ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

近代中国は日本人が作った - その 3

2016-08-21 15:58:32 | 徒然の記

 黄氏は、中国革命の根拠地が日本だったと言う。

 「腐敗した清国を転覆し、三百年にわたる中国統治に終止符を打ったのが、1911年の辛亥革命である。」「それを推進した革命思想は、日本で醸成され、発展し、そして中国へ渡って行った。」「その担い手が、若き清国の留学生たちだった。」

 「ことに梁啓超が、東京で刊行した  " 新民叢報 "は、多くの留学生を立憲思想に目覚めさせた。 」「当時の彼は、中国の福沢諭吉さながらだった。」「それまで中国人が、世界最高のものと疑いもしなかった中国の倫理を、」「狭隘なものと批判し、自由、自尊、進歩を強調して、国民の意識を喚起した。」

 「彼の指摘は、中国には家族の倫理はあっても、社会倫理はないというものだったが、」「まさに中国倫理の本質を暴くものである。」

 「中国では昔から、好鉄不打釘、好男不当兵、つまり好い鉄は釘にせず、好男子は兵にならないと言われ、」「軍隊は、たいてい匪賊のごろつき集団と相場が決まっており、」「良家の子弟が入いるものでなかった。」「根底には、" 文 " を重視するあまり、 " 武 " を軽視、軽蔑する、この国の伝統文化がある。」

 「かって武士が官僚であり、知識人だった日本では文武両道が理想とされていたが、中国は違っていた。」「今日中国人が思い描く戦前の日本軍が、常にごろつき集団であるのも、こうした伝統によるものだ。」「したがって日本軍国主義は、日本ごろつき主義となり、武士道がごろつき道となる。」「日本軍の虐殺、略奪は当たり前、という次第だ。」

 「梁啓超は日本に亡命したばかりの頃、兵士の入営時の親族友人たちの送迎の光景を見て、」「兵士の名誉が、中国における科挙合格者のそれに匹敵することに感動している。」「兵に送る言葉の中に、" 祈戦死 " とあるのに驚愕し、粛然とした。」「やがて彼は、日本の軍隊は欧米に勝ると確信するに至った。」

 日本人が書いた本なら、戦前を美化する反動的妄言と酷評されるのだろうが、黄氏が元台湾人なので見過ごされている。私もそんな気持ちで氏の言葉を引用しているのでなく、こうした見方だってあるのだという事実を示したいだけだ。

 「孫文は今日でも、中国共産党では " 中国革命の父 " と呼ばれ、」「台湾の中国国民党からは " 国父 " と称えられ、華僑を含む全世界の中国人から尊敬されている。」「彼と日本の関係は極めて深く、革命生活四十年のうち、その三分の一は、日本を活動拠点としていた。」

 「1900年に再び広東での蜂起を計画して以来、辛亥革命、第二、第三の革命にいたるまで、」「資金も参謀も持たない彼は、それらを主に日本人に依存していた。」「彼は終生、日本の明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である。」「両者は、相互関連の関係にある、との信念を持ち続けていた。」

 「そのような孫文の親日感情を、現代の中国人は事実と認めたがらないようだ。」「彼がそのように主張していたことについて、今日の反日的中国人は、日本人の歓心を買って革命資金を引き出そうとしたのだと見ている。」「つまり、策略で日本人を利用したというわけだ。」

 現在の中国人がどのように言おうと、過去の事実は消せない。といっても、昔も今も、礼節の国を標榜する中国は、消せない事実を否定し、逆さまにして居直っている。大した度胸の国だ。

 孫文をめぐる当時の日本の状況は、平穏なものでなかった。外務次官小村寿太郎は、日清関係の修復に不利であるとの考えから、孫文の滞留に反対していた。そこで犬養は、外相大隈に孫文の庇護を訴え、認めさせた。こうして清国の逆賊孫文は、日本において身の安全が確保できたという。

 政治家のみならず、大陸浪人界の巨頭と言われた内田良平や宮崎滔天たちも、孫文への援助を惜しまなかった。孫文も中国人同胞は信用せずとも、日本人の同志だけは信用した。当時の彼がすがることができたのは、日本人だけだった。

 「革命の目的は、満人王朝を倒すことにあり、」「実現したら、満州は日本へ譲り渡す。」「黄河以北をロシアに取られても、大したことはない。」「日支が提携すれば、シベリアまでも取り返すことができる。」「彼は日本人に支援を求めるとき、しばしばこの話を持ち出した。」「だからそれは、孫文の " 満州公約 " とも言われていた。」

 「一般の中国人が知ったら、仰天するような話だ。」「もちろん、こうした事実を中国人があまり語らないのは、」「中国革命の父や国父が、漢奸だとあっては、中華人民共和国も中華民国も、存在基盤が揺らぐことになりかねないからだろう。」

 日本は、己の野望を満たすため、満州を侵略した。満州で傀儡政権を作り、暴虐の限りを尽くしたと教わって育ち、肩身の狭い思いだったから、孫文の公約を知り、私は安堵し、中国人以上に仰天した。

 孫文の公約は日本の国益にも合致し、だからこそ朝野をあげて支援したのかもしれない。そんなことなら、満州国の設立は、日本軍だけの独走であるどころか、中国人たちとの共同謀議となる。だから私は、この暑さをものともせず、汗を拭いつつパソコンに向かっている。

 反日の学者たちが、日本の過去を糾弾する独断と偏見が、いかに愚かなプロパガンダであるか、沢山の人に知ってもらいたい。一方的に責められ、極悪非道のレッテルを貼られた先人の名誉を、少しでも回復したい。今も国内にいて、日本悪説を拡散する獅子身中の虫どもを、掃き捨ててしまいたい。

 < 追記    >

 黄氏の著作を読んでいるとき、甦えってきた記憶がある。敗戦後間もない熊本県の田舎町で、私は当時小学校の一年生だったと思う。「ちゃんころ」「ロ助」「朝鮮人」・・・・。子供たちが使っていた、三つの言葉だ。

 周りの大人たちが使っていたのだろうが、今でいうヘイト(差別語)だ。私と同年代以上の者なら知っているだろうが、「朝鮮人」を除けば、今ではすっかり死語になっている言葉だ。「ちゃんころ」とは中国人への蔑称で、「ロ助」は、野蛮なロシア人への軽蔑語だ。なぜか朝鮮人だけは、そのまま「朝鮮人」が蔑称になっている。

 この三つの言葉を思い出す限り、昔の日本人に反省」を求めずにおれない。日清、日露の戦争に勝ち、万邦無比の一等国になったという、驕りから生まれた言葉だ。ちゃんころやロ助が消えても、なお残る「朝鮮人」という差別の響きを知るとき、韓国・北朝鮮から憎まれる日本人の過去を見る。

 ヘイトスピーチ法には反対だが、他国への差別語とは決別しなければならない。

 黄氏は、悪し様に言われ続けている日本の過去を沢山修正してくれた。そうなると私だって、それに甘んじておれなくなる。非道な責めには屈してならないが、自らの非は改めなくてなるまい。武士道が、今も私たちの心の底に流れているのだとしたら、その潔さは受け入れられるはずだ。

 だからと言って、これは現在の理不尽な韓国や中国に全面的に謝るという話ではない。自らが非を改めることと、無礼極まる相手に謝罪することは別の話だ。これを混同する軽率さが、現在の中・韓の勝手気儘を誘発している。

 武士道も騎士道もない、ごろつきの国に、この話は通じない。

 

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6 コメント

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お邪魔いたします (ミルティリおばさん)
2016-08-21 21:10:29
黄文雄というお名前は、お名前だけ知っていました。
武田鉄矢がラジオ番組「今朝の三枚おろし」で
「日本人はなぜ中韓人とこれほど違うのか」という
黄文雄の著書を紹介したのを数年前に動画で聞いたことがあります。

「三枚おろし」を知ったのは、光市母子事件を
門田隆将の著書をもとに、数回に渡って詳細に紹介したものを聞いてからで(凄惨な事件で、力を入れて
聞きました)、
それ以来、時折聞いています。武田さん、とても読書家です。

黄文雄の著書を1冊も読んだことがないのですが、
4回に亘って掲載してくださり、どうも有り難うございます。
1911年の辛亥革命は、
数年前のジャッキー・チェン主演、「辛亥革命」で
支那の大改革ではあったと認識していましたが、
日本の影響のもとに培われた革命思想とは、
知りませんでした。
Catさんが記したこの本によって、あれこれ知ることが
できました。

長くなってしまい申し訳ありません。

昔、王選手(王監督)が「台湾人であるために、
嫌な目にもあった、許せるが忘れることはできない」と、
語ったことがありました。

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事実が知りたい (onecat01)
2016-08-21 22:30:51
ミルティリーさん。
お久しぶりです。コメントが長くても、構いません。今の私は、自分が知らなかった事実が知りたい一心です。取捨選択は、その後にいたします。

 迷いつ、ためらいつ、私は本を読んでいます。分かったような書き方をしておりますが、読み返しますと、恥ずかしいばかりです。五年前の10月に、若槻康夫氏の著作を手にしたときは、まだ歴史を知らない自分でした。
今なら、あれほど素直に氏の本を誉めることはなかったでしょうに、戦前を否定する氏の率直さに惹かされました。
 天皇制を否定する氏に、今なら簡単にうなづかないでしょうに。進歩しているのか、退化しているのか・・・・、自分では分かりません。
こんなことが何時まで続けられるのか、でも、元気のある限り、本との対話をしていこうと思います。

 冷静なあなたのコメントは、そんな私の前方に現れる、ほのかな灯台の灯です。これからも、時々お寄りください。

 今ねこ庭に咲いておりますのは、鮮やかな黄色のルドベキア・タカオです。小さな花を沢山つけ、私と違って、元気いっぱいです。
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一番になる為なら (憂国の士)
2016-08-22 15:55:05
民進党の蓮舫議員が民主党が政権を取って仕分をした時、二番じゃダメなのですかと凄んだが、
一番になる為なら、自国が生き残る為なら、周辺国を利用し尽くす、被害を被るのは利用された国々。

信義なき反日国家はしゃべり尽くす、そこには恩義も何もない、だから生き永らえて来たのである。
日本に取って合い入れぬ国家観の違い、非核三原則ではないが、中韓とは付き合わない事が子孫の利益。

onecat01さん、労作に心から敬意を表します、
一番強いものに擦り寄り、弱いと見ればとことん痛めつける、その対象が中国、米国で有り、
いじめに向くのが自縛史観に洗脳された日本なのです、日本が軍備大国にならない限り止まない。

歴史を振り返る事で見えてくるものがある、虎の衣を借りたキツネ、本当の悪は (加害者) ここにいる、
民進党の崩壊が近づいて来た、未だしがみつく党内保守、ある意味維新の参入組の方がしぶとい。

利用し尽くす、シナ人のDNA、日本人は目覚めなければなりません、明治人の気骨を取り戻せ !?
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明治人の気骨 (onecat01)
2016-08-22 20:33:07
憂国の士殿。

 戦後70年たっても、自縛史観から脱せらないまま、鳥越氏や吉永小百合氏のような、まともでない国民がたくさん育ってしまいました。

 獅子身中の虫のような、お花畑の花のような、こうした者たちが、日本人の目ざめを邪魔しております。明治時代には、マスコミも国を大切にしておりました。

 何としても、国の姿を取り戻さなくてはなりませんね。根気よく、虫退治に力を尽くしましょう。
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訂正と吉永小百合 (憂国の士)
2016-08-22 22:47:43
onecat01さん、
あなたの趣旨と些か違うコメントになりますがご容赦願います。
>一番強いものに擦り寄り、・・・ 韓から見たら中国、米国で有り、中国から見たらロシア、米国で有り、
と訂正願います。

さて、吉永氏は、東京大学名誉教授の姜尚中氏がどんな人物かご存知でしょうか、バリバリの反日人間 ?
芸能界は左翼思想に染まった人間が多いと聞きますがご他聞に漏れず彼女もそうなんでしょう。

底の浅い知識で物事を決めつけて貰っては困る、狭い世界観の人に尖閣、南シナ海が見えるでしょうか ?
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吉永氏 (onecat01)
2016-08-22 23:50:10
憂国の士殿

 今晩わ。夜も更けて参りました。
吉永小百合という人は、赤旗に何度も顔を出している、有名な反日女優です。
彼女は日本嫌いですから、姜尚中と仲間です。赤いメガネをかけて、尖閣や南シナ海を見ております。
 ですから、彼女は獅子身中の虫なのです。

これから床に入ります。お休みなさい。
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