田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

都市伝説/家族伝説    麻屋与志夫

2008-12-17 10:33:03 | Weblog
●かわればかわるものだ。

●玄関のガラス戸の下で影が動いていた。ダイヤガラスなので色や形がはっきりしない。(ダイヤガラス。注。ただの凹凸があるだけかもしれない)

●鳴き声がした。猫ちゃんだ。わがやのブラッキのご帰還とおもった。

●カミサンがソソクサと戸をあけた。

●外猫。チビのひさしぶりのご来訪だ。

●「これは、これはよくわが家においでいただきありがとうござします」

●わたしはあわてて削り節のパックをもって玄関にいそいだ。

       

       

●チビはさっそく、デングリカエリの得意のポーズでカミサンを感激させていた。

       

●「どこにいっていたの。よく忘れないできてくれたね」カミサンは涙声。

●数か月前にふらりとやってきたときには、やせ細っていた。もうこれまでの命。病気にかかっているのだろうと思ったものだ。

●かわれば、かわるものだ。あれほど猫嫌いだったカミサンが目に涙。とまではいかないが削り節にむしゃぶりつくチビの背をなでている。猫に触れることもできなかったのに。

●第一次オイルショックのときだった。と……思う。まだ家業である麻屋をしていた。関西に毎月出張していた。お酒もいくらでも飲めた。焼き鳥を四皿もペロリとたべられた。浅草の居酒屋で飲んでいて「鹿沼なら串の産地ですね。なんとかさがしてくださいよ」といわれた。

●それまでわたしは故郷鹿沼が、焼き鳥の串の産地であるとはしらなかった。割りばしの産地とはしっていたが……。

●そこでわたしは……。「鹿沼にはむかしから吸血鬼伝説があってね」とやったものだ。居酒屋のおやじは「えっ」というような顔をした。

●吸血鬼退治の杭が縮小化されたのが、いまの竹串で……とはじめた。

●ともかく、太平山の「青頭巾」の話がある。栃木は隣町だ。あの話は、日本吸血鬼の、ハシリであると信じているわたしなのだ。

●那須野が原の黄金の九尾のキツネ、ダキニ説までもちだした。さらに、安達が原の鬼婆。こうなったらとめどがない。吸血鬼作家の蘊蓄をフル活動、ついに都市伝説をつくりあげてしまった。

●鹿沼は日本吸血鬼の故郷。

●1973年のことだ。それがいまごろ、このわたしがホリゴタツでぬくぬくとブログを打っている。麻屋の商売もやめ、作家として再スタートしょうとしている。あのころのように、原稿料をかせがせてくださーい。

●かわればかわるものだ。

●カミサンは「猫と亭主とわたし」というブログを立ち上げた。いまはバラ園芸に夢中だ。あれほどきらっていた猫を抱っこして頬をよせあっている。

●ねえ、カミサン。こっちむいて。鶏肉すきになってよ。ふたりで東京の屋台で焼き鳥でお酒のもうよ。

●「それはむり。ムリ」

●それだけは、かわらないわ。

●カミサンはキッチンに逃げこんだ。

●「いうこときかないと血を吸うぞ。焼き鳥たべないと、血を吸うぞ」

●「いいかげんにして。串で刺すわよ」

●イマは売れ筋から外れた吸血鬼作家のカミサンは竹串ならぬ金属の串で亭主のために焼き鳥をやいているのでありました。

●手にするのもおゾマしい鶏肉を串にさしているのでありました。

●串で胸を貫かれないためにも、精進して吸血鬼と小説を書きつづけようとしている麻屋与志夫なのでありました。

●かわろうとしても、かわれないものも、あるんだな。




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ああ、快感。


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