ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

切り捨てられた思想家たち

2012-02-14 18:49:45 | 徒然の記

 図書館から、「「大川周明」、「北一輝」(二冊)、「石原莞爾」(上下二巻)の、計5冊を借りて来た。

 過激な国家主義者で、偏狭な軍国主義者と、そういう言葉で、一括りにされてきた彼らにつき、何故か知りたくなった。

 彼らを知らないまま今日まで来たことが、正しかったのかと、そんな疑問も生じてきた。北一輝は,狂信的な天皇制信奉者だと思ってきたが、美濃部達吉の天皇機関説に近い思考をし、中国の革命にも深くかかわり、世界情勢を洞察できる国際人でもあった。

 大川周明にしても、インドの独立に手を差し伸べたり、イスラム教を研究したり、社会主義に惹かされたり、単純な右翼ではない。

 一冊の書で、彼らを評価することはできないが、簡単に切り捨てられない日本人ではないか、という気がしてきた。北は、陸軍による満州国の創立を批判し、世界の情勢を見ない間違った方策であると指摘している。米英仏,そしてソ連、混迷の中国を見据えた彼の認識の方が、陸軍より冷静で現実的なものだった。当時の日本で、こんな批判をすれば、軍人たちに殺される危険もあったはずと知る、驚きがある。

 敗戦後の日本が、軍国から平和の国へと、大きく舵を切ったにことについては、広く国民の同意があった。鬼畜米英の本家だったはずのアメリカの統治下に置かれ、マッカーサーの諸施策を受け入れたことにしても、負け戦による、受け身のものばかりではなかったと理解している。

 昨日までのすべてを、塵芥のように捨ててしまったが、もしかすると、私たち日本人は、あの時、必要以上の反省をしたのではなかろうか。その決断には、極端なものがあったのではないか。

 極端な行為や思考には、間違いの混じることが多いが、これもその範疇に入るような気がしてならない。自ら踏みにじった軍国思想の中にだって、大切なものが混っていたのではないか。すなわち、粗末にしてはならない国の歴史や、国民としての矜持だ。

 悲壮な「一億玉砕」から、どこか情けなくなる「一億総懺悔」へと、スローガンを変じた日本だった。たしかに当時は、そこまで冷静になれる余裕が、なかったのかも知れない。どうも私たち日本人は、「赤信号みんなで渡れば、怖くない」と、国を挙げてこんな具合に生きて来たような気がしてならない。

 これからも懲りずにそうするのだろうが、それでも今なら、敗戦時の見直しがやれるはずだし、冷静にやるべきでないのだろうか。「石原莞爾」をこれから読むので、その後でもう一度、自分なりの見直しをしてみたい。

 まとまりの着かない、中途半端な文章のままだが、まとまろうが、そのままになろうが、日本のどこに影響する訳でなし、今日はこれで終わるとしよう。いつも通りのきまぐれで・・・・・。

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