光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

昼飯は食べたか

2008-10-29 18:47:23 | 散策
  物忘れも、いいものがあって、考えないでいられると安眠できる。

  寝ても覚めても、考えるという方もおられるようだが、なるべくならそうはありたくない。実際、そうゆうものに程遠く、それでも、要らんことを考えるようで、この繰り返しがある。この辺りは、ロボットとか、PCだと要求された仕事をやり続けるのだろうけど、人の場合は色々であって、なるべくなら夢も愉快なもの、そうでなくてもいいが、どこどこの駅に着かない、どこどこ行きの電車が来ない、などの夢を見ていると、これは鉄と関係がまったくないが、いい加減にしてくれと自分の脳に思うのである。それで、朝から暗い気分というのは、まったくもって情けない。あっさりと、忘れることもあるが。

  物忘れというより、つまらんことを考えないようにしないといけないと思う。小心ゆえか、要らぬことを考えていて、内容はまったく同じ。解決策というと、それは有限の回数で終了するというもので、ボチボチやればいい。もう答えは出ているが、そうゆうことを考える。考えても仕方ないが、やっぱり朝になると、同じことを考えている。つまらないことである。

  こうゆうことを忘れるといいのだけど、自分は思う。しかし、これは損得勘定があるものなので、手を抜くわけにゆかない。なんだか健康のために、毎日トレーニングに励んでいるようで、十分に健康なのに、雨でも走ったり、アラレでも走ったり、これは雨アラレの霰、で、目的が健康でいることから、その先にいってしまっているのに似ている?。毎日走らないと落ち着かないとか、調子が悪いとか、どんなときでも走れる体でありたいとか、目的とは大いにかけ離れたりして、風邪を引いたり、膝を痛めたりする。
  何とか依存症というのは多い。でも、続けるのが、力になるとか今でもいう。本当か、ときに休んで、あるいは怠けて、そうゆうこともありだろう。大いにダラダラする。今日は、一日不貞寝する。こうゆうメニュはないのだろうか。この辺りまで含めると、依存ということから離れられるかも。

  ときに、まー知っている方だとしても、なにかがあって、ちょっとお邪魔させてもらいます、ということはある。もう少しゆうと、茶のみ友達とか、その他、人が訪れることはままあるが、それが私にも関係があると、仕方なしに対応しないといけなく、内心さっさと済ませて欲しいという気がある。それが礼儀的なものにしろ、あるいはたまの雑談にしろ、人には人の生活のリズムがあって、これは壊したくない。なんだか生活のリズムも、依存症のような気がしてきたが、急用にせよ、その他の突然のことにしろ、やっぱり内心早く終わらないか、そう思うことが多い。
  それでお昼ころである。だれでも、もうお腹がすいている。さっさと食べて、というわけでもないが、リズムは狂わせられない。もう焼き付いていて、イライラしたりもする。しかしである。もう子供でもなくなった。いい加減くたびれて来ている年齢であって、だから一応は我慢する。それが顔に出ないようにしないといけない。これをさっさと打ち切る方がおられると、嬉しくなる。こうゆう方が、親戚筋に一人おられて、この方と話しをしていると、まったく自分のやっている事が恥ずかしく思える。勤勉なのである。だが、「こんなものはクダラン」、などさらりと言う人でもあって、そうゆう意見を聞くと、爽快感を覚える。
  きょうはいい天気でよかったです、そう最後に挨拶をする。すると、年配のその方は、「天気がいいからきょうにした」、とさらりと言われて、まったく一本負け。勝てません。

  それで、今日はもう昼なのにというときに、少し長引く話しというものがあって、急いでその後昼ごはんを胃の中に放り込んだ。もう少しいうと、はたして昼飯を食べたのだろうか、という気もしてくる。どうも、お腹の減り具合からいうと、やっぱり食べたようだ。そうゆう感じがする。このくらいの鈍感さが、その他にも適応されればいい、自分でもそう思う。しかし、どうだろうか。せせこましい世の中。しょうもないことに、色々な鍵をかける。こんどは開けるときに一苦労。まったく、時代は変化はしているが、あるものはよくなっている。これは間違っていない。ただ、それゆえにその反対のものが生じる。便利のための不便がある。作用があれば、必ず反作用があるようだ。足したり引いたりすると、結局は無になる。無のありようが変化して、これもこの先も続くのだろうか。

  
  雨であって、まだ雨が止んでいたときがあった、その続き。




  雨の赤。




  これは、なんだろうかと思うが、雨の中の小さな葉っぱ。




  雨のツツジで、これは雪に埋もれる。




  雨のサザンカの蕾。

時雨模様

2008-10-29 16:24:22 | 散策
  ガシャっと何かがつぶれるような音がする。
  何かが光ったような感じもあって、よくはわからない。
  たぶん雷鳴ではないか。
  恐ろしい。

  真っ黒な雨雲がもうそこに来ていて、しばらくして激しい雨。
  バケツは引っくり返らなかったようだ、雨の神様も、
  それだけは止めてくれたようだ。
  でも、雨雨雨で、これは歌を歌う気分ではない。
  ときに、白いものも見えるように思うから、これは本物の時雨。
  この暗さが来ると、いかにも北陸の冬が来たという感じ。
  大仰に書いてみた。




  昨日のもので、東に見えるかなり高い山の中腹まで、雪。新雪だと思う。




  朝空。ちょうど雲の裂け目辺りから、日が出ようとする。
  雨は上がった。




  稜線か雲の上か、ちょうど朝日が出そうで、まだ出ていない。
  荘厳な感じがする。これは肉眼で見ているほうがずっとよかった。

ムクドリの群

2008-10-29 06:59:15 | 散策
  朝のお天気。晴れ間もあるが、まるで天球の裂け目のようだが、その他は雲で覆われて、驟雨。さっと雨が来る。天気は、やっぱり弱い冬型。これはやっかいである。アメダスの6時の気温、12.1℃、気圧は1011.4hPa。室温15.5℃。パジャマだと寒い。

  着替えに時間がかかる。もたもたしていると、冷えてくる。手帳に必要なことを書いて。今日は15℃、いや15.5℃か、あとはお天気、これは曇りにしておいて、きのうの欄が白いままのところがあるから、これも適当に埋める。こんなことをしているから時間はたつ。
  特に忙しくなく、またやらなければいけないことはあるが、概して一人で頑張ってどうにかなることは少なく、郵便物などを待つと、2、3日は間が空く。何でもネットで、秒単位、小数点の世界でものごとは動いているようで、そうでもないことは多い。ここの書き込みにもずいぶんと時間がかかるし、間違い探しをやってもなかなか見つからず、これは宵の時間、12時間くらいたってようやく気が付いたりする。これはこの後も続いて、きりがない。

  暇なときも多く、双眼鏡で遠くの山を見る。視界さえあれば、ダイナミックなアルプスの山肌まではっきり見えて、この双眼鏡は小さいがよく出来ている。ときに、鳥が視野を横切るが、早過ぎてなんだかわからず、やはり肉眼で、眼鏡越しに見るのがいい。ヒヨドリやら、カラスも多いが、ムクドリも多い。ムクと、ヒヨを間違えて書きやすい。ムクドリは、どっちかというと、ムクッとしている。ふっくらして、体長もヒヨドリ小さい。同じように、柿の実を食べたりするが、ただヒヨドリはモチノキの赤い実を食べるが、ムクドリは食べないようだ。またムクドリはセミを捕まえたりする。しかし、ヒヨドリでは見かけない。

  一時、ムクドリが消えたと思ったら、そうゆう日に限って、ある電線に大群となって止まっていたりする。今は、夜は、豪華な街のほうのベッドに行き、昼は鄙の方に遊びに来るようで、これもかなりの密度で群れ飛ぶ。この塊を見ることがあるが、さほどの個体がいるわけではなく、多くても100羽くらいのようで、都会で見られる、ものすごい真っ黒な雲のような塊、群はまだ見ていない。
  この鳥の動きもずいぶんと激しいようで、水族館で見る、魚群の激しい動きに優るとも劣らない。きのうも目の前に何か黒いものが、ひょいと現われて急回転して電線に止まった。ただのムクドリだが、群れ飛ぶと迫力がある。で、ぱらぱらっと一羽二羽飛び出すと、あっという間に全体に等しいものが一斉に空に舞う。
  この鳥の落し物は、カラス同様恐ろしい。常に電線やら、電信柱の上に、この鳥がいないことを確かめないといけない。
  もっとも身近にいる鳥であって、またさほど話題にもならないところがまたいい。