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「知覧」にある米兵慰霊碑 -2

2021-06-06 00:07:59 | 徒然の記

 石橋氏が慰霊碑を作るまでの経緯を、動画から抜書きしてみました。

 ・平成21年4月 警察学校に入学したが、体調を崩し、失意のうちに退学。

 ・平成22年7月 悶々とした日々の中で、自転車旅行を思いつく。アルバイトで金を貯める。

  短期間で辞めるつもりが、やってみると面白くて、いつの間にか日本一周となり、その途中で知覧を訪れたと言います。「知覧特攻平和会館」を訪れ、三つの事実を知ったことが、氏の人生の転換点となります。

 1. 特攻隊員たちの遺書

 2. 戦艦ミズーリー号に体当たりし、爆死した日本人特攻隊員を、ウィリアム・キャラハン艦長が、海軍式葬儀で慰霊した事実

 3. 知覧飛行場の片隅に、墜落した米軍機の跡地がそのまま残されていること。( 草むらと化している現場を見て、歴史を知るきっかけとなるものを残したいと思う。)

 世の中の役に立ちたいと警察学校に入学したのに、病気のため退学した氏は、特攻隊員の遺書を読み、前向きに生きようと心に決めます。同時にウィリアム艦長にならい、自分も敵国兵士を慰霊すると誓います。この時から氏は、毎年知覧を訪れ、特攻隊の兵士に祈りを捧げながら、戦死した米軍兵士の慰霊を計画します。

 5年後の平成27年の8月7日に、慰霊碑の除幕式にこぎつけますが、この日は米軍兵士の戦死から70年の節目の日でした。ここまでは動画の要約ですが、石橋氏の人となりを知る興味深いブログを見つけましたので紹介します。氏の依頼で慰霊碑を作った、石材店のホームページです。

 「鹿児島市の前迫石材です。」「 施工事例からお墓のこと、石のこと、鹿児島のことを発信していきます。」

 「墜落した米軍機(B25)の搭乗員および、知覧基地から特攻の命を受け飛び立っていった隊員への慰霊、」「および恒久平和を祈念して建立慰霊碑が、墜落から丁度70年にあたる本日、除幕式となりました。」 

 「本日の南日本新聞(15面)にも掲載されていますが、建立者の石橋直也さんは、」「5年前に、特攻平和会館を訪れた際に感銘を受けて以降、」「毎年知覧に来られており、特攻隊員のみならず、知覧で犠牲になった米軍戦没者を弔うことで、」「世界平和の大切さを発信することと併せ、次世代への継承を目的とした、碑の建立を目指したとのことでした。」 

 「石橋直也さんは、24歳の青年。」「話してみると、丁寧で快活なナイスガイ。」「若き青年の、熱い思いが込められた仕事に携わることで、」「自分自身を恥じつつも、大きな刺激を受けました。」
 
 石材店の社長だろうと思いますが、石橋氏の横顔を紹介しています。また当時の南日本新聞の、記事の見出しも紹介しています。
 
       南日本新聞 WEB記事→「知覧の米軍機墜落現場に慰霊碑 兵庫の男性」

 再び動画に戻りますと、ミズーリー号に体当たりし、炎上した特攻機の話になります。

 ・昭和20年4月11日、戦艦ミズーリー号は喜界島の沖合で、日本上陸作戦のため展開していた。

 ・同日2時43分、鹿児島県の鹿屋基地から出撃した零戦が、突入してきた。操縦していたのは、石野節夫二等飛行兵曹と言われている。

 ・体当たりに失敗し、艦上で自爆した機からは石野二等兵曹の遺体が発見された。

 ・捨ててしまえという意見もあったが、ウィリアム艦長は海軍式の葬儀を執り行い、遺体を丁重に処理した。

 石橋氏はこの話を「知覧特攻平和会館」で知って以来、米軍機墜落現場の土地の所有者を探しました。慰霊碑に土地提供者として名前が刻まれている、田中すえこさんがその人です。

 「石橋さんから、慰霊碑の趣旨を聞き、損得も考えずに承知しました。」

 「外国人も日本人も、同じ人間ですからね。」

 「この人たちにも、日本に来なければならない事情があった。」「可哀想だと思った。」

 陸軍全体での特攻戦死者数は、1,036人で、このうち知覧の飛行場から飛び立った戦死者はおよそ半分の479人でした。米国兵を敵視するのでなく、このように語る彼女を信じられない思いで眺めました。彼女だけでなく、石橋氏の話も続けて紹介されました。

 「これから先も、特攻隊員の慰霊と、米兵の慰霊を両方とも行なっていきます。」「過去を恨むという気持ちは、僕らにはありません。」「当時のことを、僕らがあれこれ言うより、当時の方々へ敬意を払って、」「ずっと慰霊していくことが大切だと思います。」「自分の国だけでなく、相手の国にも目を向けることが大切です。」

 動画を見て感激した人達のコメントは、二人の言葉に大きなインパクトを受けたのだろうと思います。中国も韓国も北朝鮮も、「恨みは1000年も消えない」といい、二人のような言葉を決して口にしません。日本人として、彼らは誇るべき人達なのか、単なる「お花畑の住民」の一人かと、そんなことを考えてしまいました。

 素直に感激していれば目出たし目出たしで終われたのに、私はそうはなりませんでした。スペースもなくなり、夜も更けてまいりましたので、私の心に生じた疑問についてのご説明は、次回といたします。

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