8月2日の千葉日報に、共同通信社が「憲法発布直後の芦部論発見」と言う記事を配信しました。発見された論文の写真を入れた、5段組の大きな記事です。書き出しの12行を転記します。
「戦後日本を代表する憲法学の権威で、多くの大学で教科書として使われる、」「『憲法』(岩波書店) の著者、故芦部信喜東大名誉教授が、日本国憲法発布直後の1946年11月15日、」「23才で書いた論考の存在が、今年6月明らかになった。」
憲法学の権威は、宮沢俊義教授しか知らない私なので、そんな名前の教授がいたのかと思いました。憲法改正が語られている今、共同通信社はなぜこのような記事を全国に配信するのか。
論考が発見されたのは、芦部氏の出身地長野にある土蔵からだと言います。氏の自宅でなく、どうやら氏が発行していた『伊那春秋』の読者の蔵の中だったようです。ガリ版刷りの小冊子に「新憲法とわれらの覚悟」と言う題で書かれています。
「新憲法ができても、国民自身が主体となる意識を持たなければ、国は変わらず、」「権力に支配されない主体である自覚を持つことが重要だ。」
これを読んだ専門家が、「現代への問いかけにもなっている」と話している・・と言うのが、記事の書き出し部分です。
東大入学直後に学徒動員された氏が、敗戦後に自宅へ戻った昭和46年に書いた論考だそうです。個人の自由と権利を主張する23才の氏が、マルキストだったのかリベラリストだったのか、私には分かりません。
大学者だったとしても、23才の学生時の、しかも発布されたばかりの憲法への意見を、なぜここまで持ち上げのるかと、不思議でなりません。「日本国憲法」が、戦後の日本を歪なものにした元凶と考えている私にすれば、共同通信社の記事自体が、不快感を覚えさせます。
「論考の冒頭で芦部氏は、個人の自由・権利よりも、」「権力を持つものに従うという封建的心情を、国民自らが改める必要性を述べた上で、」「封建時代から継承された、他力本願的な気持ちを清算できないなら、」「明治憲法に比べ、飛躍的に近代的な内容を持つ新憲法を、」「時の経過とともに、空文に葬り去ってしまうと、指摘している。」
マッカーサーにより強要された現行憲法が、当時の学生にどのように受け止められていたかを知る、参考資料にはなりますが、75年経ち、国際情勢が変化した今になって、共同通信社は何を考え芦部氏の論考を評価するのでしょう。
特に憲法九条は、日本人の精神を崩壊させた元凶ですから、学徒兵帰りで、反軍思想の学生の意見をここまで誉められると、時代錯誤の印象を受けます。長いので記事の途中を省略し、最後の叙述を紹介します。氏の教え子で、北海道大学で憲法学を教えている高見勝利名誉教授の談話です。
「新憲法を受けて、先生が一国民として、どういった自覚が必要なのか、」「自分を納得させる、覚悟のようなものだったのではないか。」「芦部憲法学の、原点とも言える。」
「日本だけが間違った戦争をした」「日本だけが悪かった」と述べ、国を守る軍隊を否定したのが現行憲法です。敗戦直後の混乱した時代には、美しい言葉で書かれた憲法に、魅了された国民が少なからずいたのは事実だと思います。しかし75年が経過し、さまざまな矛盾と、国論を二分する不幸の種となっている憲法は、その役目を終えました。
菅総理は、「憲法改正」の旗を掲げた安倍氏の後継と公言しながら、ほとんどこれについて言及していません。「武漢コロナ」への対応と、オリンピックの開催について、マスコミに批判ばかりされているせいもあったと思いますが、本当に自民党の総理なのかと、私は首を傾げています。
スクラップ帳を見ますと、7月27日の切り抜きがありました。共同通信社の配信記事で、「首相、コロナ収束後に」「憲法改正、挑戦したい」と言う見出しがついています。月刊誌の記者にインタビューされ、答えたものです。
「新型コロナウイルスに打ち勝った後、国民的な議論と理解が深まるよう、」「環境を整備し、しっかり挑戦したい。」
国民的議論などと言う前に、改正に反対する公明党と党内で邪魔する議員の掃除が先でないのかと、菅氏の本気度の無さに怒りを感じます。
総理に就任した時、菅氏は反日左翼の筆頭である共同通信社から、首相補佐官として前論説副委員長の柿崎明二氏を起用しました。共同通信社への働きかけの一環かと、期待するところもありましたが、こうしてみますと、逆に取り込まれているようで、自民党への信頼が、さらにダウンします。
本棚を見て、驚きました。なんと芦部信喜教授の著書、『憲法』(岩波書店) が、未読の書の中にありました。本をめくりますと、55ページに次のような叙述がありました。
「憲法成立の経緯には、アメリカを中心とする連合国側の動きもあるが、」「当時の幣原首相の平和主義思想が、マッカーサー・ノートの一つのきっかけとなっていたと考えられる。」
「幣原首相はマッカーサ元帥を訪問し、戦争放棄という考えを示唆したとも、伝えられている。」
ずっと以前から、『宰相 幣原喜重郎 最後のご奉公』という未読の書があります。重要視する人物と思わなかったため、そのままにしていましたが、こうなりますと話は別です。ざっと目を通しますと、憲法改正時の事情が詳しく書かれていました。
ということで、私の読書計画予定が、大きく変わります。『近代の戦争』〈全8 巻〉を読むことにし、一巻目の「日清戦争」を手にしていましたが、中断します。
1. 塩田潮氏著『宰相 幣原喜重郎 最後のご奉公』( 平成4年刊 文芸春秋社 )
2. 芦部信喜氏著『憲法・新版』( 平成11年刊 岩波書店 )
真剣さが見られない菅総理と、日本を取り戻す気概のない自民党内の媚中、媚韓議員諸氏の顔を思い浮かべながら、本日から「温故知新」の学徒に戻ります。台風が近づいているのか、通過しているのか、激しい風が「ねこ庭」で吹き荒れています。まるで私の心のようです。
『あらあら、また、こんなことを言ってる』と思うだけで、
何の感興も湧きませんね。
まあ、戦後の「通俗的な平和憲法?擁護論」のハシリであって、学究的な論文とは言えないと思います。
この人は『国民の主体性うんぬん、、、、』と言ってますが、
占領軍に押し付けられた憲法を賞賛して、何が『国民の主体性』なのか??!!と、思いますね。
●それでも、リベラル左派系の学者のなかには、
【現・日本国憲法は、決して占領軍の押し付けではなく、当時の日本国民の意志によって作られた】と言い張る人もいます。
そりゃ、もちろん、アメリカ占領軍体制での受益者はいましたから、そうゆう人たちは占領憲法を歓迎したでしょう。
でも、それは、真正な日本民族の『主体的』な考え方ではないでしょう。
◆◆◆当時の、ごく普通の日本人の感覚では、、、、
★☆【戦争に負けたのは悔しい。でも、天皇陛下が御無事で何よりだった。
アメリカ占領軍の政策は腹立たしいけど、今は我慢するしかない。
ともかく、今は、焼け野原になった国土を再建し、国の富を取り戻すことだ。
その時には、正式の憲法に改正し、戦艦ヤマトなどを再建造すればよい★☆】
と言うのが、終戦直後の『主体性のある』日本国民の本音だったはずです。◆◆◆
●芦部氏のような俗流リベラルの人は、そう言うことがわかっていない!
●もっと、嘆かわしいのは、今の自民党政治家も、終戦直後の善良な日本人の悲哀と矜持が分かっていないことです。
芦部信喜氏が日本の代表的憲法学の権威と、共同通信社が書いていますが、貴方も私も知らないのなら、この記事が???ですね。
『あらあら、また、こんなことを言ってる』と思うだけで、何の感興も湧きませんね。
私も同じ印象ですが、問題の核心は、そんな学者の若い時の論文を、この時期に、なんのため、わざわざ大袈裟に取り上げるのかという点です。
ちょっとページをめくりますと、「憲法とは、権力者を縛るものである」という説明があります。
共産党もその他の野党も、憲法を語る時、この言葉を使います。私も貴方も知らない教授ですが、氏の著書が多くの大学で教科書として使われているという話も、どうやら嘘ではなさそうです。
反日左翼の人々の、憲法解釈を支配しているのなら、油断のならない学者です。
軽く見ないで、これから予定通りの読書をし、共同通信社の歪んだ意図を発見しようと思います。よろしくお願いいたします。
だった事もあって お名前だけは伺っていました。
ただご存知の様に、宮沢俊儀教授と共に 左派容共には
何となく弱い印象がありました。この所、当時知性が
鍛錬不足だった拙者には、よく分かりませんでした。
両教授は、今となっては「人類から預かった平和憲法」
という、恰も宗教の聖典の様な 間違った理解と認識
を我国民に植え付ける大きな役割を担った様にも感じます。
憲法 9条成立の経緯につきましては、風聞レベルで
恐縮ですが、当時の社会党左派 (つまり現社民党)
辺りから出た原案を マッカーサー GHQ司令部が
利用する形で生まれた様な話も聞きました。
ついでに終戦後直ぐの教育勅語廃止につきましても
、極左歴史学者・羽仁五郎某が GHQ司令部にねじ
込んで実現させたとの情報もありまして。
話の脱線済みません。宮澤、芦部両教授の「護憲志向」
もどうかとは思いますが、むしろ戦前からの閣僚経験
を持つ 幣原喜重郎外相の姿勢が不良だったのも大きな
問題とは思います。何しろ某文献で、非武装中立が
理想の様な主張をしていた事実が載っていましたので。
だとしたら、当時も今も 外務省の姿勢は芳しくな
かったという様な所があるという事でしょうか。
的を得なかった所はお許し下さる様。
返事が遅れましたのは、貴方のコメントに即答できなかったためです。
幣原氏には、今日の媚中外務省と同一視できないものがあります。現在の媚中外務省の役人は、世間の風潮が「親中国」の中で靡いています。
当時は政府も軍も国民も、大勢としては「東亜新秩序」を目指す政策に賛同していました。その中で、「欧米協調」と「平和外交」を主張するのですから、勇気がなくてはできません。
もう少し詳しく調べてから述べようと思っていますが、今日の「害務省」と、幣原氏の「外務省」は
別物でないのかという、思いがしています。
芦部・宮沢涼教授は、間違いのない「獅子身中の虫」で、「駆除すべき害虫」ですが、どうも幣原氏は違うのではないかという予感がします。
これから予定通りの読書をし、共同通信社の歪んだ意図を発見しようと思いますので、あやか様同様、よろしくお願いいたします。