光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

金星の見え方

2008-10-20 18:50:54 | 散策
  一番星とかいうと、金星だが、この星を見たのはずいぶんと昔で、しかも望遠鏡で見た。ということは、ある程度星の位置を知っていないといけない。どのくらいの知識があったか曖昧だが、見たことは確かで、しかし肉眼でははっきり見えるこの星も、望遠鏡をとおして見ると、かなりぼんやりしたものになる。その当時のことを考えるとそれも当然だった。 
  その後に、金星を望遠鏡で見たことは、恐らくない。それ以外の星の世界に興味がわいて、それでも望遠鏡で星を見るということはむつかしかったように思う。何しろ場所が暗くないといけない。周りに明るいところはあってもいいが、今もあまり変わらないと思うが、暗いところで、なにかをしているというのは、かなり怪しく思われる。
  グッと遡って、あるいは下ってという表現になるのか、昔の昔だと、人はもう少し星を眺めただろう。お月様を見ながら、その日の時間を確かめていたはずで、それは夜の時間の重要な指標だった。今はまずは時計がないと話しにならない。電波時計であったり、あるいはケイタイであったりで、お星様のありがたみも薄れている。

  星というと、なぜか必要なものは望遠鏡であったりカメラであったり、道具から入るようだ。しかし、どこに金星があって、どこに木星があってというときに、そうゆうものはいらない。空を見上げて、「ほら、あそこにある」というのが、すこしスマートな感じがする。それから始まるのがごく普通で、しかし私も、望遠鏡から入ったから、人のことは言えない。でも、それは金星や木星では可能だが、さて、火星ではどうか、また、環のある惑星、土星ではそう簡単にはいかないようだ。環のある惑星もかなりに増えた。
  火星は、地球に近付くと明るく、またかなり遠くにもなってしまう、暗くなる。これは、お隣さんだから、という表現が出来るようだ。例えば、三軒向こうに、あるお友達が住んでいて、いつも挨拶もする。たまには、大笑いをすることもあるが、夏休みになってどこかへ旅に出た。あるいは、かなり遠いところの学校にいってしまって、一年にせいぜい二回くらいしか帰って来ない。これだと、どこにお隣さんがいったのか、はっきりしない。いつ帰って来るのかそのうちに気にもならなくなる。
  すこし遠い星、木星とか土星だと、まずは大体安定して見えている。無論昼に天空にあると、これは見えない。如何せん、太陽の明かりが強すぎて見えない。で、この木星や土星は、火星に比べるとずいぶんと地球から離れている。かなり遠く、九州か北海道に住むおじいちゃんか、おばあちゃんのようで、おじいちゃんがたまに、温泉に行っても、そうどこかへいったと心配になることはない。遠くにいても、その辺りにいる。特に、心配もなく、また記憶が薄れることもないようだ。年に一回はちゃんとお土産を送ってくれる。ありがたや、といわざるを得ない。ただ、土星はあまり明るくもなく、他に似たような恒星がある。すこし難解。

  何をいっているかという話しになったが、遠くにいるからよくわかるということを言いたかっただけで、しかしこれにも限度がある。、天王星、海王星、冥王星などはこれまた、名前は知る。写真でたまに見る。人工衛星はこの惑星のそばを、あるいは冥王星のそばを通っていったりするから、かなりはっきりしたものを見ることが出来るが、まずは肉眼ではわからない。
  わからない代表というのが水星で、私は見たと思うが、これを証明出来ない。まったく気にかかる星で、この星のことはあまり気にしない。気にしない方がいいように思う。

  もう冬の星座が見え始めるころだ、ちょうどいい時間にこの冬の星星が見え始める。同じようなことを書いているが、冬は星も明るいものが多いが、それ以外に、流れ星がよく見えるような季節で、それも底冷えのする夜が、一番である。辺りは真っ暗でというのがいいが、そこそこ明るくてもよく、ただなるべく全天を眺められるところがいいが、こうゆう空に、流れ星は瞬間に生じて、またほぼ瞬間に消える。これが最高によくて、よって願い事は叶えられない。それでいいと思う。
  流星群は期間が限られていて、見ていても何もなかったという場合が多いが、冬の晴れた夜空は、経験からいうと明るい流れ星は多い。まったく、肉眼だけあればよく、しかしこのことはなるべく内緒にする。なかなか信じてもらえないからだ。
 
  きょうは宵の明星は、恐らく雲にかくれて肉眼では見えなかった。少し前、日没のころに、双眼鏡で探したらすぐに視野に入った。これはこれで、よかった。きょうの宵の明星を見て、またしばらくするともう少し明るい、真っ暗な空に輝く金星を見ることが出来るのが待ちどおしい。


 
  同じようなものが続く。




  空は金色だが、これは日の出のころ。




  明るい空だが、植物の周りは、地平の明るさは、まだ足りない。




  白めのサザンカ。




  これは朝の光と関係はないはずだが、これから、まあるい冠毛が出来てくるのだろうか。 

秋の朝の明るさ

2008-10-20 16:16:14 | 散策
  やっぱり暑い日が続いている。
  毎日同じことを書くのでやりにくくて仕方ない。

  暑いという感じがある。短い距離を往復して
  汗をかく。これでしかしお腹はへっこまない。

  もう一回同じような距離を歩く。するとこんどは汗は出ないが
  そのあと面倒なことをやらないといけなく、こんどは冷や汗が出た。
  ばかみたい。

  たしかラジオでは、明日も晴れっていっていた。
  雨よ降れ、と願う。でもほどほどに降れ、とお祈りする。


  秋の朝の明るさ。



 
  枯れ草の色はまったくの秋だが、降りている露がキラリ光る。




  シソの色は秋だが、後の草はまだ緑。これに露でキラリ。




  コスモスに朝日が当たって、これも明るく、空の明るさも十分。 

本日も、快晴

2008-10-20 06:53:26 | 散策
  朝のお天気、快晴。風はほとんどなく、またすこし靄がある。きょうも晴れなので、雨は期待出来ないようだ。アメダスの6時の気温、13.3℃、気圧は1018.2hPa。室温18℃、下に行くと17℃で、さらにヒータのモニタだと、16℃くらいで、なにが正しいかわからない。

  きのうはちゃんと宵の明星を見ることが出来た。日が沈んで南西の低い空を眺めるが、まだ明るくいくら一番明るく見える星だ、月と太陽は除いて、といってもこれは見えない。恐らく双眼鏡なら見えただろうと思う。しかしそれでは味気ない。しばらくしたら、急速に夕景の明るさもなくなって、くっきりだがしかしもう地平の人工物に、植物に隠されようとする金星が見えた。真南辺りに、惑星の王者である木星も見えているが、見比べると空の明るさの不均等もあるがそれでもやはり金星が明るかった。

  日の出の時刻がかなり遅く感じる。もたもたしていたら、時間だけは、時計だけは進むが、しかし朝日の射し込みはまだ。ゴミを持って外に出る。まだ日は出ていないなー。中天にはすこしお腹の出ている月があって、それは小さく見える。お腹が出ているから、まだ太陽も出ていない。でも時間の問題ですぐに、アルプスの高峰と高峰の間から、太陽の上のほうが出た。
  オー寒いわい、そう思った。知っている人が自転車で走っている。挨拶をして、なぜかお互いに笑った。いい人だと思った。

  最近、自分のタオルがどこかへゆく。これもどうでもいいようなことで、しかしあんなものが自分で逃げてゆくわけがない。そう簡単にゴミ箱にも捨てられないだろう。あちこち探してみるが、少しだけ見つかるが、まだ少ない。洗濯物を干している、ぶら下がるプラの小道具を探すが、それは外のぶら下がりにもないし、うちの中のカーテンレールにもぶら下がっていない。まさか、あんなプラの物干し装置を持ってゆく人もいない。これもどこかにあるはずだが、きのうまであってちょっと探したがわからない。こうゆうものがいくつかあって、この先すこし探し物を続けないといけない。