ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

伊藤貫の真剣な雑談 - 57 ( 我妻栄氏の講演録 )

2023-08-25 05:20:27 | 徒然の記

   8. 「伊藤貫の真剣な雑談  第8回 」 ・・日本を滅ぼす3つの巨大な嘘 ( R4/8/6 ) 

  「当初から無効だった連合軍憲法が無効であることを国民に言わず、戦後77年間巨大な嘘をついた自民党政権は、吉田茂以来いまだに隠し続けている。」

  「中国、ロシア、北朝鮮が日本を狙った核弾頭を何千発、何百発と持っていても、何もできない日本にしたのは、自由民主党の政治家だ。吉田、岸、佐藤内閣だけでなく、中曽根も、竹下も、小泉、安倍内閣も、岸田もそうだ。」

  「彼らは皆臆病で、卑怯で、無責任な政治家だ。なんの国防政策も、軍事政策も立てる能力のないお馬鹿さんたちだ。こんな自民党の政治家に任せているから、日本が滅びてしまう。」

 「日本人のクズ」である彼が、動画で喋っています。相変わらず嬉しそうに、楽しくてならないふうに。だから「祭りの薬売り」の小賢しい嘘は、徹底的に反証されなければなりません。言われるまでもなく、自民党の政治に多くの国民は満足していませんが、「日本人のクズ」に酷評させる気もありません。

 私のほかに、彼の雑談 ( 寝言 ) に我慢のならなくなった視聴者がいることを、次コメントが示しています。

〈 コメント4. 〉
 
  冷静な核武装論が出来ない日本人は多いが、取り敢えず現時点での代表は、岸田文雄だ。
 
〈 コメント5. 〉
 
  一言で言えばそれを打破しようとしてたのが、安部さんの言ってた戦後レジームからの脱却、日本を取り戻す、と言うことですね。
 

 「彼はなぜ、超大物のジャパンハンドラーだったホイットニー准将に関する説明を省略するのか ? 」

 今回の目的は、これを息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に説明し、「まな板の上のクズ」の大きな捏造を明らかにすることです。饒舌な雑学で視聴者を惑わせますが、彼の捏造のパターンを見つければ難しいことではありません。「ミンスク合意」の説明で、肝心のゼレンスキー大統領を省略し、ウクライナ戦争の原因を米国のネオコンと、ウクライナ極右勢力のせいにした時と同じやり方を今回もしています。

 ゼレンスキー大統領をウクライナ戦争の原因に加えると、雑談が根底から崩れるため省略しました。今回も同じで、「占領軍憲法の大嘘」が、ホイットニー准将を加えると根底から崩れます。お人好しの日本人視聴者を丸め込むには、話の単純化が好都合なのです。「戦後77年間現憲法の大嘘」に日本人が騙されてきた原因を、ずる賢く嘘つきのケーディス大佐と自民党の歴代政権に押しつけておけば、彼の2つの目的が叶います。

  1.  民主党を支配している一極覇権主義のグローバリストユダヤ人勢力への批判・攻撃 

     2. アメリカが危険視し、嫌っている日本人への批判・攻撃

 「まな板の上のクズ」である彼にとってこの2つが、「雑談」の目的であることは一連の動画で明らかになっています。執拗な彼を真似私も繰り返しますが、「祭りの薬売り」の小賢しい嘘は、徹底的に反証されなければなりません。従って今回はいつもと違い、参考にした書籍とネットの情報を先に紹介します。

  ・憲法問題研究会編『憲法と私たち』( 昭和38年刊 岩波書店 )

  ・塩田潮氏著『 (宰相 幣原喜重郎) 最後のご奉公』( 平成4年刊  文芸春秋社 )

  ・レイモンド・モズレー氏著『天皇ヒロヒト』( 昭和41年刊 毎日新聞社) 
 
     ・マッカーサー著『マッカーサー回想記』( 昭和39年刊 朝日新聞社)  上下二巻
 
     ・吉田茂著『日本を決定した百年』( 昭和12年刊 日本経済新聞社)  

  ・NHKドキュメント『昭和天皇拝謁記』 ( 令和元年8月 ) 国家公務員法違反・田島道治メモを基に制作

  ・「若槻泰雄氏のブログ」 元東大教授、元玉川大教授、評論家 

 「学びの庭」である「ねこ庭」で、ボウフラ君に嫌味を言われながら、「温故知新」の読書をしてきたのは、「日本人のクズ」、「まな板の上のクズ」の嘘を反証するためだったかと、そんな気にさせられます。

  ・草案作成に参加したアメリカ人は25人いたが、法律の勉強をした経験者は4人しかいなかった。あとの21人は法律に関して全くの素人だった。しかも憲法学を学んでいる者は、一人もいなかった。

  ・25人のアマチュア集団が、たった7~8日間でこの連合軍憲法をでっち上げた。

 前回彼は、占領軍憲法の作成経緯をこのように語りました。アメリカの素人集団が作った稚拙な憲法案を、お馬鹿さんの自民党の政治家が喜んで受け入れたという捏造です。ここで私は昭和38年に岩波書店が出した『憲法と私たち』の中から、我妻栄氏の講義録を紹介します。

  ・終戦の翌年 ( 昭和21年 )に、当時の帝国大学総長南原繁は、学内に 憲法研究委員会を設けた。

  ・敗戦日本の再建のために、大日本帝國憲法を改正しなければならないことは、当時一般に信じられていただけでなく、政府はすでに改正事業に着手していた。

 我妻氏の講義録を読むと、敗戦の翌年に政府が憲法改正の検討を開始していたという事実が分かります。放心してぼんやりと、GHQの提案を待っていたのではなかったということです。憲法が国にとってどれだけ大事なものかが、伺い知れます。

  ・多数のすぐれた学者を持つ東京帝国大学としても、これについて貢献する責務があると考えられたからであろう。発案者は南原総長であったが、学内にそうした気運がみなぎっていたことも、確かであった。

 委員の一覧表が挿入されていますので、貴重なデータとして紹介します。

 委 員 長   宮沢俊義 ( 法学部 )

 特別委員 高木八尺 ( 政治学 )  杉村章三郎 ( 行政法 )     岡 義武 ( 政治学 )  

         末弘厳太郎 ( 労働法 )      和辻哲郎 ( 文学部 )       舞出長五郎 ( 経済学部 )

 委  員 我妻 栄 ( 民法 )     横田喜三郎 ( 国際法 )      神川彦松( 国際政治学 )  

         尾高朝雄( 法哲学 )   田中二郎 ( 行政法 )       刑部 荘 ( 比較法? )           

                 戸田貞三 ( 家族社会学 ) 

      板沢武雄 ( 歴史学 )     大内兵衛 ( 経済学 )      矢内原忠男 ( 経済学 )

      大河内一男 ( 経済学 )     丸山真男 ( 法学部 )         金子武蔵 ( 哲学 )  

  委員長に任命されている宮沢氏は、今もそうですが当時も日本の憲法学の第一人者として著名な学者でした。その他の教授たちも新進気鋭の学者です。共産党親派の教授の名前が多く見られますが、メンバーの全員がそうであるかについては確認していません。

  ・委員会が議論を始めた時、突如として政府の憲法改正要綱が発表された。委員会が発足してから、わずか二十日の後である。そこで委員会は予定を変更し、追って発表された、内閣草案  ( 政府案 )と取り組むこととなった。

 この部分については、補足説明が必要になります。氏のいう「憲法改正要綱・内閣草案  ( 政府案 )」というのが、「日本人のクズ」が語っている「占領軍憲法案」のことでないかと思います。当初憲法研究委員会は「大日本帝国憲法」をもとにして、憲法改正案を検討していたからです。

 連合軍憲法案を最初に書いたのは、アメリカの素人集団だったかもしれませんが、これをまともな憲法案に作り上げたのは、東京大学の一流の専門家たちです。つまり当時の国内には、GHQに協力する法律の専門家たちが既にいたということで、彼の嘘はここでバレます。

 我妻氏の講演録の続きを読むと、「まな板の上のクズ」が語らなかった更に大きな嘘の全体像が見えてきますが、スペースがなくなりましたので続きは次回といたします。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊藤貫の真剣な雑談 - 56 ( ... | トップ | 伊藤貫の真剣な雑談 - 58 ( 3... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

徒然の記」カテゴリの最新記事