田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

朱の記憶(7)   麻屋与志夫

2008-11-18 14:23:49 | Weblog
 絵を描くことを断念して本の世界を渉猟するうちに、わたしの街が玉藻の前、九尾の狐を追いつめ滅ぼした旧犬飼村を含んでいることを知った。
 そして玉藻が血を吸う夜の種族であることを。
 玉藻はあるときは、ダキニとして理解されている。
 美を吸って、美しいものを愛でていきる吸美族の出身である玉藻。
 わたしはそのことを探りだしていた。

「おそれることはないのよ」
 どこからともなく頭にひびいてくる。
 声はささやきかけていた。
「わたしはずっとここにいる。ながいことあなたを見守ってきた」
 しかしだれも見えない。
 声だけがしていた。
 人影は広い病室のどこにもない。
 
 太股の傷で入院しているわたしに声が聞こえてきた。
 わたしは腿の肉が再生する早さに疑問をもっていた。
「ここよ。ここ」
 おどろいたことに、声は中にいた。
 声は頭。外からひびいてくるのではなかった。
 声はわたしの中で笑った。
「ながかったわね。いつあなたが覚醒してわたしの声がきこえるようになるかと……」
 すこし鼻声になった。
「まちくたびれて、あきらめかけていた。もう、あなたはこのまま平凡な男のまま生きていくのかとあきらめていた」
 わたしはそのつもりだった。
「あなたはうまれて三日目に悪魔につれていかれた。わたしのほんの寸時の油断のために。隙をつくったわたしがわるかったの」
  
 そんな声無き声をきくことができるようになっていた。

「ながかった」
 それが内部にある声なのか、わたしがこれから書こうとしている小説のなかの会話なのか、わからない。
 わたしはベッドでうとうとしながら聞いていた。
「ながかった」
 わたしはわたしの町の人狼伝説を書きだしていた。
 たえずこれまで邪魔されてきたが、それが人狼がわたしにおよぼしている害意だとすれば、すべての不可解なことが解けてくる。       
 
 夕暮れの茜色。
 巨大な鯨の胴をまっぷたつに割いたような赤黒い雲。

 茜色などというロマンチックな色彩ではなかった。 
 わたしはこの色を恐れてきた。





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朱の記憶(6)   麻屋与志夫

2008-11-18 04:20:37 | Weblog
 赤い色彩こそわたしのすべてだった。
 目に映る風景ではなく、心に映る色彩だけがわたしのすべてだった。

「あなたの虎馬みつけだせた」
 悪戯っぽく、そして親しみがこめられている。
 トラ、ウマと日本語のように聞こえてくる声。
 背後のK子の声が訊く。
 わたしは現実にもどった。
「わたしは絵描きになろうとはしなかった。物書きになろうと努めてきた。そのおかげでつきとめた。虎でも馬でもなかった」
 わたしはK子のブラックジョークにのった。
「狼だった」
「そう。わかったのね。そこまでわかればあと一息ね。うれしいわ」
 夢の中での会話のようだった。
 こうして夢にまで見てきたK子と会っていること事態が、あまりにもシュールだ。
 わたしは、黙ってしまった。
 頭がモヤモヤする。
 なにか思い浮かびそうだ。
 あと一息。
 今少し……。
 それからさきへはなかなかすすめなかった。

 わたしの出自にかかわる陰惨な秘密には到達できないでいた。      
 最高のアートフィリアとは、じぶんの好きな絵の中に点景人物としておのが姿を象嵌してしまうものだ。
 ダリの赤。ダリの「特異なものたち」の赤。……赤。
 奥田玄宗の紅葉の赤。精神性までも表現した赤はいたるところにあった。
 だがMの赤のような、なまめかしくも、妖しい赤は……なかった。
 人間の存在そのものにまで遡行していくような赤。
 その――血液のような赤、で描かれたわたしの裸身像をもとめて……ながいこと美術館や展覧会の会場を巡って来た。

 それも、これで終わりだ。

 生活苦のために手放してしまったこの絵をもういちど観たいと……。
 どんなに後悔しながら、生きてきたか。

 その後悔ともこれでさよならだ。
 これでようやく終りだ。
 やっと、たどりついた。           
 Mの展覧会。
 あれから彼女が六十年ちかく、九十四歳まで生きての、展示作品94。
「さいたさいたさくらがさいた」。
 彼女が生涯おいもとめたやわらかな淡い赤。
 大磯の白い桜の花がゆれていた。
 作品95。「花」。彼女の作品にはいつもどこかに赤の影が見えていた。
 彼女はいちはやく、あのとき画家としての直感から赤の記号(シニィ )の意味を読み取っていたのかもしれない。
 
 わたしはMの赤によって癒された。
 わたしの朱の記憶が一瞬もえあがりそして沈静していくのを感じた。
 わたしの中心にあった痛みと恐怖がうすらいでいった。
 こんな絵の鑑賞のしかたは邪道なのだろう。
 わたしの脳裏に色濃くわきたっていた恐怖の朱の色。
 母の唇。
 血をすったような真紅の唇。
 くちびるからしたたる赤い滴。
 奇妙に白すぎる歯。




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