田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

徘徊老猫、徘徊老人。  麻屋与志夫

2017-06-06 05:44:41 | ブログ
6月6日 Tue.
徘徊老猫、徘徊老人。

●わが愛するメス猫ブラッキ―も日ごとに歳をとっていく。ツメがひっこまなくなってしまった。絶えず白い鋭いツメがでている。カミサンなどはそのツメでスラックスの膝のあたりがボロボロだ。

●わたしはジャジィをはいている。ブラッキ―がひょいと跳びあがって膝にのろうとした。ツメが布地にひっかかってヌケナイ。わたしの膝からぶら下がったような状態になった。かわいそうに、跳躍には自信があったのに。猫としての自尊心でも傷つけられたように、ショボンとしてしまった。

●「しょうがないよ。20年もガンバって生きているのだから。イロイロアラァナ」
と、なぐさめてやった。『猫の爪は、通常靭帯の張力で自動的にさやの中に収まるように出来ています。しかし老猫の場合はこの靭帯の張りがなくなり、爪がずっと出たまま戻らない状態になります』――検索してみたら、ということでした。ようするに筋肉が弱くなったということだ。

●人間さまのオイラだって、ドッコイショと掛け声をかけてなにかにつかまるか、畳に両手をつかないと立ちあがれない。筋肉が弱まっている。イャになっちゃうな。散歩して鍛えているのに。腰が痛む朝もある。
「がんばろうな。ブラッキ―」

●そのうえ、ブラッキ―はいくらか痴呆症の症状をみせはじめた。こまめに、外にでたがる。でたとおもうと、すぐに帰ってくる。またでたがる。顔もうつろだ。
「ブラッキ―、シッカリしてよ」

●オイラ自身のことを省みて、人ごとならず、おもいあたることがあるので励ます言葉も真摯なものとなっていた。むしょうに外にでたくなるときがある。カミサンをさそっても、この季節はバラの世話で手いっぱいで、同伴してくれい。先日などひとりで散歩に出た。知人宅の前をとおった。おもわず声をかけてしまった。やはり、さびしいのだ。人恋しいというか、周囲の人に声をかけたくなる。オイラがこういう、今までにしなかったことをするということは脳の老化なのだろう。これではブラッキ―とおなじだ。徘徊老人のはじまりだ。

●「おい、ブラッキ―! 抗加齢化推進協会のひとに興味をもってもらえるようにガンバロウゼ」
と愛猫にかける声はまだ甲高く若者のようだと自負するオイラ22日、夏至の日には84歳とあいなります。


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