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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

田中正明氏著『南京事件の総括』 - 3 ( 東京裁判とアジア各地でのBC級裁判 )

2019-01-13 18:12:36 | 徒然の記

   今回は、田中氏の著作の第4章の書き出しの部分を紹介します。

  ・マッカーサー元帥の、6年8ヶ月に及ぶ長期日本占領政策の究極の目的は何であったか。

  ・アメリカ統合参謀本部は、昭和20年8月29日、当時マニラにいたマッカーサーに、「伝令使」によって、有名な「第1号アメリカ政策文書」を伝達した。その第一部、究極の目的の項にはこう記されている。」

  ・日本国が再び米国の脅威となり、または、世界の平和および安全の脅威とならざることを確実にすること。

  ・すなわち、「日本弱体化政策」の使命をおびてマッカーサーは、厚木に降り立ったのである。

  ・彼は厚木に到着すると真っ先にソープ准将に、東条以下の戦犯狩りを指令した。

  ・これを受け、戦犯容疑者逮捕令が次々と発表され、A級戦犯の逮捕、監禁が始まった。

 GHQの日本統治については、沢山の本が出されていますので、多少は知っていますが、マッカーサーが厚木到着後に最初にやったことが、ソープ准将への逮捕指令だったとは初耳でした。

 アメリカ政府からの日本占領の「目的」が、こういう形で伝達されていたことも、初めて知りました。

  ・吹きまくる戦犯狩りの嵐の中で、敵軍の裁きを潔しとしない幾人かの軍人は、逮捕を前に自ら命を絶った。

    杉山元陸軍元帥が、拳銃自殺し、

    東条内閣の厚生大臣、小泉親彦軍医中将が続いて

    文部大臣橋田邦彦博士が、服毒自殺し、

    東条大将は、自殺未遂、

    元関東軍司令官、本庄繁大将が割腹自殺を、

    元首相公爵近衛文麿が、服毒自殺を遂げた。

   ・こうしてA級戦犯容疑者約200名が、巣鴨拘置所に逮捕監禁された。

  マッカーサー元帥への司令は「日本の完全な武装解除」という話でなく、二度と戦争ができない国とするため、何でもやれという全権委任だったことが分かりました。

  ・同時にB、C級戦犯約5,600名が、各地で逮捕、投獄された。

  ・彼らは、横浜、上海、シンガポール、ラバウル、マニラ、マヌス等々、南方各地50数カ所の牢獄へ入れられ、簡単な軍事裁判にかけられた後、約1,000名が戦犯の名の下に処刑された。

  ・B、C級戦犯とは、主として捕虜の扱いに関する不法行為の摘発でした。B級戦犯は指揮・監督に当たった将校・部隊長を言い、C級戦犯は直接捕虜の取扱に当たったもので、主として下士官、兵、軍属である。

  ・捕虜の扱に関する上官による乱暴な命令や、態度、捕虜の置かれた環境の粗悪さなど、それらがあったことは事実であろう。

  ・しかし彼らを裁く裁判とは名のみで、」「ほとんど弁護人もなく、あっても形式だけで、甚だしきは、三、四回法廷に呼び出されただけで、死刑を宣告されるという杜撰な断罪が多かった。

  ・中には、人違いのまま処刑された者もあった。

  ・犯罪事実に至っては、懲罰のため食事を減じたという、ただそれだけで銃殺刑に処せられた兵もあった。

 「東京裁判」においても、アジア各地で行われた「BC級裁判」においても、マッカーサー元帥の結論は最初から決まっていました。

  「日本の軍人は、一人残らず処刑する。」

  「将官であれ、兵卒であれ、容赦なく処刑する。」

 連合国軍最高司令官として、元帥は次の本国の指令を忠実に実行したのです。

   ・日本国が再び米国の脅威となり、または、世界の平和および安全の脅威とならざることを確実にすること。

  彼らが裁判という形式を守ったのは、それをせず日本の軍人を処刑すると、民主主義国・アメリカの体面が傷つくからでした。「日本人の精神年齢は12才の少年だ」と、元帥が言ったそうですが、裁判という形を取れば、12才の日本人には見抜けないだろうと高をくくったのでしょうか。
 
 息子たちに言います。戦争に負けるということが、どれほど悲惨な結果をもたらすのか。「東京裁判」と、アジア各地で行われたBC級裁判の実態を知ってください。
 
 田中氏はこれらの事実をもっと知りたい人のため、次の本を紹介しています。

   1. 巣鴨遺書編纂会による 『世紀の遺書』

   2. 巣鴨法務委員会による 『戦犯裁判の実相』

   3. 角田房子氏著  『責任 ー ラバウルの将軍 今村均』

   4.  上坂冬子氏著  『残された妻 ー 横浜裁判BC級戦犯秘録』 『巣鴨プリズン13号鉄扉』

 私はこの紹介本に、昭和61年に角川書店が出版した文庫本、『戦犯 ( 新聞記者が語り継ぐ戦争) 』全三巻を、追加いたします。読売新聞・社会部記者の共著です。同じ「社会部」という名前がついていても、共同通信社の「社会部」に比べますと、輝く水晶と石ころです。

 5年前に『戦犯』を手にし、新聞記者には碌な奴がいないと常々口走る自分を恥じ、「中には、素晴らしい記者もいる。」と訂正しました。

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田中正明氏著『南京事件の総括』 - 2 ( 松井大将の人となり )

2019-01-13 00:20:54 | 徒然の記

  松井石根(まつい いわね)大将は、南京事件の責任を問われ、東京裁判 ( 極東国際軍事裁判 )で死刑判決を受け処刑されました。

 著者の田中正明氏は、松井石根大将の秘書を務め、松井大将と蒋介石の会談に同席した経歴の持ち主です。氏は明治44年長野県に生まれ、平成18年に95才で亡くなっています。

  著者の人物像を水間政憲氏が、「まえがき」で語っていますので紹介します。 

  ・昭和20年8月日本は戦争に敗れ、GHQ (連合国最高司令部) の、占領下に置かれた。そんな中にあって田中氏は一冊の本を出版すべく、秘密裏で作業を進めていた。

   ・昭和27年4月28日、日本が主権を回復したその日、 真理の裁き『パールの日本無罪論』  を太平洋出版から発刊した。この目的は、GHQの政治宣伝に立ち向かうことであった。

  ・田中氏は戦前、「大アジア協会」の機関紙、『大アジア主義』の編集長だった。「大アジア協会」は日中両国民の協力を柱とし、全アジアの団結と解放を目指すための活動をしていた。

  ・松井石根大将が「協会」の会長で、田中氏はその秘書だった。

  ・その松井会長が「東京裁判」で、南京大虐殺の責任者として起訴され処刑された。

  ・このことへの憤りが、田中氏の著作活動の原点となった。それは単なる私憤でなく、公憤だった。なぜなら松井大将の名誉を回復することが、国民に刷り込まれた、GHQの政治宣伝の呪縛を解く鍵になるからである。

 「南京事件」は「東京裁判」で初めて持ち出されたもので、それ以前は、ほとんど誰も知らない話でした。裁かれた松井大将自身も、最初は何のことを言われているのか分からなかったのではないでしょうか。

  「蒋介石を撃滅すべし」という強硬論が大勢を占める中で、松井大将は蒋介石との連携が大事と考える少数派の軍人でした。日本に留学した蔣介石と親交があった大将は、、昭和2年訪日を働きかけ田中義一首相との会談を取り持ち、事態の打開を図ったことがありました。

 会談で田中首相は蔣介石に対し、次の3点を要請しました。

   1.  北伐を急がず、揚子江以南の掌握に全力を注ぐへきこと。

   2.  共産主義の蔓延を警戒し、防止すべきこと、

   3.  1. 2.に対し、日本は支援を惜しまないということ

  最終的に二人が合意したのは、次の2点でした。

   1. 国民党革命が成功し中国統一が完成した時、日本はこれを承認する。

   2. 国民党政府は、満洲における日本の地位と特殊権益を認める。

 ところが昭和3年(1928年)5月3日に「済南事件」が起き、陸軍内で蒋介石への批判が相次いで、日中関係は松井大将の意図に反した方向へと流れていきます。

 以後の経過を田中氏の著書から、時系列で紹介します。

  ・昭和3年6月4日、「張作霖爆殺事件」が勃発。この事件の発生により、田中・蒋会談の合意内容が瓦解。

  ・松井は張作霖を、反共の防波堤と位置づけ、首謀者である関東軍河本大佐の厳罰を要求。若手の将校の間では、松井を頑固者扱し敬遠する声も多数あり。

  ・処罰はうやむやのままになり、昭和天皇の叱責を受け田中が首相を辞任。

  ・昭和6年9月の「満州事変」、昭和7年3月の「満州国建国」を経て、蒋介石の抗日姿勢が強まる。

  ・蒋介石との連携による、「全アジア団結構想」は破綻したが、松井は、昭和8年3月に「大亜細亜協会」を設立。松井は会長、会員は近衛文麿、広田弘毅、小幡敏四郎、本間雅晴、鈴木貞一、荒木貞夫、本庄繁。

  ・欧米列強に支配されるアジアから脱し、アジア人のためのアジアを実現するためには日中の提携が第一であるとする松井らの。「大亜細亜主義」が活動開始。

   ・しかしこの活動は昭和13年1月16日、近衛文麿首相の「蒋介石を相手とせず宣言 ( 近衛声明 )」で終わった。

  ・松井は軍中央から中国寄りとして更迭され、2月21日に上海を離れて帰国、予備役となった。

  ・昭和13年、松井は熱海市伊豆山滞在中に、日中両兵士の犠牲を、「アジアにおける欧米諸国植民地が独立するための犠牲であった」として、その供養について考えた。

  ・昭和15年、日中戦争における日中双方の犠牲者を弔うため、伊豆山に興亜観音を建立。麓に庵を建てて住み、毎朝観音教をあげた。

 こういう松井大将が東京裁判で、「南京大虐殺」の最高責任者として処刑されました。秘書だった田中氏には、耐え難く信じ難い判決でした。

 ブログのスペースが無くなりましたので、今夜はここで一旦止めます。

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田中正明氏著『南京事件の総括』 ( 中国の対応と日本国民の無関心 )

2019-01-11 22:09:01 | 徒然の記

  田中正明氏著『南京事件の総括』( 平成19年刊 株式会社小学館 )を、読了。

 氏は「南京事件」と言いますが、中国と日本の反日左翼の人々は「南京大虐殺事件」と呼びます。「南京事件」と「東京裁判」はワンセットのもので、切り離しては考えられません。この考えに立たない限り、南京事件の本質はつかめないと言えます。

 「南京事件」と「東京裁判」は「日本国憲法」とともに、戦後の日本人の思考を大きく変えた最重要の出来事です。日本を愛する人々を苦しめている様々な問題は、この3つの出来事から始まっていると言って過言ではありません。

 内容の紹介に入る前に事件に対する中国と日本の政治家の対応と、カナダ国内での中国人の動きについて説明します。

    〈 中国政府の対応  〉

  ・ 中国は昭和60 (1985) 年に、南京郊外に大虐殺記念館と言う名前で、展示施設をオープンさせています。

  ・記念館には、日本人に虐殺された遺骨で造ったという「30万人」のモニュメントや、「中国人100人斬り」を競い合う日本兵の記事などが、大量に展示されています。

 記念館は中国学生の修学旅行の訪問先に指定されていて、女性教諭が生徒たちを前に、「わが民族は、絶対にこの暴挙を忘れてはならない ! 」と説明しています。

  中国政府は12月13日を、南京大虐殺の屈辱の記念日とし、昭和12 ( 1937 ) 年のこの日を中心に、日本軍によって30万以上の無辜の市民が虐殺されたと、全国報道を始めます。反日左翼マスコミが毎年敗戦の日になると、日本全国に「終戦の日」の報道特集をするのと似ています。

 江蘇ラジオでは、『生存者の証言』と題し、虐殺から生き延びたという30人の老人たちへの、連続インタビューを放送しています。「鬼っ子」(日本軍人)が、南京の若い女性を強姦して妊娠させ、彼女のはらわたを割いて胎児を殺したとかいう話が、連日放送されました。

 平成26 ( 2014 ) 年2月27日、「全国人民代表大会常務委員会」で、南京大虐殺犠牲者国家追悼日の樹立に関する「全国人民代表大会常務委員会の決定」がされました。これ以後毎年12月13日が、「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」として政府の追悼行事が行われています。

 「追悼日」には、国家レベルでの公祭と記念行事を開催し、南京大虐殺の犠牲者と、日本の侵略者に殺されたすべての犠牲者を追悼し、日本が犯した戦争の罪行を暴露するとされています。

 習近平氏の鶴の一声で、この日は13億の全国民で哀悼する、「国家公祭日」に指定されました。習氏はまたドイツで、「30万人以上の罪もない中国人が、日本軍に虐殺された」と強調する、反日演説をしています。

 中国政府は、南京での日本軍の残虐性を説いた『血火 ( ちび ) 記憶』という本を、小中高校の「副読本」に指定しました。また『南京1937』というマンガの版権を、世界中に売ろうという動きも起こっています。

 日本のマスコミが報道しないので、今でもほとんどの国民は中国国内での「南京事件」への激しい対応を知りません。しかし日本の政治家は知っていますので、その事例を紹介します。

    〈 日本の政治家の対応   〉

   ・平成30年6月24日に福田康夫元首相が、中国江蘇省南京市にある「南京大虐殺記念館」( 正式には、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館 ) を、訪問しました。中国共産党の機関紙「人民日報」が、この様子を大きく報じました。

   ・福田氏は犠牲者に花輪を手向け、黙とうを捧げるなど一連の行事を終えた後、記者団に語りました。

    「日本人は、もっと過去の事実を、正確に理解しなければならない。」

    「より多くの日本の政治家が記念館を訪れ、この歴史に触れてほしい。」

    「多くの日本人が、記念館を参観すべきだ。」

 氏は同館を訪れた日本の総理経験者として、4人目になります。先に訪ねている元総理経験者の名前は、村山富市、海部俊樹、鳩山由紀夫の各氏です。

    〈 カナダ在住の中国人の動き   〉

    ・バンクーバーで発行されている中国語新聞に平成30年、カナダ連邦国会議員ジェニー・クワン氏が、10万以上の市民による署名集め、カナダの国会に提出するというニュースが掲載されました。
 
  ・ジェニー・クワン氏はアメリカ生まれの中国系カナダ人で、著名な女優です。
 
  記事の概要を紹介します。
 
  ・「南京大虐殺記念日」制定の署名活動が、5月17日、メトロバンクーバーを中心に正式に開始された。
 
  ・この運動は12月13日を、「南京大虐殺記念日」として制定するよう連邦政府を促すと言うものだ。西側の目撃者から、「この世の地獄」と称された歴史を、世の人々が銘記し鑑 ( かがみ ) とすることを希望している。

  ・市民の署名は、メトロバンクーバーの5カ所以上で行われ、同運動は「カナダ第2次大戦災禍史実擁護会(ALPHA)」と、「全国カナダ華人連合会」など100余りの社会団体から支持され、全国各地で積極的に活動が繰り広げられている。

  本日は初回なので、調べた事実をコメントなしで紹介しました。日本政府と中国政府の対応を見て分かる通り、日本国民と中国国民の反応は大きく隔たっています。名前を口にするのも腹立たしい元首相という、愚かな政治家たちの認識も国民とは天と地の開きがあります。

 「温故知新」の読書のおかげで、反日左翼の人々の言動にだいぶ慣れましたので、無闇に怒ることをやめ、次回からのブログに向かいます。
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最近思うこと

2019-01-09 16:40:31 | 徒然の記

  テレビでも時々見ますが、「日本は素晴らしい。」「日本人は凄い。」と、むやみに誉める番組があります。

 ネットで言いますと、保守と呼ばれる人のブログに多いのですが、日本や、日本人は、世界に類い稀な素晴らしい国であり、民族だと、自画自賛の叙述があります。こういう人は大抵、中国人や韓国人、北朝鮮人を、徹底的に批判します。

 隣国の政府が、日本に向け語っている内容を知ると、怒りが沸騰します。その気持は同じです。南京事件も、慰安婦問題も、徴用工も調べてみれば、みんな大嘘です。彼らの語っている話の嘘八百と、厚顔ぶりに、何度怒り心頭になったことでしょう。

 しかし最近は、自分も反省があります。

 この隣国に比較して、日本人が素晴らしいと手放しで言えるのだろうか、と言う疑問です。彼らがやっているのは情報戦争ですから、今後の戦いを考えますと、私たちはもう少し賢くなる必要があると、そんなことを思います。

 すぐにも露呈する彼らの稚拙な捏造と、レベルを同じくするような意見は言うべきでないと、そんな風に思えて参りました。

 私は日本を愛し、日本人であることに誇りを持っていますが、隣国に比較して、日本人全部が優れているとか、立派だとか、そんな風には考えていません。身びいきする気持ちがあるとしましても、事実は違います。

 敗戦後に発生した反日の日本人たちのことを考えますと、この愚かしい、根無し草の夢想家たちが、素晴らしい日本人とは思いません。意識的にアメリカやソ連や中国に自分を売った、クズのような政治家や学者と共に、プロパガンダに踊らされて「日本だけが悪かった」と、本気で信じたお人好しの人間たちが、どれほど戦後の日本をダメにしてきたかと、考えるだけで「日本は素晴らしい。」キャンペーンに嫌悪感が生じます。

 戦後74年間も、こんな人間の跋扈を許してきた日本を、どうして自慢できるのかと、そういう「疑問」が強くなってきました。

 朝日新聞、毎日新聞、共同通信社 、NHKと、このような反日の腐れマスコミを、のさばらしたままにしている日本です。共産党だけでなく、雨後の筍のように、生まれたり消えたり、名前さえ覚えられないような、反日・左翼の新党に嬉々として投票する日本人がいます。

 日本に敵対し、一方的に誹謗し続ける中国や、韓国、北朝鮮に、卑屈にすり寄っていく政治家もいます。日中議員連盟、日韓議員連盟などと、超党派で親睦を図っている政治家たち。

 考えていけば、こんな日本人のどこが素晴らしいのか、むしろ私は、恥ずかしくなってまいります。

 私も含め隣国をあざ笑っている人間は、今年は少し反省し、隣国のような、大嘘つきの仲間になってはなるまいと、方針転換を考えるべきではないでしょうか。

 しかし息子たちに言います。言葉を誤解してはいけません。

 自己反省し遠慮し、黙ろうと勧めているのではありません。自分のことを棚に上げ、日本ばかりを攻撃する隣国の政府や国民に、遠慮する必要はありません。相手を気遣ったり遠慮したりすると、返って嵩にかかってくるのが彼らの文化です。

 私が言っているのは、自覚の話です。言うべきことを言い反撃しても良いから、間違っても、自分だけが絶対正しいと自惚れる過ちをしないようにと、それだけを言っています。

 隣国にばか者が沢山いるように、日本にも劣らず多数のバカ者がいると自覚して、意見を述べればいいのです。ついでに言えば、意見を述べている自分も、相手には馬鹿者に見えていると、そんな自覚が大事です。

 これまでとどこが違うのかと、息子たちは、そんな疑問を抱くのかもしれません。

 自分の欠点を自覚して喋る人間と、自分が全て正しいと錯覚して騒ぐ人間と、そこにある大きな違いを、いつか区別できる人間になって欲しいと私は願います。

 日本のマスコミの横並びの高慢さと、巧妙な嘘に慣らされてしまうと、この区別をつけるのが至難の技となります。

  ・相手を貶す時は、自分の欠点を自覚した上で反撃する。

 「一年の計は、元旦にあり」元旦はとっくに過ぎましたが、これが今年の抱負です。誰に賛成されなくとも、私はこれで、今年を生きたいと考えております。

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共同通信社社会部編『共同通信社 社会部』 - 6 ( 朝日を超える、反日左翼会社 )

2019-01-06 16:06:22 | 徒然の記

  共同通信社社会部編  (高橋宏氏著 )『共同通信社 社会部』に関する、最後のブログとします。

 「平成の大悪書」の一冊であるこの本と今回で分かれると思うと、それだけで気持ちが軽くなります。

 313ページの本の284ページの部分ですから、あと少しです。「昭和の終焉」と題された、不謹慎極まる罰当たり文章を紹介します。

  ・社会部のロッカーに、黄ばみ始めたノート20冊が保管されている。

  ・昭和63年9月19日の吐血から始まり、翌年1月7日の死去まで三ヶ月以上に及んだ、昭和天皇の闘病取材に当たった、宮内庁の張り番記者たちの日誌だ。

  ・朝から晩まで秋の長雨と真冬の寒さに耐えて、張り番に励んだ記者たちの記録だ。塀の中の付き人たちと、待ちの取材に疲れた恨みを皮肉たっぷりに示す落書きもある。

 皇室の私事の公表と同じように、外部に出す必要の全くない、自分たちの卑しい心を恥じらいもなく書いています。

  ・闘病取材は、長期に及ぶ待ちの取材だった。ひたすら、「 Xデー」を待つ。しかも、いつとの見通しもつかない。

 「 Xデー」という言葉は、オウム真理教の本部への強制捜査の日が何時になるかとか、悪徳政治家の事務所へのガサ入れが何時になるのかなど、そういうときに使われます。

 昭和天皇がなくなられる日を、共同通信社の番記者たちはなぜこのような言葉で共有していたのでしょう。野次馬根性がいくら記者に不可欠の精神だからと言っても、この姿勢に国民が納得するでしょうか。

 危篤状態にある親を傍らに見ている時、果たして家族の者たちがこのように残酷に語れるものなのか。

 陛下は親ではありませんが、歴史の中で思い致せば時には親のように「汝臣民」について、心を砕かれたことがありました。

 大東亜戦争の開戦から敗戦に至るまで、多少とも昭和史をかじった者なら、反日左翼の人間でない限り、昭和天皇の苦しまれた日々を心に留めています。その陛下のそばにいる記者たちが、いかにもその日が待たれるとでも言うように、忌まわしい「 Xデー」と呼び合うなど不謹慎極まる話です。

   ・この年の9月2日吐血する前、昭和天皇は那須御用邸で、記者会見した。

  ・植物学に造詣の深い天皇は、毎夏那須高原で植物分類も兼ねて静養していた。

  ・記者団と対面した天皇は、振り絞るような声で、風邪をひいて皆が心配したが、すっかり良くなったから、安心してもらいたいと、話した。

  ・声はかすれ、しばしば戸外の雨音にかき消された。ほほがこけ肩も落ち、痩せているのが目立った。

  ・会見を終え、壁や戸につかまりながら、階段の向こうへ姿を消した。

 この乾いた文章には、弱られた陛下への労りの気持ちがありません。

 病を押して記者たちと会われた陛下のお気持ちへ感謝の念が、カケラでもあれば、こんな文章を世間に出しません。むしろ陛下を大切に思う国民のためには、弱られたお姿の叙述は削除すべきです。

  ・おそらくこの時も、微熱が続いていたのだろう。

  ・立っているのがやっとという状態なのに、両手をピンと伸ばし、口をもごもごさせながら、必死に質問に答える姿には悲壮感さえ漂っていた。

  ・既にこの頃から、体調悪化の兆しはあったのだ。

 悪化の兆しどころか、この文章を読めばひどい体調であったと即座に分かります。ゴミ屑のような記者も「汝臣民」の一部ですから、昭和天皇はおろそかにされず、姿勢を正しお相手をされたのです。

 こうしてみますと陛下の病状の悪化を促進させたのは、この記者どもだったのではないでしょうか。

  ・天皇の死去は、政府にとっても最重要マターである。死去を受けての改元、それに続く大葬の礼など重要儀式が控えている。

  ・しかし渦中にいた、記者たちの思いは様々だった。昭和を象徴する一人の人間の最後と、それに伴う社会の激動をしっかり記録したい、そして、歴史の証人たり得たいという思いは、多かれ少なかれ誰もが持っていた。

  しっかり記録したい、歴史の証人になりたいと、野次馬記者の我欲は理解しても、文章を職業とするプロの誇りがあるのなら、大切な陛下への配慮がなぜできなかったのか。

 共同通信社はこの悪書を世に出すことによって、間違いなく日本の歴史に名を残します。「こんな馬鹿者たちが、陛下の番記者だった。」と。

 文字を追いながら私が考えたのは、「共同通信社の記事」は、今後読みたくないと言うことでした。

 そうなりますと、千葉日報の定期購読を止めなくてなりません。私が実行するのは共同通信社との絶縁で、千葉日報ではありません。掲載される共同通信社記事だけを、「朝日新聞と同じく「日本に害をなす報道」と、読み捨てることにします。

 この本の中で最も怒りを覚えた文章を、息子たちと「ねこ庭」を訪問された方々に紹介します。

  ・昭和天皇の死去をめぐって新聞各社は、昭和史の発掘でしのぎを削った。天皇の死を契機に、改めて昭和史の謎に迫るのが目的だった。

  ・日中戦争やそれに続く太平洋戦争の開戦、敗戦、連合国による占領、その中で昭和天皇が、どのような発言をし行動したかは、戦後40年以上過ぎてもまだ未公表の点が多い。

  ・社会部では昭和天皇の手術以降、「宝探し班」と名付けたチームを作り、太平洋戦争を挟んだ宮内庁関係者や、旧皇族らをリストアップし、生存者や遺族ら関係者にあたり、生の証言や、日記、写真など、資料を集めた。

  ・政府に公開を求めていくことはもちろんだが、歴史の発掘者として記者に何ができるか、今、それが問われている。

 自分の国を憎むことしか知らない、反日左翼記者たちのやることに何の期待があるでしょうか。本多勝一、植村隆、加藤千洋など、かっての朝日の記者たちが、吉田清治の大嘘を特ダネにしたように、碌でもない捏造資料を手に入れ、反日運動の足しにしようと、そんな魂胆しか見えません。

 昭和天皇のご逝去を、国民の一人として悼むこともせず、見当違いの「社会正義」に自己陶酔する高橋氏を、私は軽蔑するだけです。叙述はまだ続きますが、これで止めます。

 新年早々歪んだ書物に触れていますと、心まで歪みます。爽やかだった晴天の正月を過ごしたので、これ以上不愉快になるのは止めます。

 息子たちに言います。

 ・共同通信社は、朝日新聞を超える反日左翼会社です。眉に唾して読みなさい。

 もしも本日「ねこ庭」を、訪問されている方がおられましたら、その不運にお悔やみを申し上げます。

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共同通信社社会部編『共同通信社 社会部』 - 5 ( 天下の「悪書」 )

2019-01-06 07:58:43 | 徒然の記

  今回も「平成の皇室」の続きです。不愉快ですが、紹介します。

  ・平成4年1月、天皇はブッシュ大統領を赤坂御所に招いて、ペアでテニスをしたり。3月には、ペルーのフジモリ大統領を車に乗せて、御所内をドライブするなどのもてなしをした。

  ・公式行事でのやりというのは、とかく堅苦しくなりがちだから、家族的な雰囲気で暖かくもてなしたいという、両陛下の意向の表れだ。

 陛下だけのお考えでなく美智子様とご相談の上と、ちゃんと説明してあります。これが、皇室に吹く新しい風です。

  ・赤坂御所内で、時折、茶会が開かれる。立食形式で簡単なつまみと、飲み物が出される。天皇はジュースかチェリー酒だが、皇后はさっと日本酒のグラスを手にする。側近によると、ブランディーもお好きという。お酒は、強いようだ。

  ・その血は皇太子に継がれ、皇太子も特に日本酒に目がなく、弟の秋篠宮からうわばみと評されている。学習院大在学中、学友らとのコンペで飲みすぎ、一時意識を失ったエピソードもある。

 私は取り立てて、尊皇の意識が厚い人間ではありません。

 頑迷な保守の人のように殊更かしこまったり、仰ぎ見るような気持ちもありません。ただ天皇は、遠い昔からご先祖様の心の中心におられ、荒武者の武家でさえ、不可侵の存在として接していました。なぜそうなったのか詳しくは知りませんが、何時からか天皇のご存在が、日本の宝でないかと思うようになったのは事実です。

 私は4年前の12月に、皇室記者だった板垣恭介氏の著書『無頼記者』を、「ねこ庭」で紹介したことがあります。

 板垣氏は警察回りの事件記者から皇室記者となり、自称美智子様の親派だと述べていました。それなら偏らない意見が聞け、新しい知識が得られるかと期待しましたが、氏のような人物でも皇室記者になれるのかと、逆に新しい発見をしました。

 氏は昭和8年生まれで、早稲田大学卒業後「共同通信社」へ入社し、私より10才年長でした。本の冒頭で、戦前の日本を振り返りながら自分を回想していました。

  ・昭和20年8月15日。私は旧制中学一年生で、満12才7ヶ月だった。

  ・日本は戦争をしても、絶対に負けない神国だと教育されたバカな少年が、昭和天皇の敗戦の言葉を、山梨県の疎開先で聞いた。

  ・私は太平洋戦争が、世界の人々を解放する聖戦だと教えられそのために死ぬことが、正義だと信じ込んでいた。

 氏は戦前を否定する人間となり、反政府の立場に立つ人間となったと言い、新しい皇室を作ろうとされている美智子さまのファンになったと、説明していました。

 軽薄で眉を顰めたくなるような話が、最初から最後まで語られ、板垣記者の人間性まで疑いました。共同通信社の本を読む印象が、そっくりなのでつい思い出しました。

 板垣氏が「共同通信社」の記者だというのは、偶然の一致でなく、むしろ氏は高橋部長の「報道指針」で育てられた記者だったのかもしれません。

 板垣氏の著書『無頼記者』は平成10年の出版で、高橋部長の本は平成4年です。皇室の方々を語るのに、敬語も丁寧語も使わないところは偶然の一致ではないのではないでしようか。

 陛下や美智子先のお酒の好みなどを紹介するのに、もなんの意味があるのか、取るに足りない事を公にする社風が理解できません。

 彼らに言わせれば「人間らしい」とか、「微笑ましい」とか、そんな感想になるのでしょうが、読んでいる私は苦々しい気持ちになるだけです。

 高橋氏の本の紹介を続けます。

   ・天皇、皇后の新しい住まいとなる吹上新御所 ( 仮称 ) は、半蔵門近くに建築中で、平成5年に完成予定だ。

  ・現在の吹上御所には、皇太后が一人で住んでいるだけ。天皇一家は、元赤坂の赤坂御用地内に住み、天皇は公務のため週に二、三回、車で皇居に通勤している。

 共同通信社には自社の出版物について、校正という手順がないのでしょうか。

 言葉遣いを知らない記者が、おかしな文章を書いたら修正したり、注意したり、そのようなことはしないのでしょうか。それともこれが、高橋氏の言う「社会正義」なのでしょうか。

 天皇のお出ましを、こともあろうに「通勤」と表現するのですから、とんでもない通信社があったものです。

 とんでもない会社の、本の内容を紹介します。

  ・皇室取材の最前線、宮内記者会は宮内庁庁舎の二階にある。

  ・新聞、通信、テレビ、計15社が詰め、常勤、非常勤合わせて、その数585人。昭和天皇が死去した、昭和64年1月には、千人を超えた。

  ・皇室を取材する記者たちが、天皇、皇后、皇太子らに、直接取材できるのは、公式の記者会見だけである。

  ・春の植樹祭や、秋の国体に両陛下が出かけると、毎夕刻、その日の感想が出されるが、これは侍従が感想を聞き、それを発表する形式をとっている。肉声は、なかなか聞けない。

 この本を読み終わったらどうするのか。私はすでに決めています。5年前に、朝日新聞の記者本多勝一の著書を読み終えた時、フログに残した言葉を今も覚えています。

 「この本は生ゴミと一緒に袋へ入れ、ゴミステーションに打ち捨て、清掃工場で灰にしてしまう。」

 「たとえそうしても、私の怒りは治まらない。」

 その気持ちの上に立ち、本の内容の紹介を続けます。

  ・昭和天皇の時代、記者会見という言葉は使わず、「お会い」、「ご会釈」、などとしていた。会見とは外国の元首など、天皇と対等の立場の場合に使い、記者とは、たまたま道で出会ったという形式をとる。記者が会見など、恐れ多いと言うわけだ。

 まだあと一回ブログを書きますが、それ以後この本は必ず『中国の旅』同様の処置をします。

  ・平成になってから宮内庁は、両陛下揃っての会見を、正式に記者会見と決めた。天皇の、意向に沿ったという。

  ・開かれた皇室への第一歩と見られたが、逆に回数は減った。昭和天皇は毎年、四月の誕生日のほか、夏の御用邸で、静養の折にも記者会見した。

 今上陛下は即位後、誕生日前の一回に減らされ、美智子様は前の皇后様もされていなかったという理由で、誕生日前の記者会見を取り止められたと書かれています。

   ・即位後初の記者会見での質問事項として、昭和天皇の戦争責任と大嘗祭のあり方を提出したが、宮内庁は難色を示した。

  ・このときは、最終的に記者会見側の主張が通ったが、天皇は、平和の大切さや憲法の重要性を強調したものの、戦争責任については、答える立場にないとした。

  ・国政に関する機能を有しないはずの、天皇のお言葉とは、いったい何なのだろう。

  ・昭和天皇の二回の外国訪問は、欧米で、日本の戦争責任についての外交的決着と受け取られ、ホワイトハウスでの、「深く悲しみとする、あの不幸な戦争」とのお言葉は、米国側に感銘を与えた。

  ・日本が侵略した、韓国、中国訪問が実現しても、お言葉が焦点になるのは、間違いない。

  反日左翼の共同通信社の記者の意見は、どうせこのようなものでしょう。

日本がいつどのように、韓国を侵略したというのでしょう。第二次世界大戦で韓国人は。日本軍の一員として戦っており、韓国人の将軍が日本兵の指揮してもいました。

 日本の侵略という従来の意見も、米国やロシアでの資料が明らかになるにつれ、別の見方が出てきています。判で押したような同社の記者の意見は、「東京裁判史観」から一歩も出ていません。

 陛下との会見で、「戦争責任」について質問するなど、日本人のすることでしょうか。無神経で、愚かしいこの共同通信社の記者に、怒りが抑えられなくなります。ブログをやめるべきなのですが、「毒を喰らわば皿まで」とあと一回続けます。

 この本は日本の歴史を汚し、国民の心を歪める「天下の悪書」の一冊です。

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共同通信社社会部編『共同通信社 社会部』 - 4 ( 同社が見る、昭和と平成の変化 )

2019-01-05 08:39:12 | 徒然の記

  「平成の皇室」というタイトルがあります。書かれている文章を、紹介します。

  ・平成の皇室には、昭和天皇のころと比べ様々な変化がうかがえる。

  ・即位後、朝見の儀のお言葉の中で天皇は、「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い」、と述べた。

  ・国民に皆さんと呼びかけることは、昭和天皇時代には考えられないことだった。新閣僚の認証式では、昭和天皇の「ご苦労である」から、「ご苦労に思います」と、ですます調の言葉遣いになった。

  ・私的な外出では、赤信号のたびに車をストップさせたり、侍医のおしつけ ( 毒味 ) や、就寝前の検便拝診も中止された。昭和天皇が経験したこともない、人間ドックも受けるようになった。

     ・即位後初の外遊は、東南アジア三カ国になった。

  ・平成の皇室外交を占う意味から、どこを最初に訪れるのか注目されたが、タイ、マレーシア、インドネシアに決まり、昭和天皇が行かなかったアジア重視の姿勢が見られた。

  ・昭和とは違う新しい風が、皇室に吹き込んでいる。

 叙述はまだ続きますが、ここまで読むだけで不愉快になりました。開かれた新天皇が誕生されたと親しみを込めて書き、著者が昭和天皇より新天皇に心を寄せている気持ちは理解するとしても、客観的な文章ではありません。

  ・今上陛下を立派な方として語るについて、異論はありませんが、わざわざ昭和天皇と比較し、以前が尊大であったかのような表現は妥当と思えません。

 天皇のお言葉が「ですます調」に変化したことや、国民に「皆さん」と、呼びかけられるようになられたことは、昭和天皇との比較で強調しなくてもできることです。著者は、昭和天皇と今上陛下の違いを、どうしてここまで善悪の色で語ろうとするのでしよう。

 「汝臣民」と、昭和天皇は国民に語りかけられましたが、陛下が生きられたのは、そういう言葉しか使わなかった時代です。共同通信社の社員は歴史を考えていないのか、あるいは「東京裁判史観」に染まり戦前を悪しきものとして語ろうとしているのか。私には、後者の悪意が見えてなりません。

 陛下を語る言葉遣いにも、礼節がありません。

  「天皇が言った。」

  「天皇が訪れた。」

 という書き方には、陛下への敬意がありません。彼らがこうして日々失礼な言葉で記事を書き、全国津々浦々に発信すれば、いつの間にか国民が敬意の念を失っていきます。

 共同通信社が配信する地方紙の部数は、全国紙の朝日や読売を上回っていますから、この事実だけでも、私は同社を全国紙に劣らない反日左翼マスコミと断定します。さりげなく皇室を貶め、国民の気持ちを遊離させる巧妙なやり方を、たとえ偏見と笑われても指摘します。

 「侍医のおしつけ ( 毒味 )」や、就寝前の検便、拝診も中止された。」

 「昭和天皇が、経験したこともない人間ドック」

 のことなど、何のためわざわざ書くのでしょう。

 私の知る噂話では、美智子様がこうした習慣を嫌悪されたので、今上陛下がご自分の代で止められたと伺っています。著者の説明では、今上陛下が合理的近代的思考をされており、昭和天皇が旧弊だったとそういう批判に読めます。

 市民目線で、社会正義のため記事を書くと公言するのなら、こうした情報がどこから、何のために公にされているのかを検討をしなかったのでしょうか。

  ・天皇の几帳面な性格も、随所に現れている。例えば国賓が来日した際の、贈り物の交換だ。

  ・日本側からは陶器の花瓶や、蒔絵の宝石箱などを贈るが、天皇は自ら相手国によって何が一番ふさわしいか、じっくり、吟味して決める。気配りを示す、一例とも言える。

  ・昭和天皇は、全部側近任せだった。

  ・今の天皇は、何かにつけて細かい面があり、来日直前まで決まらずやきもきすると漏らす、宮内庁職員もいる。

  ・お言葉にもぎりぎりまで手を入れるため、なかなか決定版ができないこともあるという。

 昭和天皇の時代には、こうした皇室の私的なことは外に漏れませんでした。

 野次馬根性のマスコミには興味深くても、一般の国民には知る必要のないことばかりです。私もそうですが、国民の多くは誰がこのように情報を漏らしているのかと、そちらの方を心配するのではないでしょうか。

 宮内庁の人間にしか知り得ないないことですから、皇室をお守りすべき人間が何かの目的で内部告発をしているとしか考えられません。お金のためか、反日左翼の人間なのか、とんでもない不届き者です。

 共同通信社の高橋氏は、

  「昭和とは違う新しい風が、皇室に吹き込んでいる。」

 とトンマな意見を言う前に、

  「昭和にはいなかった、内部告発者が出てきた。」

 と、そちらの方に警鐘を鳴らすべきでしょう。それともこの内部告発者は、共同通信社から謝礼をもらいスパイ行為をしているのでしょうか。

 今上陛下に関するご説明も、誉めているのか悪口なのか不愉快な文章です。高橋氏に説明されなくても、今上陛下については国民の方が知っています。陛下がなぜこのように慎重なのか国民の多くが知っています。

 陛下は天皇になられる以前から、なにごとも美智子様とご相談の上決められていました。「男女平等」を信じておられますから、何ごともおふたりで相談され、しかもそのご様子を国民に伝えられ、「開かれた皇室」を作ろうと努力されていました。

 国賓への贈り物がなかなか決まらないのも、お言葉のお手入れに時間がかかるのも、美智子様の同意がなくては、陛下が先へ進まれないからです。

 「皇室の内側」を公にすることで、国民との距離が縮まり、皇室への親しみが強くなるとお考えだと聞きます。陛下と美智子様のおかげで国民は色々なことを知りましたが、私は少しも喜んでいません。

 皇室内の人間関係や皇室の方々の恋愛、友人関係や服装まで、週刊誌が書き立てていますが、こうした風潮は昭和時代にはありませんでした。陛下を始め皇族の方々がゴシップまみれになり、芸能人のように扱われていることは、国民の敬意や親しみの念を深めることに役立っているのでしょうか。

 私はここで度高橋氏が語った「報道指針」を、思い出します。

   ・後のことを心配して小さく構えるより、大きく構えろだ。
 
  ・  騒ぎすぎは、決して恥ではない。
 
     ・ニュースは、視点によって、その意味合いが大きく変わる。
 
  ・ニュースは、受け手 ( 記者 ) の側に、素直に驚くといった感性や、面白がってやるという、野次馬根性がないと、ニュースにならないことがある。 
 
 氏は同じ軽薄なことを、皇室報道で実行しています。
今上陛下と美智子様のお考えに悪乗りし、低俗雑誌のゴシップ記事のように叙述しています。心ある国民は、氏の説明を苦々しく読むはずです。昭和天皇は御陵の中で心を痛められているのでないかと私には思えます。
 
 次回も共同通信社の社会部部長につきあい、ブログを続けます。皇室については紹介するのを避けたかったのですが、同社がここまで不躾に語るのを見過ごすことができなくなりました。
 
 この問題に触れたくない方々は、どうかスルーしてください。
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共同通信社社会部編『共同通信社 社会部』- 3 ( 仙石由人氏への追悼記事 )

2019-01-04 13:00:13 | 徒然の記

  本が出版された平成 4年がどういう年だったのか、調べてみました。

 高橋氏が得意そうに部の「報道指針」を語るのですから、景気の良い年だったのかも知れません。

  ・バブル景気は、この年に過去のものとなったが、また景気が持ち直すだろうと、楽観的に捉えている風潮が強かった。

  ・内閣総理大臣: 宮沢喜一、内閣官房長官: 加藤紘一、12月より内閣官房長官: 河野洋平。

 以上が政権の概要で、主な出来事が次のようになっていました。

   3月  東海道新幹線で、「のぞみ」が運転開始

       長崎県に、ハウステンボスが開業

   4月  太陽神戸三井銀行が、さくら銀行に社名変更

   5月  国家公務員の、週休二日制スタート

        細川護煕前熊本県知事が中心となり、「日本新党」結成

      『サザエさん』の作者として知られる、漫画家の長谷川町子が死去

   7月  山形新幹線開業

        任天堂が、スーパーファミコン「マリオ」の発売開始

        JR東日本が、山手線の全駅で禁煙実施

   8月  金丸信が、東京佐川急便から5億円を受領した問題で、自民党副総裁を辞任 

   9月  毛利衛が、スぺースシャトル・エンデバーで、宇宙に向けて出発

       全公立学校で、毎月第2土曜日を休業日とする、月1回の週休五日制スタート

    10月   天皇 、初の中国訪問

 懐かしい出来事ばかりですが、26年前のことなので知らない人が増えているのかも知れません。宮沢内閣は官房長官が加藤紘一氏と河野洋平氏というのですから、民主党内閣に負けない自民党の最低内閣でした。

 見識のない高橋氏の著作が出版されるのに、ふさわしい年です。

 偶然というものが、確かにあります。抜き書きした最後の出来事が、「 10月  天皇 、初の中国訪問」でした。途中を全て省略してもここだけはブログにしたいと、著作で唯一興味を抱いたのが、皇室に関する叙述でした。

 突然ですが、「皇室」予定を変更いたします。横の脇机に重ねている新聞があります。昨年の12月27日の千葉日報を只今手にし、唖然としました。

 高橋部長の「騒ぎ過ぎOK」の「報道指針」が、よく分かる記事です。同社の反日姿勢も分かる記事ですから、予定を変更して紹介します。

 「追憶」というタイトルで、故人の思い出が、写真とともに語られる特集ページです。紹介されている人物が輪島大士、芦田淳、長部日出雄の3氏と、残る一人が仙谷由人氏です。

 去年の12月26日から、31日の大晦日の夜まで、私は6回のシリーズで佐々淳行氏の著書『彼らが日本を滅す』を紹介しました。その中で氏が許す事のできない政治家として、最も糾弾していたのが仙谷由人氏でした。

 12月27日の特集は、その仙谷氏を称賛する記事で、柿崎明二と記者の署名まであります。記事の見出しを、紹介します。

  「日本の宿痾を追求した、政治家」

  「10月11日、72才で逝去」

  「発した生々しい気迫」

    掲載した写真に添えられた説明文も、紹介します。

  ・2009年3月、衆議院消費者特別委員会で質問する仙谷由人さん。

  ・消費者庁の権限について、当時の麻生太郎首相が示した法解釈を、でたらめなどと厳しく追求した。

 反日左翼過激派の思考を政治に持ち込み、日本の政治を批判し、中国へ屈辱外交をして国威を貶めた氏を、共同通信社はなぜここまで無批判に褒められるのか。

 疑問だらけの配信記事ですが、一部を紹介します。

  ・生々しい気迫を発する、数少ない政治家だった。

  ・最初に感じたのは、20年余り前、野党時代の質問だ。農水省事業の価格高止まり要因である農水省と企業の癒着に、メスを入れるためだった。

  ・農水省のOBを抱える企業が落札していることを明らかにした上で、関連資料の提出を迫った。

  ・その気迫を、筆者は直接ぶつけられたことがあった。2009年8月の衆議院選で、民主党の政権獲得が決まった時の会食の場だった。

  ・政治には野党が大事ですから、これからは自民党を応援することにしますと話しかけると、憤怒の形相で睨み返された。

  ・偏らずに報道するという意味だったが、仙谷氏には筆者の軽い口調が許せなかったのかもしれない。

 軽いというよりこの記者には、社会常識と政治信念がありません。マスコミが常に野党を応援するという姿勢でいくのなら、仙谷氏でなくても聞き捨てならない軽薄な意見です。

  ・氏は中国漁船による海上保安庁の巡視船衝突事件では、官房長官として、一人矢面に立った。

 こんな書き方をされると事情を知らない国民は、仙谷氏が孤軍奮闘し、問題解決にあたったと誤解します。佐々氏は著書の中で、仙谷氏の横暴な行動を詳細に説明していました。中国漁船による「衝突事件」でなく、中国漁船による「体当たり事件」だと言ったのに、柿崎記者はここでも「衝突事件」と、事実を糊塗した仙谷氏の言葉を使っています。

 「命をかけて国民を守る警察官、自衛官、海上保安官を敵視する政治家は、二度と、官房長官の要職につかせるわけにいかない。」

 佐々氏が遺言として残した著書の中で、最も強調した意見が、この追悼記事で消し去られています。佐々氏は去年の10月に87才で亡くなっていますから、「追憶」の特集記事で取り上げられるのは、仙谷氏より佐々氏ではないかと思うのですが、反日左翼を支援する共同通信社には、そのような考えがありません。

   「市民感覚、生活感覚が大切だ。」
 
  「かりそめにも、特権意識など、持ってはならない。」
 
  「そしてバックポーンは、社会正義だろう。」
 
 高橋氏の言葉を思い出すと、柿崎氏の追悼記事のどこに市民感覚があるのでしょう。武力を誇示する中国に屈した仙谷氏のどこに、社会正義があったと言うのでしょう。
 
 高橋氏と柿崎氏を含め、共同通信社「社会部」の記事は、どうやら今年も「国を大切にする国民」への挑戦で始まるようです。
 
 皇室に関する記事の紹介は、次回といたします。
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共同通信社社会部編『共同通信社 社会部』 - 2 ( 社会部の報道姿勢と取材指針 )

2019-01-04 07:33:36 | 徒然の記

  今回は「共同通信社」の概要を紹介します。

   会社設立  ・・ 昭和20年

   社  長  ・・ 水谷亨(とおる)氏

   正式な社名 ・・ 一般社団法人共同通信社 ( 一般社団法人組織のため、資本金、株式は無し)

   支社の所在地・・ 札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、福岡

   総局・支局 ・・ 主要都市45カ所

   海外拠点  ・・ ニューヨーク、ワシントン、ロンドン、パリ、モスクワ、北京、バンコク、カイロなど、世界の主要41都市

   社 員 数 ・・ 2018年4月1日現在で、1,683人   ( 朝日新聞  4,449名 )

 通信社の役目はニュースを新聞社へ届けるまでで、印刷、販売、配送、配達は新聞社の仕事です。

 世界中で新聞社と分業体制を確立していますが、双方が営利企業なので互いに依存しながら、潜在的には商売敵という複雑な関係にあります。

 スポーツやテレビ番組、社説の紙面まで配信記事となっているため、新聞に特色がなくなり、横並びになる理由が分かりました。安倍首相を酷評し、執拗な「モリカケ」報道を氾濫させているのは通信社だったかと、新しい敵を発見しました。

  今回の本は、「共同通信社」の中にある「社会部」の話です。
 
  ・「社会部記者」って、いったい何だろう。読者が最初に抱くイメージは、事件記者だろうか。
 
  こういう書き出しで始まります。
 
 ・事件・事故、裁判から環境、教育問題など、人々の暮らしに関わるテーマを追い、社会の変化をきめ細かく伝えるのが、「社会部」とでも言えるのだろうか。
 
 「通信社」の存在を特に意識していなかったのですから、「社会部」についても当然知りませんでした。
 
  ・皇室や選挙もカバーする。湾岸危機では現地に記者が飛び、日本人や難民をルポ。北極・南極にも出かけるといった具合に、国際化、情報化の中で、取材活動は、地球規模になっている。
 
  ・俗に「記者クラブ」と言われる中央官庁の担当記者と、「社会部」を拠点に動く遊軍記者が一体となって、現代文明の実像に迫る連載企画にも取り組む。
 
  ・人間の喜怒哀楽、ヒューマンインタレストが、社会部の変わらぬテーマだ。取材する際のアングルは、小津安二郎監督ばりのローアングルか。普通目線から、やや下。市民感覚、生活感覚が大切だ。かりそめにも特権意識など、持ってはならない。そしてバックポーンは、社会正義だろう。
 
 この文章を読んだとき、著者の思い込みの酷さに読む意欲を削がれました。昨年の7月から10月にかけて共同通信社の記事を読み、独りよがりの報道に辟易しました。反日野党と共に、モリ・カケ問題で執拗な安部総理批判を展開し、印象操作記事を全国に発信していました。
 
 取材のアングルが小津監督ばりで、目線がやや下というのが何を指しているのか、私にはピンと来ません。北朝鮮によるミサイル危機の中で、狂ったように安部批判を繰り返し、国会空転の野党を応援した姿勢のどこが市民感覚だったのかと、不愉快にになります。極め付けはこの言葉でした。
 
 「かりそめにも特権意識など、持ってはならない。そしてバックポーンは、社会正義だろう。」
 
 時代により社会正義は変化します。今の日本で言えば、私のように国を愛する者の社会正義と、反日左翼の人々の社会正義が対立しています。社会正義は国の数、民族の数学者の数だけ存在すると、私はう考えています。せめてこのくらいの客観的な話をした上で、「正義」という言葉を使って欲しいと思います。
 
 「かりそめにも、特権意識など持ってはならない。」と自戒していますが、臆面もなく口にする厚顔さを、私は氏の「特権意識」考えてしまいます。新聞記者が特権意識を持つなと、口にするところからして常識を疑いました。
 
 氏は高揚した気持のまま、「女子大生殺人事件」、「リクルート事件」、「連続幼女殺害事件」、「御巣鷹山への日航機墜落事故」等々、次々と語ります。日本一の通信社の著作なので、それなりの見識を期待しましたが、コンビニの棚から無作為に手にしたゴシップ週刊誌と変わらないレベルでした。
 
 この程度の会社だったかという発見ができたので、これも貴重な経験ではあります。朝日と同様、同社の記事も眉唾物だという天の神様からの「お年玉」だったのかも知れません。自分だけの「お年玉」ではもったいないので、息子たちと、訪問される方々にも分けます。
 
 「報道の構え」「ニュースセンス」と題した、社会部の指針がそれです。部長の説明に従い、順番に紹介します。
 
  〈 お年玉 1 「報道の構え」 〉 
 
  ・ニュースは、必ずしも完全な形で入ってくるとは限らない。果たして、信頼できる内容か、重大事件に発展する可能性があるかなど、その場で判断できないことがある。
 
  ・後のことを心配して小さく構えるより、大きく構えろだ。騒ぎすぎは、決して恥ではない。
 
   〈 お年玉 2 「ニュースセンス」  〉 
 
  ・ニュースは、視点によってその意味合いが大きく変わる。ニュースは、受け手 ( 記者 ) の側に、素直に驚くといった感性や、面白がってやるという野次馬根性がないと、ニュースにならないことがある。
 
 無責任とも言える軽薄な姿勢で記事が書かれ、全国発信されていたのかと考えると、不愉快になるのは私だけでしょうか。「騒ぎ過ぎ」はマスコミの恥と、私は考えています。「野次馬根性」も強調するほど必要なものでしょうか。
 
 最初からこの調子では、先が思いやられます。興味のある方だけ、次回へお越しください。
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共同通信社社会部編『共同通信社 社会部』 ( 世界の通信社一覧など )

2019-01-03 10:49:24 | 徒然の記

 共同通信社社会部編『共同通信社 社会部』( 平成4年刊 共同通信社 )を、読了。

 去年の7月に10回のシリーズで、『共同通信社』のブログを書きました。その時は書評でなく、そもそも通信社とはなんであるのか。世界にはどんな通信社があるのかについて、知りたくなったからでした。

  世界のどのような国が、どんな通信社を持っているのか、昨年と重複しますがそのまま紹介します。 

 [ ア ジ ア ]

  日 本   共同通信社  時事通信社  ラジオプレス  東京ニュース通信社  JX通信社

  韓 国   聯合ニュース

  中華民国  中央通訊社

  中 国   新華社  中新社

  北朝鮮   朝鮮中央通訊

  ロシア   RIAノーボスチ  インテルファックス通信

  ラオス   ラオス通信社

  インド   PTT通信(PTI)  インド連合通信(UNI)

 [ 南北アメリカ ]

  アメリカ   AP通信   トムソン・ロイター  UPI通信社

  カナダ    カナディアンプレス

  アルゼンチン  テラム通信

 [ ヨーロッパ ]

  ドイツ    EPA通信  ドイツ通信社
 
  フランス   フランス通信社 ( AFP通信 )
 
  イタリア   ANSA
 
  ロシア          ロシアの今日   イタルタス通信  インテルファックス通信
 
  ウクライナ  ウクライナ独立通信社
 
  ポーランド  ポーランド通信社
 
  ハンガリー  ハンガリー通信 ( MTI )
 
  アゼルバイジャン  アゼルバイジャン国営通信

  これが現在の世界にある、通信社の一覧です。

 共同通信社に関心を抱いたキッカケは、朝日、毎日といった全国紙の記事に、不信感を持つようになったからでした。特に朝日新聞の、「慰安婦報道」や「教科書問題」に関するニュースは日本を傷つけ、世界の国々から、軽蔑と嫌悪を集める記事でした。

 詐欺師だった吉田清治の嘘を、トップ記事で世界に発信し続け、誤報と分かった後も訂正をしませんでした。国内でだけ、申し訳のように曖昧な修正記事を出し、社長の辞任でお茶を濁しました。

 このため、どれだけ多くの日本人が心に傷を負い、日本の歴史に罪悪感を持たされたか。私は、朝日新聞を筆頭とするマスコミの捏造と反日の記事を許していません。

  昨年は怒りのブログを書き、その作業をしている時、新聞社そのものに記事を売り、これを生業とする通信社の存在を知りました。日本で一番大きな会社が「共同通信社」であると分かり、10回のシリーズを書きました。

 共同通信社が、日本のどのような新聞に自社の記事を配信 (販売) しているのか、これも重複しますが再転記します。配信先が地方紙一覧なので、全国紙の朝日、毎日、産経などは除外しています。

 私はこれを見て、日本の世論を誘導し反日左翼思想を拡散しているのは、共同通信社も同罪であることを知りました。

  北海道新聞  室蘭民報  河北新報  東奥日報  デーリー東北
 
  秋田魁新報  山形新聞  岩手日報  福島民友新聞  ジャパンタイムズ
 
  東京新聞   下野新聞  茨城新聞  上毛新聞   千葉日報
 
   神奈川新聞  埼玉新聞  山梨日日新聞  信濃毎日新聞  新潟日報
 
  中日新聞   中部経済新聞  伊勢新聞  静岡新聞  岐阜新聞
 
  北日本新聞  北國新聞   福井新聞   富山新聞  北陸中日新聞

  日刊県民福井 京都新聞   神戸新聞   奈良新聞  大阪日日新聞

  山陽新聞   中国新聞   日本海新聞  四国新聞   愛媛新聞

  徳島新聞   高知新聞   西日本新聞  大分合同新聞 宮崎日日新聞

  長崎新聞   佐賀新聞   熊本日日新聞  南日本新聞  沖縄タイムズ

  琉球新報   スポーツ日本新聞東京  スポーツ日本新聞大阪

  報知新聞   日刊スポーツ新聞東京    日刊スポーツ新聞大阪
 
  ディリースポーツ  47NEWS
  
 この上で同社の本に臨むのですから、私が好意的な読者であるはずがありません。昨年同様、今年も私の怒りの読書が始まります。
 
 著者は「共同通信社社会部」で、個人名がありません。代表して「あとがき」を書いているのが、社会部部長の高橋宏氏ですから、私はこの人物を著者と考えることにしました。今回は前段の説明で終わりましたが、次回から内容を紹介します。
 
 今日も爽やかな青空と、日差しがいっぱいの朝です。 
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