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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

田中正明氏著『南京事件の総括』 - 3 ( 東京裁判とアジア各地でのBC級裁判 )

2019-01-13 18:12:36 | 徒然の記

   今回は、田中氏の著作の第4章の書き出しの部分を紹介します。

  ・マッカーサー元帥の、6年8ヶ月に及ぶ長期日本占領政策の究極の目的は何であったか。

  ・アメリカ統合参謀本部は、昭和20年8月29日、当時マニラにいたマッカーサーに、「伝令使」によって、有名な「第1号アメリカ政策文書」を伝達した。その第一部、究極の目的の項にはこう記されている。」

  ・日本国が再び米国の脅威となり、または、世界の平和および安全の脅威とならざることを確実にすること。

  ・すなわち、「日本弱体化政策」の使命をおびてマッカーサーは、厚木に降り立ったのである。

  ・彼は厚木に到着すると真っ先にソープ准将に、東条以下の戦犯狩りを指令した。

  ・これを受け、戦犯容疑者逮捕令が次々と発表され、A級戦犯の逮捕、監禁が始まった。

 GHQの日本統治については、沢山の本が出されていますので、多少は知っていますが、マッカーサーが厚木到着後に最初にやったことが、ソープ准将への逮捕指令だったとは初耳でした。

 アメリカ政府からの日本占領の「目的」が、こういう形で伝達されていたことも、初めて知りました。

  ・吹きまくる戦犯狩りの嵐の中で、敵軍の裁きを潔しとしない幾人かの軍人は、逮捕を前に自ら命を絶った。

    杉山元陸軍元帥が、拳銃自殺し、

    東条内閣の厚生大臣、小泉親彦軍医中将が続いて

    文部大臣橋田邦彦博士が、服毒自殺し、

    東条大将は、自殺未遂、

    元関東軍司令官、本庄繁大将が割腹自殺を、

    元首相公爵近衛文麿が、服毒自殺を遂げた。

   ・こうしてA級戦犯容疑者約200名が、巣鴨拘置所に逮捕監禁された。

  マッカーサー元帥への司令は「日本の完全な武装解除」という話でなく、二度と戦争ができない国とするため、何でもやれという全権委任だったことが分かりました。

  ・同時にB、C級戦犯約5,600名が、各地で逮捕、投獄された。

  ・彼らは、横浜、上海、シンガポール、ラバウル、マニラ、マヌス等々、南方各地50数カ所の牢獄へ入れられ、簡単な軍事裁判にかけられた後、約1,000名が戦犯の名の下に処刑された。

  ・B、C級戦犯とは、主として捕虜の扱いに関する不法行為の摘発でした。B級戦犯は指揮・監督に当たった将校・部隊長を言い、C級戦犯は直接捕虜の取扱に当たったもので、主として下士官、兵、軍属である。

  ・捕虜の扱に関する上官による乱暴な命令や、態度、捕虜の置かれた環境の粗悪さなど、それらがあったことは事実であろう。

  ・しかし彼らを裁く裁判とは名のみで、」「ほとんど弁護人もなく、あっても形式だけで、甚だしきは、三、四回法廷に呼び出されただけで、死刑を宣告されるという杜撰な断罪が多かった。

  ・中には、人違いのまま処刑された者もあった。

  ・犯罪事実に至っては、懲罰のため食事を減じたという、ただそれだけで銃殺刑に処せられた兵もあった。

 「東京裁判」においても、アジア各地で行われた「BC級裁判」においても、マッカーサー元帥の結論は最初から決まっていました。

  「日本の軍人は、一人残らず処刑する。」

  「将官であれ、兵卒であれ、容赦なく処刑する。」

 連合国軍最高司令官として、元帥は次の本国の指令を忠実に実行したのです。

   ・日本国が再び米国の脅威となり、または、世界の平和および安全の脅威とならざることを確実にすること。

  彼らが裁判という形式を守ったのは、それをせず日本の軍人を処刑すると、民主主義国・アメリカの体面が傷つくからでした。「日本人の精神年齢は12才の少年だ」と、元帥が言ったそうですが、裁判という形を取れば、12才の日本人には見抜けないだろうと高をくくったのでしょうか。
 
 息子たちに言います。戦争に負けるということが、どれほど悲惨な結果をもたらすのか。「東京裁判」と、アジア各地で行われたBC級裁判の実態を知ってください。
 
 田中氏はこれらの事実をもっと知りたい人のため、次の本を紹介しています。

   1. 巣鴨遺書編纂会による 『世紀の遺書』

   2. 巣鴨法務委員会による 『戦犯裁判の実相』

   3. 角田房子氏著  『責任 ー ラバウルの将軍 今村均』

   4.  上坂冬子氏著  『残された妻 ー 横浜裁判BC級戦犯秘録』 『巣鴨プリズン13号鉄扉』

 私はこの紹介本に、昭和61年に角川書店が出版した文庫本、『戦犯 ( 新聞記者が語り継ぐ戦争) 』全三巻を、追加いたします。読売新聞・社会部記者の共著です。同じ「社会部」という名前がついていても、共同通信社の「社会部」に比べますと、輝く水晶と石ころです。

 5年前に『戦犯』を手にし、新聞記者には碌な奴がいないと常々口走る自分を恥じ、「中には、素晴らしい記者もいる。」と訂正しました。

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