光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

昔ながらの風景

2008-10-17 18:42:29 | 散策
  よく昔の話しを書くけれど、それも20世紀の後半で、しかも21世紀に近い。なかなか新しいものも目に付かず、昔話を思い出すが、この話の数の多さも、さほど多くはない。限られていて、繰り返しが出たり、似たり寄ったりになるがそれも記憶の強化につながるようで、変貌する。

  いい天気に、少し山の方へゆくことが出来た。海があれば山があるが、この辺りは海は深いらしい、しかしそれを確かめることは出来ない。山はというと、3000m級のものがあるから、これは結構高いようで、例えばさほど離れていないところでも、山と海底との差というと、どのくらいだろうか。
  山といっても、山の入り口ともいえて、さらに、そこから山は遠く、はっきりいうと、そこは山ではないが、しかし山とか言われるらしい。昔、いよいよでるが、この辺りをさまよったことがあるような気がして、さまようといっても迷子になるのではなく、適当に、ほどほどに油を売って、行っては帰って来た。その当時は、さほどいいとも思わなかったのが不思議だが、それは今の時代の変化がやけに激しく、その結果というのも、少し痛々しいものがあるからで、昔ながらという感じで残っているところがやけにいい景色に思える。逆にいうと、当たり前のようにあった、そうゆうものが、身近なところで完全になくなったということだろう。

  河があって、その先に山もある。道は山に向かうが、多くの杉の木が残っている。その道の両側にもあって、また家屋の屋敷林のような感じのものもかなりあって、この豊かさに驚いた。その杉も一昔前はこの辺りにもたくさんあって、しかし、次第に姿を消した。台風で、結構な杉が倒れたりしたこともあった。もう一つは、杉の木も大きくなると、その先が心配になって、あるレベルまでは問題にはならないのだろうが、これ以上大きくなったときに、なにかが起こったら大変という考え方もある。
  これでゆくと、きょう少しだけの感想だけど、杉の木の大きさも適度であって、また周りにも余裕があるところに杉の木はあって、無論他の木もあったが、たしかに、どうゆう環境に杉の木は、あるいは大きな木があるかは、問題として常にある。そこまでゆくと、この先のことはわからなくなるが、きょうの久しぶりに見る、その木々に囲まれているような、山に、河の上流に向かう道はなかなかよかった。これまた滅多に見れないものだとあらためて思った。

  いつもは遠くに見える山々も近くにあって、このあたりから山も見ていたか、これは天気もにも左右されてはっきりしない。さらに、昔に山の風景をどうゆう風に思っているか、これも今は思い出せない。で、きょうのそうゆう風景は、実に新鮮で、心地よいものだった。これに、木々の豊かさがあったのは間違いない。
  山の麓というのも、なかなか魅力的だが、これなどは、あまり近くに行くと現実に呼び戻される。昔もそこにゴルフ場などがあった。いかにも山の麓にゴルフ場は似合うが、そこに自然みたいなものを求めていると、突如きれいな人工の、今時の景色が出ると、少しがっくりする。
  こうゆう場合は少し遠くからその景色を眺めるのがいい。ちょうどいい感じで、ひさしぶりに、昔ながらの風景を見たような気もするが、これもあまりにも井の中のかわずで、知らないことが多すぎることを証明しているのかも。

  大きな柿の木があった。この柿は、まだ緑の葉をたくさん付けていて、この辺りの柿とは大違いだ。実に大きく、その実の数もそれに比例する。この柿の木も、今もよく、また落葉して熟した柿の実だけになると、さらに青空に映えるような気がした。小さなところというのも、それなりの発見があるが、より広いところをザッと回ってみて、昔ながらという風景がまだあったことが印象深い。


  手持ちのファイルの中から、またツマグロヒョウモン。




  このチョウも何回か見た。それで、予想もしていなかったが、現われたので近寄るが逃げる。で、じっとしていると戻ってくる。ムッとする。ネコのように接近している。この姿をよその人が見ると滑稽である。




  翅の裏側をこのチョウでなかなか見ていない。ようやく、その様子を見るが、ほとんど、アカタテハなどと同じだと思う。




  ようやく正面を向いてくれた。




  翅を閉じて、反対側の裏側の様子もはっきりする。




  羽にダメージを受けたチョウで、少し残念だが秋のチョウらしい感じがある。

カエデで紅葉

2008-10-17 16:11:21 | 植物・花(秋)
  きょうは、暑いような気もするが、暖かいともいえて、
  少し複雑である。

  晴れも続くと、だんだん空気のほうも濁ってくるようだ。
  紅葉というと、カエデがまずあるようだが、これはまー平地には
  どこにでもあって、色付きはというと、まだか少し。

  高原の紅葉が降りてくる。この風景は素晴らしい。
  せいぜい新聞で、最新情報を知るくらいだが、今思い出したが、
  秋の高原巡りのパンフレットをすでに見ていた。
  高原の紅葉する木々の名は、そうゆうものを読んでいると、
  なるほどとか思うが、どれがなんという木かという問題は、
  それこそ矢印で示してくれないと、わからない。
  わからないままでも、十分に美しいから、なかなか名を
  覚えるところまでゆかない。

  その点、カエデはかなり楽だ。




  少し赤味があって、これで見ると少しだけ紅葉したようだ。




  赤いのとか、茶色のものが増えると、こんどは緑が新鮮。




  毎年見ているが、このカエデ、どのくらい赤く、あるいは黄色くなるのか、
  それも全然覚えていないことに、今ごろ気が付いた。

サザンカの花

2008-10-17 06:27:30 | 散策
  朝のお天気、きのうに続いて快晴に近い朝。風も弱いか、無風。一日たつと秋晴れも、少し雲が混じって、朝日に赤く染まる。アメダスの6時の気温14.6℃、気圧は1025.0hPa。室温17.5℃、比較的暖かめ。

  アメダスの朝の気温を見て、そんなに下がっていないなと思う。12℃くらいかと思ったら、14℃台で、これは高め。

  サザンカの花がもう咲いてた。この名前がなぜかこの秋初めて見たときに、すぐに出て来なかった。先ほど外に出て、ここの垣にも、サザンカがあってその花が咲いていて、ようやくサザンカという言葉が出てきた。太陽はまだ出ておらず、西の空に、白い少しやせてきた月があって、これが地平に沈むときはかなりに、北に片寄るだろう。夏至の時期の日没の位置と、たぶん同じところ辺り。

  空を見ると、今はヒヨドリの移動が多い。この辺りを飛び回っている。ムクドリのほうが、今は姿を見ない。スズメはどうか、あまりいない。ツバメ、まったく見ない。
  ヒヨドリは、赤い実を食べる。モチノキの実が赤くなってきて、これがその赤みを増すころ、ムクドリの数も増える、たくさんある実も、これも最後にはかなりきれいさっぱりなくなるようだ。去年はこのモチノキの実がなぜか少なく、ことしは多いようで、ヒヨドリにとってはいい秋になる。柿はというと、これがなぜか駄目。他の木は、実の多いものもあるが、ここの柿は今年は不作。