ねこ庭の独り言

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南京事件の総括 - 2 ( 松井大将の人となり )

2019-01-13 00:20:54 | 徒然の記

 松井石根(まつい いわね)大将は、南京事件の責任を問われ、東京裁判 ( 極東国際軍事裁判 )で死刑判決を受け、処刑されました。

 著者の田中正明氏は、松井石根大将の秘書を務め、松井大将と蒋介石の会談に同席したという、経歴の持ち主です。氏は明治44年長野県に生まれ、平成18年に95才で亡くなっています。

  著者の人物像を、水間政憲氏が「まえがき」で語っていますので紹介します。 

 「昭和20年8月、日本は戦争に敗れ、GHQ (連合国最高司令部) の、占領下に置かれた。」「そんな中にあって田中氏は、一冊の本を出版すべく、秘密裏で作業を進めていた。」

  「昭和27年4月28日、日本が主権を回復したその日、 真理の裁き『パールの日本無罪論』  を、太平洋出版から発刊した。」「この目的は、GHQの政治宣伝に、立ち向かうことであった。」

 「田中氏は戦前、大アジア協会の機関紙、『大アジア主義』の編集長だった。」「大アジア協会は、日中両国民の協力を柱とし、全アジアの団結と解放を目指すための、活動をしていた。」「松井石根大将が協会の会長で、田中氏はその秘書だった。」

 「その松井会長が東京裁判で、南京大虐殺の責任者として起訴され、処刑された。」「このことへの憤りが、田中氏の著作活動の原点となった。」「それは単なる私憤でなく、公憤だった。」「なぜなら松井大将の名誉を回復することが、国民に刷り込まれた、GHQの政治宣伝の呪縛を解く鍵になるからである。」

 南京事件は東京裁判で初めて持ち出されたもので、それ以前は、ほとんど誰も知らない話でした。裁かれた松井大将自身も、最初は何のことを言われているのか、分からなかったのではないでしょうか。

  蒋介石を撃滅すべしという強硬論が大勢を占める中で、松井大将は蒋介石との連携が大事と考える、少数派の軍人でした。日本に留学した蔣介石と親交があった大将は、、昭和2年訪日を働きかけ、田中義一首相との会談を取り持ち、事態の打開を図ったことがありました。

 会談で田中首相は蔣介石に対し、次の3点を要請しました。

   1.  北伐を急がず、揚子江以南の掌握に全力を注ぐへきこと。

   2.  共産主義の蔓延を警戒し、防止すべきこと、

   3.  1. 2.に対し、日本は支援を惜しまないということ

  最終的に二人が合意したのは、次の2点でした。

   1. 国民党革命が成功し中国統一が完成した時、日本はこれを承認する。

   2. 国民党政府は、満洲における日本の地位と特殊権益を認める。

 ところが、昭和3年(1928年)5月3日、」「済南事件が起き、陸軍内で蒋介石への批判が相次いで、日中関係は、松井大将の意図に反した方向へと流れていきます。

 以後の経過を田中氏の著書から、時系列で転記します。

  ・ 同年6月4日、張作霖爆殺事件が勃発。この事件の発生により、田中・蒋会談の合意内容が瓦解。

  ・ 松井は張作霖を、反共の防波堤と位置づけ、首謀者である、関東軍河本大佐の厳罰を要求。若手の将校の間では、松井を頑固者扱し、敬遠する声も多数あり。

  ・ 処罰はうやむやのままになり、昭和天皇の叱責を受け田中が首相を辞任。

  ・ 昭和6年9月の満州事変、昭和7年3月の満州国建国を経て、蒋介石の抗日姿勢強まる。

  ・蒋介石との連携による、全アジア団結構想は破綻したが、松井は、昭和8年3月に大亜細亜協会を設立。松井は会長、会員は近衛文麿、広田弘毅、、小幡敏四郎、本間雅晴、鈴木貞一、荒木貞夫、本庄繁。

  ・欧米列強に支配されるアジアから脱し、アジア人のためのアジアを実現するためには日中の提携が第一である、とする松井らの「大亜細亜主義」が活動開始。

   ・ しかしこの活動は昭和13年1月16日、近衛文麿首相の、「蒋介石を相手とせず宣言 ( 近衛声明 )」で終わった。

  ・ 松井は軍中央から中国寄りとして更迭され、2月21日に上海を離れて帰国、予備役となった。

  ・ 昭和13年、熱海市伊豆山滞在中に、日中両兵士の犠牲を、「アジアにおける欧米諸国植民地が独立するための犠牲であった」として、その供養について考えた。

  ・ 昭和15年、日中戦争における日中双方の犠牲者を弔うため、伊豆山に興亜観音を建立。麓に庵を建てて住み、毎朝観音教をあげた。

 こういう松井大将が東京裁判で、南京大虐殺の最高責任者として処刑されました。かって秘書だった田中氏には、耐え難く、信じ難い判決でした。

 ブログのスペースが無くなりましたので、今夜はここで一旦止めます。

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