ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『 最後のご奉公』 - 3 ( 外交官への決意 )

2021-08-12 21:43:57 | 徒然の記

 氏は、ドキュメント作家と呼ばれますが、一体その意味は何なのでしょう。ネットで調べても、当たり前すぎるせいか、説明がありません。「ドキュメント」だけを検索すると、これはあります。

  1 資料的な文書。記録。   記録映画。記録文学。

 「ドキュメント」の対立語は、「フィクション」ですが、反日左翼の学者たちや、テレビや新聞が常に手本を見せていますから、これは検索しなくても知っています。空想、作りごと、絵空ごと、捏造、嘘・・と、いくらでも言葉があります。

 20才の心で、読書をしていますが、私の心には学徒の躍動感がありません。塩田氏の著書の一行ごとが、苦い薬を飲んでいるような味です。作家が伝記を書くというのは、その人物に好感を持っているからです。嫌悪する人物の伝記を書いた作家の話は、聞いたことがありませんから、氏が幣原氏について述べるとき、好意的な語り口になるのは、当然です。

 現在192ページを読んでいますが、幣原氏の「国際協調外交」、「平和外交」を好意的に語れば、勢い軍や政府の政策には、批判的になります。

 氏は反日左翼作家ではありませんが、微妙に私と異なる位置に立っています。幣原氏を肯定し、憲法を肯定し、GHQを肯定する、その氏を肯定すると、

  ・「自主憲法制定」  ・「皇室護持」・・

 という、日本の一番大切なものに到達できません。知らないことを教えてくれる氏は私の師ですから、黙って読みますが、息子たちには言います。この書がドキュメントであるのなら、学徒は教えを受けるしかありませんが、こんな読書ばかりをせずにおれない戦後の日本を、父は無念に思います。

  1. 資料的な文書。記録。   . 記録映画。記録文学。

 ネットの説明はそうですが、資料でも、記録でも、作者の取り上げ方次第で、違ったトーンが生まれます。羅針盤の針をそこに合わせ、ためらいつつ、戸惑いつつ、私は先へ進みます。

 幣原氏が、外交官を目指そうと思った、直接のきっかけは、大学二年の末に起こった、日清戦争だそうです。明治27年8月、日本は清国に宣戦布告しました。

 「世界中の人々は、新興国の日本がアジアの老大国の清と戦っても、」「勝ち目はないと思った。」「日本とすれば、国運を賭した戦争であった。」

 しかし日本は、黄海海戦に勝利し、旅順口を攻略し、山東作戦を実施し、ついに清の北洋艦隊を降伏させました。李鴻章との間で講和の談判が始まり、下関条約が調印されます。

 「幣原が大学三年だった1年間、日本国中が、」「日清戦争一色に、塗りつぶされた。」「同じ年頃の若い連中は、口を開くと悲憤慷慨し、国の行く末を論じ合った。」

 日本は下関条約で、清から台湾と遼東半島を獲得しました。しかし、ロシア、フランス、ドイツの三国が異を唱えました。この話は「臥薪嘗胆」の言葉とともに、誰もが知っていますが、日本は遼東半島を還付させられました。

 「日本は戦争に勝って、外交に負けたのだ。」「こんなことではいけない。」「国運を打開するため、俺は外交官になるぞ。」

 氏は固く決心したそうです。その氏が、どうして国運を傾ける「日本国憲法の生みの親」と言われるのか。先を読まずにおれません。本日はここで終わりますが、明日も続けますので、「ねこ庭」へお越しください。( 楽しいことや愉快なことは、当分ありません。)

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『 最後のご奉公』 - 2 ( 陛下とマッカーサーの写真 )

2021-08-12 14:41:53 | 徒然の記

 どのページを読んでも、日本の歴史です。随分本を読んだつもりですが、塩田氏の著作は私の知らないことを沢山教えてくれます。

 「知っているつもりなのに、知らなかった事実」・・そんなものばかりです。私たちがよく知っている、「陛下とマッカーサーの写真」もその一つです。モーニング姿で立たれた昭和天皇の脇に、開襟シャツ姿のマッカーサー元帥が立っている、あの有名な「写真」です。

 敗戦というものが、どういう現実だったのか、息子たちのためにも、氏の叙述を紹介しようと思います。

 「昭和20年9月15日、総司令部は横浜から東京に移り、」「日比谷のお堀端に立つ第一生命相互ビルに、陣取った。」「マッカーサーの公邸は、そこから20キロ先の米国大使館内に設けられた。」「天皇は総司令部でなく、大使館の方へ出向くように言われた。」

 これが陛下とマッカーサー元帥の、歴史的な会見の叙述で、他の本では陛下のお気持ちや随行者など、詳しく書いていましたが、氏は簡単に説明しています。

 「天皇が案内されて入ると、マッカーサーがノーネクタイの開襟シャツ姿で迎えた。」「挨拶が終わると天皇は、お付きの者を一人一人紹介した。」「マッカーサーは、天皇と通訳の奥村二人だけで、隣の応接間に入るように言った。」

 部屋に入ると、いきなりマッカーサー元帥が、「ここへお立ちください」と言い、陛下は部屋の中央に立たれた。

 「何をさせられるのかと思っていると、マッカーサーが大股で近づいてきて、」「横向きに並んで立った。」「それを合図に、陸軍写真班の腕章を巻いたアメリカ兵が現れた。」

 彼はガエタノ・フェレーズという名前の、元帥専属のカメラマンで、彼と共に各地を転戦してきた人物でした。彼は天皇と元帥の姿を何枚か撮り、終わると部屋を出て行きました。あっという間の出来事だったそうです。

 ここから先も、私の知らなかった事実です。

 「東久邇内閣は、天皇のマッカーサー訪問について、一応秘密にした。」「天皇が、敵将であるマッカーサーを自ら訪問したという、」「前代未聞の事実を、国民にどうやって知らせたら良いのか、」「説明に苦慮した。」「その結果会見の事実だけを簡単に発表し、お茶を濁した。」

 「ところが総司令部は、大々的に発表し、」「日本が戦争に負けたことを、日本国民に思い知らせようと考えていた。」「そのためわざわざ、天皇とマッカーサーが並んで立つ姿を撮影させたのだ。」

 総司令部は、この写真を新聞各社へ送りましたが、当時の日本にはまだ、報道の事前検閲制度が残っていました。しかし総司令部から送られてきた写真であるため、各社は、一面のトップ記事で報道しました。

 「刷り上がった翌日の新聞を見た、内務省の検閲官は、目を丸くした。」「内務省は協議の結果、朝日、毎日、読売の各社に対し」「発売禁止処分を通告した。」「開襟シャツ姿のマッカーサーと、モーニング姿の天皇が並んで立つ写真を発表することは、」「畏れ多いという判断である。」

 翌朝そのニュースが総司令部に伝わり、成り行きを見守っていたマッカーサーが激怒します。総司令部はマッカーサーの名前で、指令を発しました。

 「新聞と通信の自由に関する制限は、すべて撤廃せよ。」

 総司令部の民間情報検閲課長のフーバー大佐が、新聞各社の代表を呼びつけました。

 「発禁処分を受けた新聞も、自由に発行して差し支えない。」

 ところが検閲の大元締めである内相の山崎巌は、総司令部の考えについていけませんでした。司令が出された直後に、新聞記者を集め、自分の見解を述べました。

 「言論、出版、結社については、今まで通り許可制をとるが、」「制限は飛躍的に緩和されている。」「しかし、治安警察法の精神はこれからも生かしていくつもりだ。」

 「国体を破壊するような言動は、依然として取り締まりの対象になる。」「政治犯の釈放は、当面考えていない。」

 日本の終戦時の内閣は、鈴木貫太郎内閣でした。彼は陛下の玉音放送が終わるとすぐに、総辞職し、後継首班に選ばれたのが、皇族の東久邇宮稔彦氏でした。敗戦が決定しても、未だに本土決戦を唱える軍人があちこちにいたため、天皇の威光が必要でした。皇族内閣を作るしかないと考えたのは、内大臣木戸幸一でした。

 それを考えますと、山崎内相の意見も一つの事実として納得しますが、著者の塩田氏は切り捨てます。

 「時代錯誤の内相談話は、すぐさま総司令部に伝わった。」

 時代錯誤も何も、戦争は終わったばかりです。別の言葉は、思いつかなかったのでしょうか。内相の言動を、すぐさま問題視した総司令部の側に立つ叙述です。

 「内相の発言は、占領政策批判ではないかと、総司令部が構える。」「総司令部の中から、内相を首にすべきだという声が出ているそうです。」「噂を聞きつけた、内閣秘書官長の緒方竹虎が、首相に会って耳打ちした。」

 首相は即座にマッカーサー元帥を訪ね、皇族である自分の内閣がいけないというのなら、いつでも辞めると申し入れます。元帥は、皇族であっても首相の思想と言動は民主主義的であると言い、辞任を求めませんでした。

 その6日後に、総司令部が次の要求を入れた覚書を示してきました。

 ・政治的、公民的、及び宗教的自由に対する制限の除去

 ・内相を含む全国の警察幹部と、特高警察全員の免職

 ・政治犯の釈放

 これを見た首相の言葉を、そのまま転記します。

 「マッカーサー元帥は、この前の会見の際、大臣を変える必要はないと言っていた。」「にもかかわらず、1週間も立たないうちに、この指令を出してきた。」「これは元帥が、私の内閣を信用していないということだろう。」

 東久邇首相は、全閣僚の辞表を取りまとめ天皇へ提出したということです。当時も今も、こうしたGHQ統治下の話は、ほとんど語られません。新聞やラジオが事実をそのまま伝えていたら、果たしてGHQの統治は成功し得たのかと、疑問が湧いてきます。総司令部は、日本政府の言論統制は撤廃させましたが、自分たちの統制は容赦無く守らせました。70年以上経った今も、その統制の多くをマスコミが守り続けています。

 息子たちは、今回のブログをどのように受け止めるのでしょうか。

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『 (宰相 幣原喜重郎) 最後のご奉公』

2021-08-11 14:17:42 | 徒然の記

 塩田潮氏著『 (宰相 幣原喜重郎) 最後のご奉公』( 平成4年刊  文芸春秋社 )を、これから読みます。580ページの、分厚い本です。

 「親英米派の外交官であり、外相だった。」「国際協調による平和外交を主張し、軍部と衝突した政治家。」と、私は氏について、この程度のことしか知りません。付け加えるとしたら、対英米戦争を考えている軍部から、幣原外交は「軟弱外交」「国辱外交」と誹謗されていた話です。

 朝日新聞でさえ、当時は聖戦遂行の記事を華々しく書いていたのですから、あの頃の軍に従わないというのは、誰にでもできることではありません。「国辱外交」と批判されても、信念を曲げなかった氏は、むしろ大した人物だったのではないでしょうか。現在の自民党議員諸氏が、党内の媚中勢力と公明党に忖度し、反日左翼マスコミを恐れ、「中国非難決議」さえできない現状を見れば、幣原氏との違いが分かります。

 しかしその人物が、憲法九条に大きな貢献をしていたというのですから、ショックです。どのような状況下で、どのような経緯でそうなったのか、是非とも知らなければなりません。78才の学徒ですが、20才の気持ちに戻り探究心が燃えます。巻末に、著者の略歴がありますので、まずそれを転記します。

 「昭和21年高知県生まれ、慶應大学法学部卒。」「文芸春秋社の記者を経て、昭和58年に独立しノンフィクション作家になる。」「著書『霞ヶ関が震えた日』で、第5回講談社ノンフィクション賞を受賞。」

 今はここまで知れば十分なので、先を急ぎます。

 目次を見ますと、序章から終章まで19章の構成で、「ワシントン会議」、「満州事変」、「濱口首相狙撃事件」「敗戦」、「大命降下」、「マッカーサー草案の衝撃」と、激動の昭和が語られています。

 後書きの叙述にも、心が惹かされました。

 「幣原喜重郎は、忘れられた宰相である。」「明治、大正生まれはともかく、昭和生まれの日本人の大半は、」「昔、幣原という首相がいたと聞かされても、顔も名前も浮かばないというのが実態であろう。」「しではら・きじゅうろうと云う、読み方さえ知らない人が少なくない。」

 私もその一人でしたから、本棚に並べていても、特段の注意を払いませんでした。今回初めて手に取り、後書きを読み、強い関心を覚えました。

 「戦前は『幣原外交』、戦後は『日本国憲法の生みの親』といった活躍をしながら、」「これまでほとんど、正面から取り上げられることがなかった。」「それには、隠された事情があった。」

 「云うまでもなく、憲法をめぐる戦後の果てしない論争、」「根深い対立が、その最大の原因だった。」「幣原氏を取り上げようとすると、憲法制定の経過、」「とりわけ第九条の、戦争放棄条項が設けられた事情について、触れないわけにはいかない。」

 自分の知らないことを教えてくれる人は、全て師と云うのが私の信条ですから、潮田氏はこの時から、私の師になりました。姿勢を正して読みました。

 「ところがこの部分は、戦後最大の論争テーマであり、」「容易に踏み込むことができない、問題であった。」「とりわけ戦前の『平和外交』の象徴とも云うべき氏が、」「戦後『平和憲法』の起草に関わったという巡り合わせを、どう位置づければいいのか。」「誰もが、容易に回答が出せなかった。」「そのため氏は、歴史のエアポケットに置き去りにされたのである。」

 たとえ師であっても、「平和憲法」という言葉は気に入りませんが、平成4年と云う時代を考えれば、黙認するしかありません。どんな時代だったのかを、息子たちのため、ネットで調べましたので転記します。

 ・内閣総理大臣 宮沢喜一氏

 ・内閣官報長官 加藤紘一氏 12月12日より河野洋平氏

 ・鄧小平氏 「南巡講話」の開始 ( 湖北省武漢より )

 ・イギリス 保守党メージャー政権誕生

 ・細川護煕氏が、日本新党結成

 ・金丸信氏が、佐川急便から55億円受領した事件で、副総裁辞任。のちに、議員辞職、経世会会長辞任

 ・経世会会長 羽田孜氏  会長代行 小沢一郎氏

 ・天皇中国訪問 歴代天皇初の訪中

 ・アメリカ大統領に、民主党ビルクリントン氏当選

 ・羽田孜氏、小沢一郎氏が経世会脱退し、羽田派(改革フォーラム21)を結成

  ・韓国大統領に、金泳三氏当選

 朝日新聞の、捏造慰安婦問題の記事に大慌てし、ろくに調査もせず金大統領に平謝りした宮沢氏と、日本国民を苦しめることになる「河野談話」を発表した官房長官の時代です。この時に出版された本なら、著者が「日本国憲法」を「平和憲法」と言い間違えても、致し方無しでしょうか。

 前置き(予備知識)はこのくらいにして、次回から書評を始めます。

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予定変更 ( 日本国憲法)

2021-08-09 18:26:17 | 徒然の記

 8月2日の千葉日報に、共同通信社が「憲法発布直後の芦部論発見」と言う記事を配信しました。発見された論文の写真を入れた、5段組の大きな記事です。書き出しの12行を転記します。

 「戦後日本を代表する憲法学の権威で、多くの大学で教科書として使われる、」「『憲法』(岩波書店) の著者、故芦部信喜東大名誉教授が、日本国憲法発布直後の1946年11月15日、」「23才で書いた論考の存在が、今年6月明らかになった。」

 憲法学の権威は、宮沢俊義教授しか知らない私なので、そんな名前の教授がいたのかと思いました。憲法改正が語られている今、共同通信社はなぜこのような記事を全国に配信するのか。

 論考が発見されたのは、芦部氏の出身地長野にある土蔵からだと言います。氏の自宅でなく、どうやら氏が発行していた『伊那春秋』の読者の蔵の中だったようです。ガリ版刷りの小冊子に「新憲法とわれらの覚悟」と言う題で書かれています。

 「新憲法ができても、国民自身が主体となる意識を持たなければ、国は変わらず、」「権力に支配されない主体である自覚を持つことが重要だ。」

 これを読んだ専門家が、「現代への問いかけにもなっている」と話している・・と言うのが、記事の書き出し部分です。

 東大入学直後に学徒動員された氏が、敗戦後に自宅へ戻った昭和46年に書いた論考だそうです。個人の自由と権利を主張する23才の氏が、マルキストだったのかリベラリストだったのか、私には分かりません。

 大学者だったとしても、23才の学生時の、しかも発布されたばかりの憲法への意見を、なぜここまで持ち上げのるかと、不思議でなりません。「日本国憲法」が、戦後の日本を歪なものにした元凶と考えている私にすれば、共同通信社の記事自体が、不快感を覚えさせます。

 「論考の冒頭で芦部氏は、個人の自由・権利よりも、」「権力を持つものに従うという封建的心情を、国民自らが改める必要性を述べた上で、」「封建時代から継承された、他力本願的な気持ちを清算できないなら、」「明治憲法に比べ、飛躍的に近代的な内容を持つ新憲法を、」「時の経過とともに、空文に葬り去ってしまうと、指摘している。」

 マッカーサーにより強要された現行憲法が、当時の学生にどのように受け止められていたかを知る、参考資料にはなりますが、75年経ち、国際情勢が変化した今になって、共同通信社は何を考え芦部氏の論考を評価するのでしょう。

 特に憲法九条は、日本人の精神を崩壊させた元凶ですから、学徒兵帰りで、反軍思想の学生の意見をここまで誉められると、時代錯誤の印象を受けます。長いので記事の途中を省略し、最後の叙述を紹介します。氏の教え子で、北海道大学で憲法学を教えている高見勝利名誉教授の談話です。

 「新憲法を受けて、先生が一国民として、どういった自覚が必要なのか、」「自分を納得させる、覚悟のようなものだったのではないか。」「芦部憲法学の、原点とも言える。」

 「日本だけが間違った戦争をした」「日本だけが悪かった」と述べ、国を守る軍隊を否定したのが現行憲法です。敗戦直後の混乱した時代には、美しい言葉で書かれた憲法に、魅了された国民が少なからずいたのは事実だと思います。しかし75年が経過し、さまざまな矛盾と、国論を二分する不幸の種となっている憲法は、その役目を終えました。

 菅総理は、「憲法改正」の旗を掲げた安倍氏の後継と公言しながら、ほとんどこれについて言及していません。「武漢コロナ」への対応と、オリンピックの開催について、マスコミに批判ばかりされているせいもあったと思いますが、本当に自民党の総理なのかと、私は首を傾げています。

 スクラップ帳を見ますと、7月27日の切り抜きがありました。共同通信社の配信記事で、「首相、コロナ収束後に」「憲法改正、挑戦したい」と言う見出しがついています。月刊誌の記者にインタビューされ、答えたものです。

 「新型コロナウイルスに打ち勝った後、国民的な議論と理解が深まるよう、」「環境を整備し、しっかり挑戦したい。」

 国民的議論などと言う前に、改正に反対する公明党と党内で邪魔する議員の掃除が先でないのかと、菅氏の本気度の無さに怒りを感じます。

  総理に就任した時、菅氏は反日左翼の筆頭である共同通信社から、首相補佐官として前論説副委員長の柿崎明二氏を起用しました。共同通信社への働きかけの一環かと、期待するところもありましたが、こうしてみますと、逆に取り込まれているようで、自民党への信頼が、さらにダウンします。

 本棚を見て、驚きました。なんと芦部信喜教授の著書、『憲法』(岩波書店) が、未読の書の中にありました。本をめくりますと、55ページに次のような叙述がありました。

 「憲法成立の経緯には、アメリカを中心とする連合国側の動きもあるが、」「当時の幣原首相の平和主義思想が、マッカーサー・ノートの一つのきっかけとなっていたと考えられる。」

 「幣原首相はマッカーサ元帥を訪問し、戦争放棄という考えを示唆したとも、伝えられている。」

 ずっと以前から、『宰相 幣原喜重郎 最後のご奉公』という未読の書があります。重要視する人物と思わなかったため、そのままにしていましたが、こうなりますと話は別です。ざっと目を通しますと、憲法改正時の事情が詳しく書かれていました。

 ということで、私の読書計画予定が、大きく変わります。『近代の戦争』〈全8 巻〉を読むことにし、一巻目の「日清戦争」を手にしていましたが、中断します。

  1.  塩田潮氏著『宰相 幣原喜重郎 最後のご奉公』( 平成4年刊  文芸春秋社 )

    2.  芦部信喜氏著『憲法・新版』( 平成11年刊  岩波書店 ) 

 真剣さが見られない菅総理と、日本を取り戻す気概のない自民党内の媚中、媚韓議員諸氏の顔を思い浮かべながら、本日から「温故知新」の学徒に戻ります。台風が近づいているのか、通過しているのか、激しい風が「ねこ庭」で吹き荒れています。まるで私の心のようです。

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ネットの世界

2021-08-06 22:43:11 | 徒然の記

 マスコミが正しい報道をしていない。日本だけでなくアメリカも、赤裸な情報操作をしていると分かって以来、ネットの情報が重要視されるようになりました。

 「本当のことが知りたい」「偏らない事実が知りたい」「誰が事実を伝えているのか」、マスコミが信じられなくなれば、対極にあるネットに関心が移ります。ここ一二年、私も同じ道を辿りましたが、本日、一つの結論に達しました。

 「ネットも既存マスコミの情報も、大きな違いがない。」

 今更そんなことを言うのかと笑われそうですが、息子たちのために、自分の頭を整理してみます。

 〈 既存マスコミへの認識 〉

  ・ 嫌悪する反日マスコミだが、彼らの報道があるから、私は世界の動きを知ることができる。

  ・ 彼らが報道しない事実を知れば、隠されている重要な動きが推察できる。

  ・  いくら批判攻撃しても、彼らがいなければ、私は何の情報も掴めない。 

 〈 ネットの情報への認識 〉

  ・ ネットの世界の情報にも、玉石混交があり、信頼すると騙される。

  ・  既存メディアは、少なくとも調査をしているが、ネットには伝聞、憶測、推測による情報が多くある。

  ・  批判攻撃しても、ネットでなければ掴めない貴重な情報がある。

 当たり前の話ですが、「いずれの場合も、判断するのは自分で、全て参考情報に過ぎない。」・・今晩私は、これを息子たちに伝えようと思いました。

 政治の世界についても同じことが言えますので、息子たちに伝えなくてなりません。 〈 反日左翼野党 〉対〈 自民党 〉と、言う図式に置き換えられます。

 〈 反日左翼野党への認識 〉〈 既存マスコミへの認識 〉同様、私の頭の中で、日本をダメにする原因の筆頭でした。ここを変えれば、「日本の過去」が取り戻せ、日本の再生ができると一途に思っていました。

 これはそのまま、〈 自民党への認識 〉〈 ネットの情報への認識 〉という図式です。自民党を支援し、ネットの情報を信じ、自分の意見を発信すれば、「日本の過去」が取り戻せ、日本の再生ができると一途に思っていました。

 しかし今私の自民党への信頼は、以前のように強固でありません。むしろ、政権党である自民党が、戦後レジームからの脱却を阻害していたのではないかと、そんな疑問が大きくなっています。ブログを始めた頃は、ネットの情報を高く評価していましたが、玉石混交の事実を知るにつれ、ここにも疑問を抱くようになりました。

 けれどもこの疑問は、全てが振り出しに戻ったと言う挫折感ではありません。日本や世界について、以前より深い認識を得たという喜びである気がします。「学びの学徒」として、精進した結果、一歩前進したのでないとかという満足感です。

 息子たちに言います。父はここから再スタートを切ります。連日の酷暑の中で頑張っている、選手たちのように再挑戦します。知ることを諦めてはいけません。自分の可愛い子供たちのためにも、親は諦めてはいけません。きっとご先祖さまたちも、そのようにして生きたのだと思います。

 次回から、具体的な説明をするのか、しないのか。まだ決心がつきませんが、今晩は自分にとっては記念すべき夜になります。名前をつけるとすれば、

 「2020オリンピックの、ある夜の発見」・・です。

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陛下と宮内庁長官 - 4 ( 高輪のご意志 )

2021-08-04 13:52:34 | 徒然の記

 今回は、篠原常一郎氏の7月17日と7月18日の動画から得た情報をもとに、説明を続けていきます。いずれも長い動画なので、必要と思われる点のみを抜粋し、紹介します。

 〈 7月17日の動画  〉

   ・ 6月24日の西村長官談話にある、「陛下」とは「高輪のご意志」であったことが判明

  ・ 「高輪のご意志」とは、上皇陛下または美智子様のご意向の意味である。

  ・ 杉田内閣官房副長官と相談の上での、記者会見であった。

 〈 7月18日の動画  〉

   杉田内閣官房副長官(80才)は、今年の秋に退任予定。

  ・ 杉田内閣官房副長官は、皇族によるリークを抑えるため、警察官僚だった西村氏を宮内庁長官に据えた人物。

  ・ 杉田氏は、女性宮家、女系天皇反対論者。

  ・ 今年秋に、有識者会議の報告書がまとめられ国会に報告されるが、これに余計な影響を与えないため、KK問題に関する問題を年内封印するという決定がされた。

  ・ 宮内庁は、年内いっぱいKK問題に関与しない。

 篠原氏はこの決定に協力する意味で、KK問題については、特別のニュースを掴まない限り、動画の発信を控えると述べていました。しかし7月17日と7月18日の動画は、私のこれまでのブログに大きな影響を与えました。

 7月17日の動画につきましては、7月21日に「国難の美智子様」というタイトルで、すでに「ねこ庭」で取り上げていますが、7月18日の氏の動画で、「高輪のご意志」が確定情報となりました。こうなると、青山繁晴氏への私の反論も修正する必要が出てきます。

 「宮内庁は、KK問題に関与しない。」という決定をしたのが誰なのか、動画の説明では曖昧ですが、小室母子に関する情報発信が、宮内庁から無くなるというのは確かです。逆の見方をすれば、眞子さまご結婚問題が、皇位継承問題にそれほど大きな影響を与えているということになります。

 問題を複雑にしている「高輪のご意志」については、次のような怪しげな情報があります。真偽不明なので、引用するのを躊躇いますが、こんなネット情報もあるということで、参考程度に読んでください。

 「美智子様は、初孫である眞子さまを大変可愛がっておられる。」「眞子さまも、色々なことを相談されており、小室圭氏との結婚についても、」「美智子様は理解を示されている。」

 「ご両親が反対されても、眞子さまが強気でおられる背景には、美智子様のご理解がある。」

 信じる気はありませんでしたが、篠原氏の動画で、西村長官の陛下発言が、「高輪のご意志」だと分かりますと、真偽不明だった情報にも注意したくなります。予想していた以上に、美智子様のご関与があるとすれば、秋篠宮様の優柔不断さも、西村長官の曖昧な対応も、自ずとうなづけてきます。

 美智子様について正直に語れば、国民はもっと驚き、皇室への不信感が高まりますから、関係者は口をつぐむしかありません。そうであるなら西村長官は、青山氏が語るように、「まれに見る国士であり、素晴らしい人物」なのかも知れません。

 中途半端な結末になりますが、今回で「陛下と宮内庁長官」のシリーズを終わりにいたします。私の気持ちを代弁するものとして、篠原氏の言葉を転記しておきます。

 「退位された方が、いつまでも意見を述べられるのは、正しい在り方でしょうか。」「天皇がおられるのに、飛び越えて「ご意志」が伝わるのなら、」「天皇の権威が薄れます。」「こういうやり方は、歴史上よくない意味で語られた、院政というのではないでしょうか。」

 ブログは終わっても、皇室の問題は終わりません。声を上げるのは国民の義務です。私たちの日本ですから、ためらってはいけないと思います。自分の意見が間違っていたら、私のように修正すればいいのです。

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陛下と宮内庁長官 - 3 ( 意見の比較 )

2021-08-03 22:56:00 | 徒然の記

 今回は、「私」と「ねこ庭の読者の方」の二つの意見について、比較いたします。

 〈 私の意見 〉

  ・ 皇室に類を及ぼさないため、ハッキリ言えば、私の本意は秋篠宮様ではない。

  ・ 結婚は両性の合意であると憲法に書かれていると、本気で言われている殿下に、そういう教育をした方は誰なのかと、まず追求しなければならない。

  ・  話は上皇陛下と美智子様、さらにはGHQのホイットニー少将や、マッカーサーにまで言及しなければ、公平にならない。

  ・ 正論を押し、戦後のウミを出し尽くしても良いが、世界には日本社会が不安定になるのを喜び、利用しようとする勢力がいる。

  ・ 彼らは騒ぎを利用し、必ず介入してくる。国が滅びるのは、国内の騒動に外国勢力が介入してくる時だと、歴史が教えている。

  ・ それを一番警戒するので、社会への動揺を少なくする解決方法を述べている。宮内庁のトップが、責任を取り辞任すれば、眞子さまの婚姻は破談となる。

  ・ 「君君足らずとも、臣臣足るべし」という言葉を、私は大切にする。

 日本を守るため、宮内庁のトップに犠牲を強いる意見なので、今の社会に通じないと知りつつ、国の指導者が果たすべき使命( 武士道精神 )だと、私は信じています。

 〈 ねこ庭の読者の方の意見 〉

  ・ 眞子内親王がKKを連れてきた時から、警察はすべて知っており、宮内庁に報告をしているはず。

  ・ しかしなぜ宮内庁は、分かっていて動けなかったか。それはA宮の「本人の希望を尊重」とする意志が、強かったということでないか。

  ・   宮内庁も現代では臣下ではなく、ましてやA宮家の方針までNOとは言えない。宮内庁が悪い、だけでは誰も納得しない。

  ・   A宮家の安易な姿勢について例を述べる。悠仁親王が、首に傷痕が残るような下がをされたこと。学校の机に、包丁が置かれていたこと。乗られていたお車が、交通事故寸前になったこと。

  ・ A宮は、特段の警備をせず、「今まで通り他の子どもさんたちと同様に」と言われた。やがて皇位を継ぐ悠仁殿下の警備は、個人的なことではなく、変な遠慮はいらなかったのではないか。

  ・ A宮家の安易な姿勢が、A宮家以外の皇族方と「齟齬」を生んだと思う。内親王お二人の、皇族たる意識も疑うようなレベルにある。

  ・  皇室をアンタッチャブルにしたまま、遠回しに「宮内庁が・・」では、国民は納得できないままだ。

  ・  KK母子の、元婚約者以外の金銭問題が事実なら、A宮家はどうなるのか。皇室は内側から崩壊する。

  ・  皇室の歴史は、そうした疑惑の人物を遠ざけ出家させたりしている。もはや宮内庁等の周辺だけが問題ではない。皇室の自浄作用や、自ら悪と戦う意志がない限り、物事には必ず終わりがくる。

  ・  そうならないようにするには、保守がハッキリした方法をとるべきだ。

 KK母子問題の解決のためには、「皇室の自浄作用」と「宮内庁の自浄作用」の二つが求められるのに、私は故意に「宮内庁の自浄作用」だけを語りました。  

 皇室の自浄作用は正論ですが、その論議は上皇陛下と美智子様に波及しますので、現在の日本では困難です。敗戦以来の経緯を考えますと、「宮内庁の自浄作用」も同じと思い、私はここに焦点を当てました。「ねこ庭の読者」の方の意見は、重点の置き方の相違にあるだけと私は考えています。いずれのアプローチが正しいのか、今の自分には分かりませんが、「ねこ庭の読者」の方の怒りを共有しています。

 無念でならないのは、国民の心配にもかかわらず、皇室にも宮内庁にも、「自浄作用」が機能しなかったことです。
 
 「皇室護持」のため、政府は「皇位継承問題」と「小室母子問題」の二つを同時に抱え込んでいます。次回は、新しく生じた問題のため、事態が急変した状況をご報告します。
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陛下と宮内庁長官 - 2 ( 4人の意見 )

2021-08-03 13:50:34 | 徒然の記

 青山繁晴氏の意見は,【僕らの国会・第175回】「動揺するな宮内庁長官『事件』」で、知りました。

 〈 4.   青山氏の意見 〉

  ・  長官とは長いつき合いがあり、その人柄をよく知っている。まれに見る国士であり、素晴らしい人物だ。その長官の発言を、誹謗中傷する人がいるがとんでもないことだ。

     ・  長官は陛下のご信任が厚く、勝手に憶測でものをいう人物ではない。 長官の発言は、おそらく陛下との合意の上でのものだと思う。

  ・ すると、陛下のお言葉が「政治的発言」だと、攻撃する人間が出てくる。陛下が何か発言されると、すぐにそう言って反対する人がいる。

  ・  陛下は常に国民のことを思われ、日本全体を考えておられる。その陛下が、心配ごとを言われて何が悪いのか。陛下はオリンピックにも、国民の暮らしにも、無関心でいろというのか。

  ・  陛下の大御心 ( おおみごころ ) の中には、政治的なことが当然含まれており、そうした全てを、私たちのために祈られている。

  ・  陛下の発言が「オリンピック反対論」だとか、「政治的発言」だなどと批判するのでなく、国民を心配されていると、素直に受け止めるべきだ。オリンピックの期間中は、これまで以上に気を使い、「武漢コロナ」が広がらないようにしようと、そんなふうに考えるのが正しい。

 氏の意見は、陛下と西村長官への賛辞で、同時に私への反論とも言えます。「陛下の大御心 ( おおみごころ ) 」という、大時代的な言葉を使う人物を、私はあまり信じません。こういう言葉を使う人は、陛下が間違ったことをされても、無批判に受け入れる傾向があります。

 上皇陛下が譲位の「お言葉」を、NHKを通じて発表され時、憲法逸脱行為であるにも関わらず、西村慎吾元議員と、チャンネル桜の水島社長は、「陛下の大御心」だと肯定しました。こういう立場に立てば、女性宮家も愛子天皇も、上皇陛下と美智子様の大御心だからと、肯定しなければならなくなります。

 西村長官にしても、国士なら国士らしい対応が必要です。「拝察」と述べた記者会見だけでなく、小室母子の問題にしても、国士らしい対処だと、私には思えません。陛下のお言葉を直接伝えないように要望することが、「無関心であれ」という意見になるという思考も、理解に苦しみます。

 4人は、国を思う保守を自負していますが、考え方にはこれほど違いがあります。常識的な意見は、おそらく篠原氏と「ねこ庭の読者」の方のもので、私と青山氏の意見が極論かもしれません。「ねこ庭の読者」の方は、攻撃的なトーンなので、極論と誤解され兼ねませんが、内容は常識的です。

 私と青山氏の意見は、「ねこ庭の読者」の方から見れば、

  「・えせ保守は、小室親子のことは厳しく批判するが、皇族の関係者のことについては口を閉ざす、一切批判しない。」

        「 ・こういう態度が、皇室を一層ダメにしていく。  保守ほど、厳しく批判し、これからのことを真剣に考えるべきなのだ。」

 という批判に該当し、賛同される人が多いのではないでしょうか。個人が尊重される社会は、個人の責任も問われる社会ですから、秋篠宮様と眞子さまが批判されても不思議はありません。篠原氏と「ねこ庭の読者」の方は、この視点からお二人の責任を述べています。

 ネットの情報の中には、「秋篠宮家の関係者」からの話というものが意外とあります。事実なのか捏造なのか不明ですが、「秋篠宮家の関係者」は、眞子さまの部屋から漏れ聞こえる声をリークしています。

 「眞子さまは、毎日のように圭さんと電話連絡されています。」「いつまでも待つと、そんなことも言われているようです。」

 宮家の情報管理がどのようになっているのか、もしこれが事実だとすれば。、私も怒り心頭です。ネットではこうした怪しげな情報が溢れており、知れば心が乱されます。「ねこ庭の読者」の方は、こうしたバカな情報を無視し、篠原氏の意見を是としていますが、篠原氏は「個人責任論者」であり、常識から言っても「まともな意見」です。

 息子たちのために、私と篠原氏と「ねこ庭の読者」の方の意見の相違につき、もう少し述べたいと思いますが、スペースがなくなりましたので、続きは次回とします。青山氏の意見は論点が違うので、その後で取り上げます。

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皇室と宮内庁長官 ( 異なる意見 )

2021-08-02 23:40:17 | 徒然の記

 西村宮内庁長官について、ネットを含めマスコミ報道でも、様々な意見が寄せられています。青山繁晴氏、篠原常一郎氏、私の意見も、一致点がありません。「ねこ庭の読者」の方とも、意見が対立しました。

 きっかけは、5月19日の「国難二つを目の前にして」とタイトルをつけたブログでした。

 「皇室護持」と「自主憲法制定」を、日本の土台と考える私は、小室母子問題のため、「皇室護持」が危機に面していると感じました。

 小室母子問題につき私たちが黙っていると、皇室崩壊の道へ続きます。日本を思う国民なら、声を上げなくてならないと決心しました。

 これ以来ブログで、「ねこ庭の読者」の方との意見が熱くなりましたが、冷静になった今、大切なことなので、問題点を整理し、息子たちに伝えたいと思います。青山繁晴氏の意見は、後程加えるとして、まず私と篠原常一郎氏と「ねこ庭の読者」の方の三人の意見を転記します。

 〈 1.   私の意見 〉

  ・ 宮内庁の役目は、皇室に近づく不心得者から、皇室の方々を守ることにある。( 常に暴漢の姿でなく、笑顔で近寄ってくる邪悪な人間など、あらゆる者への警戒が不可欠。 )

         ・ 代々の政府は皇室をお守りするため、宮内庁と皇宮警察をおき、危機管理に備えている。

   ・  小室母子については、早い段階から疑問視する声があり、宮内庁は皇室護持のため、調査する義務と責任があった。

   ・「秋篠宮様が・・」「眞子さまが・・」と、言い訳をリークする前に、やるべき警護を怠った失態を恥じなくてならない。小室氏に関するいかがわしい事実を把握した後、お諌めもせず、マスコミにリークするなどもってのほかである。

   ・  物事の順序として、皇嗣職大夫の加地 隆治氏を第一とし、次に宮内庁長官の責任を追及する。騒ぎの原因となった職員のリークを、断固として禁止せず、自らもリークをしている。

  ・  西村長官と加地皇嗣職大夫の辞任が、問題解決の鍵である。

  ・「われわれの失態のため、いかがわしい人物を、皇室の方々に接触させ、国民の声に応えられなかった責任を取り、辞職する。」

  ・この言葉を残して二人が辞職すれば、婚約が解消となり、全てが解決する。

 〈 2.   篠原氏の意見 〉

  ・ 問題を解決する鍵は、秋篠宮様の決断だ。

  ・ 小室母子の犯罪的行為が明らかになった現時点で、宮様が決意を表明されるべきである。一般人であれば、娘の結婚には親が一番の当事者であり、責任者だ。

  ・  いかがわしい相手との結婚に反対し、子供の不幸を防ぐ責任がある。

 〈 3.   「ねこ庭の読者」の方の意見 〉

  ・  どんな思想、どんな宗教でも、基本は " 家庭 " だ。宮内庁も警察も、家庭の中には入れない。

  ・ 「オールマイティ皇国史観」 で凝り固まった頭の人は、そこから一歩も引かない。皇室が批判されるのも、許さない。

  ・ 今回のKK問題など、また起きる可能性もある。それには「皇国史観」こそすべてで、これを知らないからこんな事件になった。

  ・ 皇族を責めると、「みんなが皇室を尊敬しなくなる 」と、本気でそう思っているのなら、庶民は驚くだろう。

  ・「 思想教育」で解決できると、あさはかにも信じ込み、自分で陶酔し、悦にひたるおろかしさを、世間は冷笑するだけだ。

 篠原氏は、自分のブログで語る第三者ですが、「ねこ庭の読者」の方は、互いにコメントをやり取りしていますから、遠慮なく意見を述べられています。

  ・  一般人にない特別待遇、挙句の果てに、色に迷った内親王が取り乱す。困惑する他の皇族や、元皇族の方々、そして天皇の名で、国を護るために戦場で散華された方々、このことを瞬間にも思ったことがあるのか。私は怒りを覚える。

  ・ Ahoshは、小室親子のことは厳しく批判するが、皇族の関係者については口を閉ざす、一切批判しない。

         ・「皇室を護る?」、こういう態度が、一層ダメにしていくことがわからない。ただつつましく口を閉ざして、一般人は「 控えておきなさい」 と、えらそうに言っている。

  ・  本当は保守ほど、厳しく批判し、これからのことを真剣に考えるべきなのだ。

 この方は、篠原氏よりもっと厳しく、眞子さまの心得違いを批判しています。煮えたぎる怒りが、秋篠宮様と眞子さまに言及しない私への悪口雑言となります。

 ここまで、篠原常一郎氏と私と、「ねこ庭の読者」の方の意見を紹介しました。次回は、残る青山繁晴氏の意見をご紹介します。

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