ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『兵役を拒否した日本人 』- 5 ( 明石氏抹殺の経緯 )

2018-02-03 08:29:58 | 徒然の記

 明石順三氏の長男真人氏は、村本氏より先に兵役を拒否した「エホバの証人」でした。獄中で思索・読書し、転向して下記手記を残しました、

 「自分はこれまでエホバの証者として、国家に対する義務も責任も、人間的な名誉も権利も、現世に生活するということも否定してきた。」

 「しかしながら、己を現実の世界から隔離させ、自己のみの精神的満足を、得ようとするのは、自己中心の独善主義である。」

 「自分はその点に気づかず、聖書信仰という夢の中に眠っていたのだ。」

 「元来自分の信仰は、現世に対する不満とか人生的煩悶とか、他宗教に対する不満より発したものでなく、子ども時代より父が教育した結果、有するに至ったものである。」

 「灯台社の教義には、いくつか矛盾点があるように思う。」

 「第一に完全なる神が、人間を罪を犯すべく創造したというのも、おかしくはないか。」

 「第二に灯台社は、全人類の希望だとする神の国の、具体的構造を示していない。」

 「仮にその教説を信じ、神エホバの前に進む者は、ハルマゲドンの時、神に保証され、永遠の生命を与えられるとしても、現実にこの教義を知る者の数は少ない。」

 「とくにシベリアや蒙古、チベットなど、灯台社が行ったこともない方面の住民は、何も知らずに神に撃滅されてしまうというのか。」

 「だとすれば、不公平な神ではないか。」

 「ましてわれわれは、日本人である。正しく生きるためには、日本人としての意識を持つことが必要である。」

 「日本人の偉大さは、一君万民の世界無比の国体があるからである。」

 「古事記や日本書記を読むと、原始日本人の国体についての心の記録として、貴重なものであることが分かる。」

 「この古典の国体観を生かすことが、日本人の責務であろう。」

 「自分は今、真の日本人に復活し得たことを幸福に思う。今後は皇軍の一員として国家を守護すべく、清く死ぬつもりであります。」

 長いので割愛していますが、この手記に対する著者の批評を紹介します。

 ・真人の手記は一読して、あまりにも甚だしい変貌という感じがいなめない。

 ・いわゆる転向手記では、古典の読書を契機として、国体賛美に至ったと記すのが通例となっており、真人の手記も軌を一にしている。

 ・真人のいう国体思想なるものは、国民を戦争に駆り立てるための官許の思想であり、戦死を美化する意図で巷間に流布した、通俗的見解に過ぎない。

 氏は真人氏の手記を、散々に酷評します。しかし「ねこ庭」から眺めますと、真人氏の素朴な疑問や、日本人としての目覚めは普通の話です。むしろ稲垣氏の批判の方が通俗的見解で、「ねこ庭」から言わせて貰えば、反日左翼の紋切り型で聞き飽きたセリフです。

 自分と著者と、どちらの意見が正しいかと、そのようなことを言いたいのではありません。正義と言い真実と言い大そうな言葉が、まるでこの世に一つしかないように言いますが、「ねこ庭」に立つと「笑止千万」な風景です。

 「エホバの証人」の正義と真実、カトリック教会の正義と真実、マルクス主義者たちの正義と真実、私のような日本の保守の正義と真実・・・

 人間が拠って立つ思考の数だけ、無数に存在しています。この単純な事実を理解するのに高尚な思索は無要で、庶民の知恵で充分です。

 「第一に完全なる神が、人間を罪を犯すべく創造したというのも、おかしくはないか。」

  完全になる神なら、最初から罪を犯さない人間を創造できるのできないか、という素朴な疑問です。

 「とくにシベリアや蒙古、チベットなど、灯台社が行ったこともない方面の住民は、何も知らずに神に撃滅されてしまうというのか。」

 「だとすれば、不公平な神ではないか。」

 真人氏の疑問は普通の人間が、普通に考えれば出て来るものです。氏が考えついたというより、ご先祖様から続く知恵と、そんな気がします。八百万の神様の国の常識ではないかと思ったりします。

 ということで、違った常識を持つ著者稲垣氏への反論を終わり、最後に、明石氏が教団から抹殺された理由を紹介します。

 明石氏は大東亜戦争終了後に、米国のワッチタワー総本部に対し、鋭い詰問状を投げかけました。昔言葉を現代語に直し、要点だけを紹介します。

 〈 1. 国旗礼拝について 〉

   従来ワッチタワーは、国家権力に妥協してならないと言い、国旗礼拝を禁じてき

   た。敬礼を拒否し、検挙・投獄される者が数千人あったというのに、今次大戦後の

   大会では、舞台いっぱいに広げた国旗の前で賛美歌の合唱と祈祷がなされている。

   国権に対する妥協により、組織の温存を図った証拠ではないのか。

 〈 2. 総本部のみが無疵なのは、絶対にあり得ない。 〉

   今次大戦中、ワッチタワーの指導のもとに、多くのクリスチャンが、殺害、暴行、

   監禁、投獄、その他あらゆる迫害を被ってきた。しかし総本部では、それが皆無と

   言う。末端の大部分が、敵側の手によって、かくも莫大な苦難を受けたにもかかわ

   らず、中心たる総本部では、迫害の報告がほとんど発見されないとは、どういうこ

   となのか。

    この点に関し、代表である会長の公式弁明を出してもらいたい。

 著者の意見を紹介すると、明石氏抹殺の理由が理解できます。

  ・こうした批判と直言は、ワッチタワー本部からすれば、あまりに明確な不服従の態度と、みなされたのであろう。

  ・本部は、この質問状に一言の弁明もせず、会長名で、明石を高慢なる者、不謹慎なる者と決めつけて、除名・削除するという一片の通知を、送付してきたのみであった。

  ・これ以後灯台社は、ワッチタワーとは無縁の者となった。

 結局稲垣氏は、ワッチタワー本部の行為を一言も批判せず、ウヤムヤのうちに終わらせています。

 だから「ねこ庭」は、稲垣氏も、ワッチタワーも、口ほどにもない「偽物」と断定します。戦勝国アメリカの宗教団体に妥協した腰砕けの著者に誉められても、明石氏と村本氏が喜ぶはずがないでしよう。

 そしてまた本部の指示に唯々諾々と従い、教団の先駆者を葬り去る日本の「エホバ」も、たいした宗教組織とは言えないでしょう。

 冒頭で「日本の闇」と「アメリカの闇」が繋がっていると言ったのは、日本とアメリカで互いに不都合な事実を隠しあい、何も知らない信者を騙していると、この事実を指しています。

 戦勝国アメリカに統治されて以来、指導者と国民の多くが日本人の魂を失いました。政治も国民に知らされないだけで、「日本の闇」と「アメリカの闇」が繋がっているのではないかと、「ねこ庭」は庶民の知恵で思考します。

 明石氏のように、正論をぶつけて抹殺されるのも無念ですが、国際社会は弱肉強食の世界で、強い者が勝ちます。独立を再び手にするまで、私たちは、強い外国勢力に潰されないようにしなければなりません。

 本の紹介と直接関係のない結論になりましたが、本日で終わります。おつきあいに感謝致します。

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