いいお天気だが、書いたとおり少し日が強く、もう少し用心すると紫外線も強そうだった。
買い物を済ませるとホッとするもので、しばらく歩いた。ある建物がきれいさっぱりなくなった。なんだかあまり見たくない光景である。そのときに、
ふと、ポケットに葉書を入れていることを思い出した。ボケが半分で、何かの拍子に忘れていたものを思い出す。よかった、およそ100mだけまたもと来た道を戻る。それで、ポイとポストに入れる。その後に、完全に入っているか念には念を入れて、金属片を動かす。大丈夫、もう出ては来ない。人の葉書きだからそんなに心配も要らない。しかし思い出したのは、奇跡に近い。
前半は、省略して、後半だけでも歩こうと思った。背中は暑いが、顔とお腹は少し涼しい。ここにもコスモスがあるが、小規模である。一つの宇宙があるなという大きさ。ここの道を歩くのも1週間ぶりくらいか、もっと歩いていないか、わからないが、特に何かがあるわけではない。まずは、ムクゲがある。白いもので、この色のムクゲはたしかここしか知らない。その先に柿があるが、今ごろ柿もスーパに並んでいて結構高価だが、この柿の木も庭の木として植えられて、生き長らえてきたようである。完全に青い空ではないが、
黄色い、あるいは橙色の、あるいは柿色の柿は、青空に映える。このために、そこに行かれる人がいる。柿があるが、その葉っぱは秋になってずいぶんと虫に食われあるいは微生物による病気になって、葉っぱという葉っぱがかなり喰われ、変色した。これだと、実も小さいままで、もしかしたらその数も、少ないとそのときは思ったが、少しずつ接近する。柿の木にたくさんの、かなり大きな実がなっていて、それに少しびっくり。ただ色は、まだ青と黄色の中間くらいで、早生のミカンに似ている。
空はほどほどに青く、また白い雲もあって、風は北風で、透きとおっていた。そこに、もう葉を落としたかのような柿の木があって、しかしその実は、青味がかった黄色で、早生ミカンのようで、一種異様な感じがした。まだ青い、少し黄色い柿の実だけが、もう葉っぱはほとんどない状態で、枝にたくさん存在している。その先にも柿の木があり、また先にもあるが、順に葉の量は多く、実の数は少ないように思えたが、実際は違うだろう。ただ、葉っぱの残っている、その柿の木の実の数は、あまり多いとは思えず、つまり、葉っぱも少ないから実も少なく、それはそれでおかしくはなかった。葉がなくて、実だけたくさんというのがおかしく、奇妙である。
この先に、ときおり顔を見るワンちゃんがいる。柿を見てワンちゃんの顔をも忘れず見ようと思った。最初、一人目。老犬であって、このところ見かけるとごろりとしている。今日もその姿を探すと、少し暖かいようなところだが、やはりごろりとしている。眠っていた。でも、まだまだ大丈夫だ、そう思った。
モンシロチョウとか、モンキチョウの楽園のようなところ。これはそのまま残っていて、近付くとチョウがふわっと舞う。少し数は減った。しかし、黄色い花を付ける植物は健在で、この先も食糧不足はなさそう。
もう一人のワンちゃん、この犬もいたが、少し窮屈そうで、道路側つまりこっちを向いていた。暑そうに思えた。瞬間だからはっきりはしないが、窮屈そうで、暑そうで影にかくれてようやく暑さをしのいでいるようで、その顔は険しかった。その顔は少し焼き付いたが、そのうちに消えていった。犬は暑さには弱い。
少し歩いて、今日は汗が出た。久しぶりに汗をかいた。いい運動というところまでいかないが、まー歩かないよりはましだ。
蜘蛛とかがいる。それから、蛾もいる。ときに興味ある形があったり色があったり、あるものはなかなか美しい。しかし気味が悪いものもある。
最初は、緑色をした蛾。
なんだかよくわからない蛾であるが、色は緑があって美しいともいえる。
次の、蛾だと思えるものは気色が悪い。
目で見ていると、なにかがいるという感じ。このファイルを見ると、異様なというものの姿がある。蛾だろうと思うが、触らないでよかった。
蜘蛛になると、比較するのもなんだが、きれいだとも思える。
よくいる蜘蛛のようで、しかしどっちが頭かそれさえはっきりしない。蜘蛛の巣は実に美しい。もう一匹の蜘蛛がいる。左にも、もう一匹いる。特にけんかもないようである。
買い物を済ませるとホッとするもので、しばらく歩いた。ある建物がきれいさっぱりなくなった。なんだかあまり見たくない光景である。そのときに、
ふと、ポケットに葉書を入れていることを思い出した。ボケが半分で、何かの拍子に忘れていたものを思い出す。よかった、およそ100mだけまたもと来た道を戻る。それで、ポイとポストに入れる。その後に、完全に入っているか念には念を入れて、金属片を動かす。大丈夫、もう出ては来ない。人の葉書きだからそんなに心配も要らない。しかし思い出したのは、奇跡に近い。
前半は、省略して、後半だけでも歩こうと思った。背中は暑いが、顔とお腹は少し涼しい。ここにもコスモスがあるが、小規模である。一つの宇宙があるなという大きさ。ここの道を歩くのも1週間ぶりくらいか、もっと歩いていないか、わからないが、特に何かがあるわけではない。まずは、ムクゲがある。白いもので、この色のムクゲはたしかここしか知らない。その先に柿があるが、今ごろ柿もスーパに並んでいて結構高価だが、この柿の木も庭の木として植えられて、生き長らえてきたようである。完全に青い空ではないが、
黄色い、あるいは橙色の、あるいは柿色の柿は、青空に映える。このために、そこに行かれる人がいる。柿があるが、その葉っぱは秋になってずいぶんと虫に食われあるいは微生物による病気になって、葉っぱという葉っぱがかなり喰われ、変色した。これだと、実も小さいままで、もしかしたらその数も、少ないとそのときは思ったが、少しずつ接近する。柿の木にたくさんの、かなり大きな実がなっていて、それに少しびっくり。ただ色は、まだ青と黄色の中間くらいで、早生のミカンに似ている。
空はほどほどに青く、また白い雲もあって、風は北風で、透きとおっていた。そこに、もう葉を落としたかのような柿の木があって、しかしその実は、青味がかった黄色で、早生ミカンのようで、一種異様な感じがした。まだ青い、少し黄色い柿の実だけが、もう葉っぱはほとんどない状態で、枝にたくさん存在している。その先にも柿の木があり、また先にもあるが、順に葉の量は多く、実の数は少ないように思えたが、実際は違うだろう。ただ、葉っぱの残っている、その柿の木の実の数は、あまり多いとは思えず、つまり、葉っぱも少ないから実も少なく、それはそれでおかしくはなかった。葉がなくて、実だけたくさんというのがおかしく、奇妙である。
この先に、ときおり顔を見るワンちゃんがいる。柿を見てワンちゃんの顔をも忘れず見ようと思った。最初、一人目。老犬であって、このところ見かけるとごろりとしている。今日もその姿を探すと、少し暖かいようなところだが、やはりごろりとしている。眠っていた。でも、まだまだ大丈夫だ、そう思った。
モンシロチョウとか、モンキチョウの楽園のようなところ。これはそのまま残っていて、近付くとチョウがふわっと舞う。少し数は減った。しかし、黄色い花を付ける植物は健在で、この先も食糧不足はなさそう。
もう一人のワンちゃん、この犬もいたが、少し窮屈そうで、道路側つまりこっちを向いていた。暑そうに思えた。瞬間だからはっきりはしないが、窮屈そうで、暑そうで影にかくれてようやく暑さをしのいでいるようで、その顔は険しかった。その顔は少し焼き付いたが、そのうちに消えていった。犬は暑さには弱い。
少し歩いて、今日は汗が出た。久しぶりに汗をかいた。いい運動というところまでいかないが、まー歩かないよりはましだ。
蜘蛛とかがいる。それから、蛾もいる。ときに興味ある形があったり色があったり、あるものはなかなか美しい。しかし気味が悪いものもある。
最初は、緑色をした蛾。
なんだかよくわからない蛾であるが、色は緑があって美しいともいえる。
次の、蛾だと思えるものは気色が悪い。
目で見ていると、なにかがいるという感じ。このファイルを見ると、異様なというものの姿がある。蛾だろうと思うが、触らないでよかった。
蜘蛛になると、比較するのもなんだが、きれいだとも思える。
よくいる蜘蛛のようで、しかしどっちが頭かそれさえはっきりしない。蜘蛛の巣は実に美しい。もう一匹の蜘蛛がいる。左にも、もう一匹いる。特にけんかもないようである。