彩でもなんでもない、フジバカマ。風があって、かなり揺れて、ハナムグリに気が付いたのが後で、こちらは結構よく揺れていた。