妙なお天気である。北風、これは高気圧の方向から考えて、もっともな感じがする。それから、私の住んでいるところは北半球だから、太陽はずいぶんと南に位置するようで、すると頭の上からは、太陽光は当たらない感じがあって、しかしこれが背に当たると、その暑さは、倍増する感じがする。これが、冬になっても同じようなことが起きれば、結構暖かなのだが、無論冬は曇りか、それとも雪。晴れると、放射冷却があって、氷の世界があって、このときの太陽光の暖かさは、特に、背に当たる、あるいは真正面から受ける、その暖かさは格別な気がするが、現実として、その明るさに幻惑されるが、寒すぎて、建物の中に入ってしまう。
だんだんに季節の変わり目の厳しさに慣れなくなる。季節が逆戻りする。今日のお日様の当たり方だと、まるで9月の、まだ残暑という感じもする、あまりありがたくはない、暖かさだ。同じような晴天であって、この違い、暑すぎるようにも思える今日の太陽光は、何でこんなに厳しいのだろう。きのうも同じように日が照り、今日も同じような一日があった。この差が大きい。変化についていけなくなるのが、一番しんどいことであって、これも、人それぞれであろう。
人が亡くなるニュースというのは、あまり聴きたくもなく、またなるべく聞かないし見ないようにしている。きょうも新聞のある欄に、亡くなられた方の名前がのっている。滅多に見ない。それ以外に、有名人であるとこれは三面にも、あるいはその他にも出て、そのことを知るが、不思議と冷静に見ることが出来る。死は必ず訪れるものであるし、避けられない出来事である。もし、永遠の生命というものがあって、人が亡くなることなくただただ老いていく状況を考えてみると、さすがに少しというか、かなり恐ろしい現実が生まれそうで、人一人の生命は限られていたほうがいいと思う。また、人はちゃんとその子孫が繁栄出来るように生物学的にもなっていて悲観するものはない。その後にどうゆう世界があるかが、問われるだけだろう。
病気の方も多くおられて、なかなか書きにくい気もするが、最後までかなりにはっきり意識があって、という場合は悲しみも大きいだろう。そうゆう例を聞くことが多い。意識もあってだれとしゃべっているかもはっきりわかる。それで、ずっと病気の方のそばにいるわけにもゆかず、そこを一旦離れるわけであるが、そのしばらく後に、最後を迎えられて、そのときにそばにいられなかった。こうゆう話はジーンと来るものがあって、それに対して、何ともいえないと思う。ただ、その時間が長くたつと思い出話になり、私のようなまったくの他人にも話しとして、伝えることが出来るときが来るようだ。自分の立場はどうかというと、
父は入院して、もうかなりたつが、最初の時期、ほんの少しだけ、そこにいるのは誰か、わかったような感じもして、その後はほとんど、だれが誰だかわからないでいるようである。もともと認知症だったから、認識のレベルも普通の人と比べると、かなり低いのは仕方ないが、最初のころ、とそれから、一、二度だれと話しているか、わかったような気がするが、あとは、どうもそうゆう認識はなかった気がする。繰り返しになった。だが、心臓は動いていて、呼吸もしている。こちらから、なにかを話してしかしそれに対して、なにか反応がある場合は少ないかない。
寝たきりであり、自分でものを食べることも出来ず。またはなすことも出来ない。何か、声を出すようなことはあった、そうゆうことを看護師の方から聞くことはあった。それでさらに様態が悪化すると、もはや何を言っても何の反応もなく、それでも調子がいいと、目が開いているときは、その上に手をやって、動かすと瞼が動いた。なんだか生きているのかどうかも怪しい感じもする。
こうゆう状態が続いているので、もはや諦めるしかないのであるが、それでも、まだ少しでも目の輝きがいつもよりいいと、少し安心する。青くなったりもし、赤くなったりもし、父の妹に連絡をし、それから一ヵ月半がたった、またそれでも少しでも様子がいいと、「次の病院に変わってもらいます」とお医者さんにいわれるのであって、これはしかし、ごくごく普通のようだ。
この先、少しずつ寒くなってゆく。こちらの体の調子が悪くならないよう、気を付けないといけないことも多々あるし、それがはたしてうまくゆくか、心配になるときもある。でも、今はなるべく何も考えないようにしている。考えてどうなるわけでもない。ただ、時間の経過を待つ。明日はどうなるか、だれにもわからない。そうゆうことだろうなー。
なに考えていたのだろう。
晴れていたときの、なんだかよくわからない花。黄色い花が二重に咲いている。明るいと、飛びやすい。
赤い色の花のほうも見てみたかった。下にあるが位置が悪かったのだろう。
10月になって、しばらくして撮ったヒガンバナ。
昼間から、少し赤くなっているスイフヨウ。赤い色は太陽光で、誘導されるのかも知れない。しばらくたつと、後のように立派に赤くなる。
だんだんに季節の変わり目の厳しさに慣れなくなる。季節が逆戻りする。今日のお日様の当たり方だと、まるで9月の、まだ残暑という感じもする、あまりありがたくはない、暖かさだ。同じような晴天であって、この違い、暑すぎるようにも思える今日の太陽光は、何でこんなに厳しいのだろう。きのうも同じように日が照り、今日も同じような一日があった。この差が大きい。変化についていけなくなるのが、一番しんどいことであって、これも、人それぞれであろう。
人が亡くなるニュースというのは、あまり聴きたくもなく、またなるべく聞かないし見ないようにしている。きょうも新聞のある欄に、亡くなられた方の名前がのっている。滅多に見ない。それ以外に、有名人であるとこれは三面にも、あるいはその他にも出て、そのことを知るが、不思議と冷静に見ることが出来る。死は必ず訪れるものであるし、避けられない出来事である。もし、永遠の生命というものがあって、人が亡くなることなくただただ老いていく状況を考えてみると、さすがに少しというか、かなり恐ろしい現実が生まれそうで、人一人の生命は限られていたほうがいいと思う。また、人はちゃんとその子孫が繁栄出来るように生物学的にもなっていて悲観するものはない。その後にどうゆう世界があるかが、問われるだけだろう。
病気の方も多くおられて、なかなか書きにくい気もするが、最後までかなりにはっきり意識があって、という場合は悲しみも大きいだろう。そうゆう例を聞くことが多い。意識もあってだれとしゃべっているかもはっきりわかる。それで、ずっと病気の方のそばにいるわけにもゆかず、そこを一旦離れるわけであるが、そのしばらく後に、最後を迎えられて、そのときにそばにいられなかった。こうゆう話はジーンと来るものがあって、それに対して、何ともいえないと思う。ただ、その時間が長くたつと思い出話になり、私のようなまったくの他人にも話しとして、伝えることが出来るときが来るようだ。自分の立場はどうかというと、
父は入院して、もうかなりたつが、最初の時期、ほんの少しだけ、そこにいるのは誰か、わかったような感じもして、その後はほとんど、だれが誰だかわからないでいるようである。もともと認知症だったから、認識のレベルも普通の人と比べると、かなり低いのは仕方ないが、最初のころ、とそれから、一、二度だれと話しているか、わかったような気がするが、あとは、どうもそうゆう認識はなかった気がする。繰り返しになった。だが、心臓は動いていて、呼吸もしている。こちらから、なにかを話してしかしそれに対して、なにか反応がある場合は少ないかない。
寝たきりであり、自分でものを食べることも出来ず。またはなすことも出来ない。何か、声を出すようなことはあった、そうゆうことを看護師の方から聞くことはあった。それでさらに様態が悪化すると、もはや何を言っても何の反応もなく、それでも調子がいいと、目が開いているときは、その上に手をやって、動かすと瞼が動いた。なんだか生きているのかどうかも怪しい感じもする。
こうゆう状態が続いているので、もはや諦めるしかないのであるが、それでも、まだ少しでも目の輝きがいつもよりいいと、少し安心する。青くなったりもし、赤くなったりもし、父の妹に連絡をし、それから一ヵ月半がたった、またそれでも少しでも様子がいいと、「次の病院に変わってもらいます」とお医者さんにいわれるのであって、これはしかし、ごくごく普通のようだ。
この先、少しずつ寒くなってゆく。こちらの体の調子が悪くならないよう、気を付けないといけないことも多々あるし、それがはたしてうまくゆくか、心配になるときもある。でも、今はなるべく何も考えないようにしている。考えてどうなるわけでもない。ただ、時間の経過を待つ。明日はどうなるか、だれにもわからない。そうゆうことだろうなー。
なに考えていたのだろう。
晴れていたときの、なんだかよくわからない花。黄色い花が二重に咲いている。明るいと、飛びやすい。
赤い色の花のほうも見てみたかった。下にあるが位置が悪かったのだろう。
10月になって、しばらくして撮ったヒガンバナ。
昼間から、少し赤くなっているスイフヨウ。赤い色は太陽光で、誘導されるのかも知れない。しばらくたつと、後のように立派に赤くなる。