ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

変わらない日常

2012-02-18 13:06:41 | 徒然の記

 時の流れが、人間を変えるという事実がある。

 経過する時間は、人生の魔法だとつくづく思う。容貌や身体まで、無惨に変貌してくれるのは、余計なおまけだが、やっかいで、手に負えない、暴れ者のような心を、時が間違いなく変えてくれる。

 二十代の自分が、いくら考えても分からなかったことが、今は実感することができる。これを魔法の不思議と言わずして何と云おう。

 「叩きつけ,わめき散らし、思いをぶっつける、」「アメリカの音楽、ジャズ。」「美醜善悪の一切を、包含し、吐き出すような、本能のリズム。」

 「ここにある空しさと、やり切れなさ、」「絶叫とでも言うのか、」「僕は、その狂気のリズムに陶酔する。」

 「月を詠じ、花に嘆ずる日本人の心と、」「この狂気のリズムをつなぐものが、何なのか、僕には分からない。」「泥沼の暮らしで、もがいていても、」「傷ついても、僕は生き続けたい。」

 「あらゆるものに、体ごとぶつかり、」「倒れても起き上がる、勇気。」「苦悩でも絶望でも、何でも来い。」

 「ぬるま湯に浸かったような、平凡な暮らしに比べれば、」「苦悩や絶望の方が、ずっと生きている実感がある。」「どうしてこういう、乱暴な気持ちが、自分の中にあるのか。」「

 二十一才、大学三年生の時の日記だ。大事な就職が頭の何処にも無く、懸命に、生き甲斐を求めている自分が、いる。やりきれなかった煩悩の日々が、昨日のことのように思い出される。

 しかし今の私は、「変わらない日常」の、平凡な繰り返しに喜びを感じる。

 朝起きて部屋の雨戸をあけ、陽の光を入れ、階下の和室と居間の雨戸とカーテンを開ける。今のように冬なら、石油ストーブに火を点け、ヤカンをかける。顔を洗い、庭の木や花を眺めている間に、お湯が沸いて来る。

 ゆっくりと紅茶の準備をし、食パンをトースターにいれ、家内と二人で、早く起きた者が朝食の準備をする。紅茶には少しミルクを入れ、テレビをつけてニュースを見る。毎日これを繰り返しても、飽きない。テレビで一番好きな番組は、ニュースの後の「交通情報」だ。

 「関東地方の、新幹線を含むJRは、平常通りの運行です。」「私鉄各線の運行状況も、平常通りです。」

 続いて都内の高速道路の状況が伝えられ、それだけのことだが、とても心が安らぐ。

 雪が降ったり台風が来たり、大雨になったりすると、交通機関が乱れ、暮らしが混乱する。平常通りという報道を聞くと、安堵し、嬉しくなる。
つまり、現在の私は、二十代とは様変わりの精神状況にある。対人関係や、世間の事象への怒りは、若い頃と比べ成長していないが、「変わらない日常」から得られる、幸福感というか、感謝というのか、年相応のものになっている気がする。

 特に東日本の大震災と、原発事故を経験した今は、いっそう「変わらない日常」への感謝が生まれた。人は年を重ねれば悟れると、老人になることへの憧れがあったが、悟れない自分を見て、先日失望したばかりだ。改めて考えてみると、どうしてどうして、簡単に決めつけられないものがある。

 金がなくても、無名でも、年を取ったら、百千の煩悩が消えるのなら、これこそが、生きる希望ではないか。もしも、このブログを見ている人の中に、若者がいるとしたら、安心するがいい。

 若い時の煩悩は、それがたとえ、嵐のように心を乱しても、年月が必ず摩耗させてくれると、自信を持って伝えたい。

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