のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

あぶらを自らつくるという提案(のらやま244/1503)

2016年04月28日 | グリーンオイルプロジェクト
三月中旬の三日間東京ビックサイトで健康博覧会というイベントが行われました。そこに農業生産法人ちゃちゃちゃビレッジが「土活で畑から健康経営をサポートします」というテーマで出展。「土活」とは土に親しんでいただき、都会生活で疲れた身体も心もリフレッシュし、明日からの創造的活動をしようというもの。すぎのファームと農産加工所かしわかあさんも協賛しています。
国内最大級の健康産業BtoB商談展と銘打っているイベントでなにするの?って感じですが、企業の福利厚生のひとつとして都心から近い柏で農作業体験はいかがでしょうか。体験だけでなく収穫したものを加工することもできます。それを御社のギフト商品にできたらどうでしょうっていうイメージです。社員を受け入れる畑はチャチャチャビレッジが準備。小ロットの農産加工はかしわかあさんが担当。すぎのファームは具体的な栽培作物としてヒマワリを提案します。<地あぶらで体も地域も健康に>というキャッチで、農地活用や耕作放棄地解消できる上に、景観形成やミツバチの蜜源を増やすことにもなりますよと呼び掛けました。
先日、健康博覧会主催者より来場者数が報告されました。連日、1万数千人ずつの方が来場され、農業生産法人ちゃちゃちゃビレッジには三日間で数十社から商品としてのヒマワリ油を求めたいという打診や、生産過程に関わることでオリジナルのギフト商品を作らないかという仕組みへの興味が示されました。予想以上の手応えです。

会場ではヒマワリ油をバケットの小片につけて試食してもらいました。「オリーブ油より癖がないね」とか、「心地よい余韻の残る油だわ」ってわざわざ印象を伝えに戻って来てくれた方も。「パンはいいからそのまま舐めさせて」とか、ヒマワリの種を常時、健康食品として食べている方からは「確かにヒマワリの香りがしている」とか、これまで食用油にこだわっていないものやヒマワリの種を食べていないものにとっては予想外の反応もありました。「モンゴルでもヒマワリは咲くかしら」というモンゴルからの方もいらしたし、「化粧品の原料とするほど大量に供給できる?」という香港からいらした方も。
以前はヒマワリ油というとリノール酸が高いということで敬遠されがちでしたが、リノール酸は少なく、酸化しにくいオレイン酸を多く含むよう品種改良されたヒマワリであること。オレイン酸はオリーブ油と同程度含まれていて、そのうえビタミンEはオリーブ油の10倍も含まれていること。何より、自分が食べる油の作る過程に自分が関われるんです。食用油国内自給率3%から脱却しましょうよ。
皆さん、初めて会ってお話するわけですが、もともと健康に関心をお持ちの感度の高い方々です。むしろ教えていただくことの方が多かったように思います。
マスコミ系の来場者から仕組みの提案に関心を持っていただいたことから、ビジネスモデルとしても可能性があるのかもしれません。こりゃあ、今年はヒマワリ油を増産しなければなりますまい。

君に託したい畑はいっぱいある(のらやま通信243/1502)

2016年04月28日 | グリーンオイルプロジェクト
まとまった耕作放棄地を解消して借用しようという“もう少しで還暦プロジェクト”。耕作放棄地の開墾作業が予想以上に手間取って、いつの間にか冬休みになっていました。
農家の知人には3人の男の子がいるのですが、なぜか中学生の3番目の子だけが農業に興味があるようです。夕方、友人宅をたずねると、その子が薪と思われるスギ木片にカンナをかけています。何しているのと聞くと、なんかかっこいいからという答え。これは期待がもてます。開墾地にまだクリの大木が残っていましたので、切り倒しにおいでよと声をかけました。チェーンソウで切り込みを入れて、最後の倒すところだけのこぎりをひいてもらいました。木が倒れた後はお約束のひとときの“樹上生活”
高い枝の上から彼は何を見ているのでしょうか。君に託したい畑はいっぱいある。

ようやく耕作放棄地の開墾作業の前半が終わりました。地表の樹木や草を持ち出し、あとは抜根、天地返し、整地と機械任せの作業となりますが、時間も費用も想定していた倍もかかりそうです。地主さんの理解をいただいて新しくできた畑を長くお借りしなければなりません。耕作放棄のままでは農地とは認められず、税金も雑種地扱いになるということは理解いただけますでしょうか。農地として管理しているだけで地主さんには利益があるということです。10年、20年、できれば30年といった期間お借りしてナシ畑にでもしたいと考えています。これまでも先輩たちから話しに聞いてはいたのですが、自ら40年あまりのナシ栽培の経験をしてきてナシの樹と栽培棚等の施設の寿命は同じということを実感してきました。ナシ畑の一部を全面的に改植するためには、栽培面積の他に、苗木を育成するような生産の上がらない畑が必要です。所有地ギリギリで栽培、経営しているような小農にはなかなかできないことだと思っていました。今回、近接地で遊休農地をお借りできるようなチャンスを得ました。チャレンジをしてチャーミングな事業経営にしたいと思います。
農業関係の新聞を見ていましたら、日本の土地利用型作物の生産性が停滞していて、世界各国との間で格差が広がっているという記事に目が留まりました。「面積は小さいながらも高い技術力と集約的な栽培管理で、高い収量を保持する日本農業」というイメージがひるがえされる研究成果があったという記事です。
水稲は東南アジアやエジプトで単収を増加させている中で収量増加率が低位に推移。小麦の単収は欧州諸国より低く、中国よりも増加率が少ない。大豆は80年代以降、収量水準が変わらない……。その理由として、アジア諸国や南米では経済成長に伴い農業への資本投下を拡充し、高温や日射量の多さなど有利な気象条件が生かされるようになったのではないか。
一方、日本は“世界でも特異的に”農地面積も労働力が減少し、農業投資、生産資材の投入も減少傾向にある。増産意欲が働く構造になっていない……。また、日本の食料自給率の低下要因が質的に変化していると指摘。90年代までは米からパンに変わったなど「消費構造の変化」だったが、2000年以降は「国内の供給力の低下」にあったといいます。
国内の食料は消費量が減少し供給量が上回っているから、農産物価格が低迷していると思っていました。ところがこう指摘されると、増産意欲も技術向上意欲もなくなっているのかも、と現場でしばしば思い当たることがあります。こういう現場では、当然、後継者が育つはずはありません。やっぱり農政が問題なんじゃない?

(2015年2月)

たかが五年されど五年 敬うべきは野の営みか人の生業か(のらやま通信242/1501)

2016年04月28日 | グリーンオイルプロジェクト
なにやら異様な光景です。地面には葉が落ち重なり、頭上には弦が絡んだような線が張り巡らされています。前方には雑木のような細い幹が見られます。5年ほど放置されたナシ畑のなかを“探検している”様子です。
わが家のナシ畑に隣接したところで担い手のいなくなったナシ畑50aがあり、そこを借用することになりました。。棚はまだ十分使えそうです。井戸もあります。活用してやらないのはいかにももったいない。
周辺にもまだ放置された畑があって、ナシ棚のないところなら大きな機械が入れます。ついでに周りの農地約70aも回復しましょうということに。ところが、そこは20年も30年も耕作放棄されていたところ。雑木はあるし、篠竹も繁茂しています。自前の機械では歯が立ちません。ハンマーモアを腕の先に取り付けた重機をレンタルしての作業となりました。


何十年も放棄されていた畑を借りなくとももっと条件のいい畑はいくらでもあるだろうにという声もありますが…。
理由の一つは、既存のわが家のナシ畑を守るために、周辺の環境も自ら管理したいということ。いや、しなければならないということ。近接地に廃棄物処理場ができて、その排煙で農業ができなくなった友人がいます。2haもまとまって屋敷畑があったのに、です。 
二つ目の理由は、後継者君(四代目)に開墾のようなことを体験させたかったこと。
わが家のナシ畑の半分は山林を開墾したところ。最初は三代目が高校生のころ、二代目が普通畑作からナシ作りに業態を変えようと奮闘していました。初代もまだ元気で木を伐りせっせと薪にしていました。三代目も休みになれば当然手伝うことになり、そのときに木の伐り方や薪の作り方などの基本を覚えた気がします。その後も10年ぐらいまえにナシ畑を拡張しようと山林を切り開いたことがあります。そのときは三代目が主体でやっていました。初代は新たに家を興し農家になるのに、木を伐り根を堀り出したそうです(当時はパワーシャベルなんてありません)。こう考えると、わが家は代々農地造成の土木事業をしてきています。
もっとカッコいいこというと、いま農地流動化といって中核農家に農地を集積しようという政策が進められています。農家として生き残るためには不可欠な政策のひとつですが、農業への企業参入の開放と連係します。と、ひとつ間違うと農家から農地を取り上げ、企業、大資本、場合によっては海外資本が保有することに。刀狩りならぬ農地狩り。命をつなぐ場の喪失、なんてことにもなりかねません。
70aもまとまった平坦な農地です。実際、不動産屋さんらしいひとがこの農地を見に来ていたそうです。守るか取られるか、競走です。まあ、そんなカッコいいこといったって、どうやって農地を守るの?ってことがついて回るのですが。
手間もお金もかけずにできるだけ少ない資本投下で最大の成果をあげたい。いま考えられることは景観作物か機械化の進んだ穀物生産か。景観作物に補助金でも出してもらえませんかねえ。それとも、いま農地に復元しているところは、ゴルフ場に隣接しているので春と秋に彩りある空間をつくるから、ゴルフ場からいくらか協力金を期待できないでしょうか。最近、元気な農家が大豆やソバなどを刈り取る汎用コンバインを購入して畑で穀物生産に取り組もうとしています。大豆なら豆腐屋さんとか、ソバなら蕎麦屋さんとか、菜種油、ヒマワリ油なら一般消費者の皆さんも買い支えてくれるような風潮や仕組みができると理想的なんですが。

(2015年1月)

梨ドレが激戦市場を切り開く(のらやま通信241/1412)

2016年04月27日 | かしわかあさん

この冬もわが家のナシを使って『梨ドレッシング』を作っています。試作、商品化、改良につぐ改良と農産加工所“かしわかあさん”で取り組んできた商品です。梨ドレッシングの構想はかなり前からあたためてはいたのですが、ソース類製造の加工場ができてから昨年はじめて商品化しました。
昨年9月、農文協加工講座(出版社が主催する農産加工の実践講習会)に参加し、そのワークショップで『梨を加工した売れる商品』というテーマで参加者からお知恵を拝借しました。「お菓子は日持ちが課題」「キムチは美味しいし、韓国では梨を料理にいろいろ使っているからいいんじゃない?」「いやいや、日持ちの点ではジャムやドレッシングがいい」…。ああだ、こうだの結果、新しい商品として梨を主にしたドレッシングが売れそうだという結論に達しました。さらに杉野に来年の加工講座に商品化してもってくるようにと宿題がでました。
それからは<学ぶはまねぶ(まねる)から>というとおり、梨ドレッシングと名前のつく商品を買い求めたり、レシピ本を見たり、インターネットで検索をしたりと、まずは情報を集め、それらをもとに試作をし、これはと思うレシピを決め商品化にこぎつけました。冬から道の駅しょうなんにて販売開始。ちょぼちょぼと売り始めました。
この10月、本年度の農文協加工講座が開催されました。加工の先生小池芳子先生が講評する加工品品評会に昨年度の宿題であった梨ドレッシングを出品、批評していただきました。「味はよい(やったー!)。ただ、分離液状というタイプのドレッシングなのだが、現状の作り方だと梨と米油が分離していてよく振ったとしても油が先に出てしまう欠点がある。これをどうするか?」参加者からも、油っぽいとかパンチに欠けるとか色が地味とかの感想が寄せられました。
小池先生からは次のような指導がありました。梨と酢や油をよく攪拌して混ぜること。梨やたまねぎなど生のものは全体の3割までにすること。唐辛子を使っているが、辛いもの、辛くないもの、いろいろあるから配合を工夫するように。味とは別に商品ラベルがおとなしいとの指摘もありました。これまでは味がすべてでした。次は味と長期保存が課題となり、PHメーターという測定器を使うことも覚えました。講習会から帰ってから改良バージョンを作り、油が分離しにくくなり、唐辛子の配合を変えてこれまでよりパンチをきかせた梨ドレッシングになったつもりです。そして、現在直面している課題は商品のラベルと外観です。
つい最近ある方から次のような話をされました。『およそ世間にある商品にまずいものはない。農家の方はこだわってつくっているから、なおのこと味はよい。しかし200の商品が並んでいて200の消費者がもう一方にいて、さあと言ったときに選ばれるものとそうでないものとがある。味見ができないとしたら、ポイントはデザイン。』
これまでは串団子やシフォンケーキなど消費期限の短いものを道の駅の直売所を出品していましたが、賞味期間が6ヶ月から1年のものを作り始めたのですから販売チャンネルを増やすことも必要です。わが家の加工品を多くの方に手にとってもらいたいと考えています。
そんなことを考えているとき、テレビで、大手デパートのドレッシング売り場で農家の手作りドレッシング(ねぎのドレッシング)が売れているという放映がありました。ならわが家の梨ドレッシィングだってという気にもなるじゃありませんか。また、加工講座でこんな話も聞きました。「ガラスびんは割れる重いなどの点からプラスチック容器に変わっていて、びん業界全体の生産量は減っている中で微増しているのがドレッシングびんです。」
はてさてこれからわがやの梨ドレッシングはどこへいくのでしょうか。こんなアメリカンジョークがあります。発展途上国に行ったセールスマンの話。
セールスマンA この国はだれも靴をはいていない。だから靴は売れっこないよ。
セールスマンB この国はだれも靴をはいていない。しめた。だからこれから靴はバンバン売れるぞ。
梨ドレッシングなんてふつうのスーパーではあまり見かけません。アイスのガリガリ君や“ふなっしー”のおかげで梨も加工できるんだと認知されてきました。梨ドレッシングはセールスマンBのようになれるでしょうか?
(2014年12月)

産み手ならつくってみたい血が騒ぐ(のらやま通信240/1411)

2016年04月27日 | 農のあれこれ

出掛けたついでに東京ビッグサイトで行われていたアグロイノベーションというイベントに寄って来ました。農業の新しい潮流を概観するにはこういう展示会は最適です。せっかく近くで開かれているのですからその利点を生かさない手はありません。同種のイベントはいくつもあって、先月の幕張メッセのイベントはどちらかというと商談会、今回は新技術の発表会といった感じ。
今年のメインテーマは植物工場とICTを使った栽培管理システム。植物工場はわが家の経営としては当面検討対象外。ICTとはInformation and Communication Technologyの略で、情報通信技術を表すITにコミュニケーションの概念を加えた言葉。JGAPという農業生産工程を食の安全や環境保全の側面から管理する世界基準の認証制度があります。将来、JGAPを取得することを求められるでしょう。認証に際してはきちんとした栽培情報を管理することが求められます。農業経営者としては現在進行中の作業も含めた栽培履歴をクラウドデータで管理し、スタッフ間で共有、顧客へ公開するというICTの活用した栽培管理システムに取り組まねばと再認識させられたのですが、生産者としては新技術や新品種の方が気になります。
梨の新しい栽培技術としては、神奈川県から樹体ジョイント仕立て法と栃木県から根圏制限栽培法が発表されていました。どちらも数年前から公表されていて、前者は幹と幹をつなげていって(ジョイントして)、複数の根から一本の長―い幹を作ろうという技術。後者は果樹のポット栽培のようなもの。どちらも栽培管理の容易化、早期成園化、安定生産などを目的とする技術です。今後、借地で梨を栽培するようになると、不可欠な技術になるかもしれません。
ジョイント仕立てはわが家でもこの冬の苗木から少し試みるつもりでした。普通なら現地に出向いて担当者に時間をとってもらって聞かなければならないのに話を、今回は向こうから同じ所に来てくれて、しかも二ヶ所の現場責任者の話を聞けるのですから本当にありがたいことです。
梨の新種では、農研機構(国の果樹試験場)から「甘太」「凜夏」、神奈川県から「香麗」「なつみず」が発表されていました。「甘太」は「新高」に代わる品種。「凜夏」は気候温暖化に対応した品種。「香麗」は「幸水」より早く収穫できる品種。「なつみず」も「幸水」より少し早く収穫でき実の大きくなる品種。新しく登録される品種はどれもこれまでの品種にない特性があるもので、わが家としては「幸水」より早い品種を思案中。農研機構からも近いうちに早生品種がでるとかで楽しみです。
他の新品種をみると、キウイフルーツの新品種が複数の研究機関から発表されていました。神奈川県と東京都の研究機関からも。どちらも市街地のなかでも栽培しやすいという性質に着目しているということでしょうが、需要そのものがこれからも期待できるということもあるのかもしれません。
香川大学は自生しているシマサルナシとキウイフルーツを交雑させ、新品種を開発。小型でありながら糖度が高く、果皮に毛がなく皮を剥かずにそのまま食べられるというものでした。果皮は栄養価も高く、本場でもそういう食べ方をしていると聞いたことがあります。これは将来有望と苗木を手に入れることはできるかと聞くと、当面は香川県内に限るとか。香川県はキウイフルーツを特産にしようとしていて、この品種開発についても県のお金も投入されているとか。それでは仕方ありません。
ちなみに神奈川県は県の開発品種の栽培を県内に限るとはしていないそうです。キウイフルーツについては確認しませんでしたが、ナシはT県との比較で伺いました。神奈川県のナシは直売が多く、品種の知名度を高めるために、むしろ早く拡散するのを歓迎するとのことでした。なるほど地域それぞれの性格で戦略が違うようです。
加工用として注目したい品種もありました。オリーブの生産者が地域を越えて連携し、商品を開発、売り込みをしていました。国の農研機構でスモモとウメを掛け合わせて育成した「露茜」。その赤い色素に注目した和歌山県が加工品を開発。島根大学は地元で自生するダイコンを品種改良。辛味の薬味に使う「出雲おろち大根」と命名。登録品種名は「スサノオ」。相当に辛そうです。三重県鳥羽商工会議所は古来から自生する「タチバナ」に着目。永遠に香るといわれるその香りを生かしたオリジナル商品を特産品にしようとしていました。北海道からは海から陸に最初に上がったといわれる「シーベリー」を商品化。油成分は高級化粧品や皮膚疾患の薬に、ビタミンEと強い酸性は抗酸化作用のある加工品に、黄色い色素はお菓子業界にと応用範囲が広がります。
わが家でもどれか作ってみたくなりました。
(2014年11月)

葡萄畑を見下ろして飲むワインの美味しさよ(のらやま通信239/1410)

2016年04月27日 | 散歩漫歩

7月上旬、ナシの収穫・出荷前の気分転換にと30年来のパートナーと四万温泉へ。のんびりするのが目的。温泉で体が温まったら布団の中で読もうと数冊の本をカバンに詰めていたのですが、直行しても早く着きすぎるからと寄り道をしようと考えたところから少し旅の意味合いが変わってしまったようです。
まずは関越道に入らずに東北道を北上。足利のココ・ファーム・ワイナリーへ。知的障がい者たちのつくるブドウ畑ということで広く知られています。ブドウ畑のその急斜面にびっくり。30度以上の傾斜はありそうです。「施設概要」に“山の斜面を使って障がい者の機能訓練をしたい”というねらいが書いてありました。急斜面のブドウ畑を前にしたカフェで開墾当時の労苦や毎年の栽培作業の厳しさを思い浮かべワインでも。いえまだ旅の途中。
二日目。骨休めに来たのだからと午前中は温泉に入ったり布団にもぐったりでしたが、外は上天気。根っからの貧乏性が起きだして、子供たちとキャンプに出かけていた当時、気になっていた野反湖へドライブ。その途中で見つけた見事な薪の壁。薪を販売しているプロなのか薪が生活の必需品のやま人なのか、家庭用の薪を作っているにしては立派な薪小屋です。プロにしては動力薪割り機のような機械が見当たりません。斧一本が立てかけてあるだけでした。斧でこれだけの薪を割る労力と技には頭が下がります。わが家の曽祖父は昭和初期に新しい家を興したとき、薪を拾う山林を持っていませんでした。だから子孫が薪で困らないよう晩年は薪づくりに精を出し小屋一杯の薪を残してくれました。亡くなって20年余りたちますが、まだ薪小屋の隅に曽祖父が割った薪が残っているかもしれません。
三日目。向かうは長野県東御市のワイナリー。吾妻渓谷をどんどんさかのぼり鳥居峠を越えて菅平口を経て千曲川沿いの丘陵へというルート。学生時代から何度か鳥居峠を通ったはずですが、有名な嬬恋村のキャベツ畑を見たことがない。そこでちょいと寄り道「つまごいパノラマライン」へ入ると国道だけ走っていただけではみられなかった光景が広がっていました。高原すべてがキャベツで埋め尽くされています。ヤマトタケルがわが妻の恋しいことよと詠んだ故事から命名された地名にちなんで愛妻の丘という見晴らし台がありまして、若いカップルが和んでいました。われわれには、夏秋の半年で1年分を稼ぐ畑、しかも百馬力の大型トラクタを買えるだけ稼ぐ畑、理想的農業のひとつの形だよねーって、日常的感想のみ。
今回の夫婦旅のひとつの目的地は玉村豊雄さんの始めたヴィラデストガーデンファームアンドワイナリー。軽井沢と上田の間の丘陵にあるファームカフェです。「ブドウ畑の風景を見ながらそのブドウからつくられたワインを飲む。そんな田園のリゾートを信州の自宅の庭先に作りました。多くの人々の共感を得られればと願っています」こんなメッセージに共感して多くのお客さんが訪れていました。
1992年に栽培を始めて2014年には6ヘクタールを越え、さらに地元の役所の紹介で遊休農地を解消して近々10ヘクタール規模の経営になるとか。栽培面積の拡大に合わせてワイン醸造の研修所もつくって千曲川沿いの一帯をワインバレーにしようという構想もあるとカフェのスタッフから聞きました。先々にはカフェレストランだけでなく宿泊施設も整備して、心置きなくワインを楽しんでもらおうという計画もあるそうです。
『里山ビジネス』という新書で紹介されていて興味を持って出かけてみたのですが、想像以上にビジネスとして成功しているようです。なぜこんな不便でなにもないところへ人が訪れるのか。実は高速道路ICから車で10分ですから、そんな不便ではないのですが、近くの観光地に来たついでに立ち寄るようなところではない。わざわざ訪れることを目的にしなければならないところ。きっとそこに切った張ったような嘘がないからでしょう。オーナーが本気になって楽しんでいる様子が本物だからでしょう。帰路で立ち寄った柳生博さんの八ヶ岳倶楽部も観光地にあるという立地を除けば、オーナーのライフスタイルに共感できるものがあるというのが共通点でしょう。
農業も単に農産物を栽培するだけでなく加工、販売を加えた6次産業化、さらにグリーンツーリズムという観光機能も求められる時代です。観光とは文字通り『光り』を観ること。そこにキラリと光るなにかがないとただのお騒がせで終わってしまいます。さてさて、わが家の農業、柏市の農業はいかに。
(2014年10月)

広大な田野を讃えよ、されど狭き田野を耕せよ(のらやま通信235/1406)

2016年04月27日 | 農のあれこれ


晴耕雨読ではなく晴耕雨W杯の6月を送っているのですが、先月に続いて新書の紹介。
一冊目は“百年幸せなまちをつくろう”という帯のコピーに惹かれて手に取りました。(『実践!田舎力 小さくとも経済が回る5つの方法』金丸弘美2013、NHK出版新書413)。金丸さんは食環境ジャーナリスト として全国の地域活性化先進事例を取材しつつ国・自治体の支援事業のアドバイザーとして活躍される中から、持続可能なふるさとづくりのための5つのアプローチを提案されています。
① 農産物に付加価値をつけて売る方法
② 素人を実業家に育てる事業の仕組みの立て方
③ 地元を売り出す広報ツールの開発
④ 観光やコンパクトシティを支える交流・連携の仕組みづくり
⑤ 持続可能なまちづくりのための環境エネルギー政策
農産物に付加価値をつけるのは<六次産業化>。短絡的な発想で失敗する事業が多い一方、成功事例にはいくつかの共通点があって、そのひとつが日常の生活のなかで自分たち自身が欲しいと思うものをつくること。きちんとつくったものは、そのよさを知っている地元の人たちが買いに来る。④は「着地型観光」。観光客を受け入れる側が旅行商品やプログラムを企画・運営。都会と田舎が互いの価値を認め合う交流型の観光で、景観づくりや芸能文化、農業、自然環境などの地域資源を生かすことが重要になる。いずれにせよ、地域に暮らす住民自身が地域の価値を理解し、うまく売り出すことができれば地域の経済は回りだし、雇用も生まれる。生活に根差した地域の価値を見出せることが田舎力だといいます。
そのタイトルからたまたま手に取った2冊目の新書(玉村豊男『里山ビジネス』2008、集英社新書448)も、森と人の境界線である里山ならではの恵みとともにある仕事をやりながら暮らしを成り立たせる、それが農業的な価値観にもとづく里山ビジネス。拡大せずに持続しながら生活の質を上げることができる愚直で偽りのない生活とともにある仕事なら、どんなにグローバル化してもそれに影響されることのない生活を確立できると主張します。
玉村さんは旅や料理についてのエッセーイストとして活躍したのちに長野の里山に移住。趣味のガーデニングから個人でワイナリーを立ち上げ、レストランには大勢のお客さまが訪れているそうです。そこでしかできないもの、そこへいかなければ食べられないもの、同じものでもそこで食べるからこそ美味しいものを提供する。料理とともにそこからの景観、特に夕景は自慢のひとつ。観光とは、風光を観ることの意。人と自然がたがいに関わりあいながらつくりだした景色を見る、ということ。特別な仕掛けはいらない。なにもなくとも嘘のない生活があればいいといいます。「農業は続けることに意味がある。その土地を絶えず耕して、そこから恵みを受けながら人も植物も生き続ける。ワイナリーを中心に地域の人が集い、遠方から人が訪ねて来、そこで作られたワインや野菜を媒介にして人間の輪ができあがる。それが来訪者を癒し、地域の人々を力づけ、双方の生活の質を高める」という記述には思わず付箋をつけました。
従来通り同じ作物をたくさん栽培して、青果、加工原料として出荷しても、出口の市場が縮小しているのだから売り上げは下がる。スーパーや量販店も生き残るために価格競争を始める。そうなるとさらに農作物価格は低迷するという構造的な課題を農業・農村は抱えています。政治家・企業家はその中でさらにナンバーワンを目指してグローバル化へ向かっています。
二人の著者は、そんなグローバル化に正面から抗うことなく、むしろ都会と連携をすることで田舎の価値を高めようといっています。小さくとも地に足のついた経済が回っている仕組みこそが、次世代に誇りを持って引き継げるふるさとをつくるはずです。少なくとも百年もの間、幸せに暮らせるまちはできるのか。このぐらいの時間軸でまちづくりを考えたいものです。
タイトルの<広大な田野を讃えよ、されど狭き田野を耕せよ>(ヴェルギリウス『農耕詩より』)は玉村さんの新書からいただきました。
(2014年6月)

コンサバをナシとハチから教えられ(のらやま通信234/1405)

2016年04月27日 | 農のあれこれ


お彼岸を迎えたころからナシのつぼみが膨らみ、4月上旬には開花。それに合わせて摘蕾やら摘果やら、その間に稲の種まき、育苗、田植えと、今年も待ったなしの日が続きました。そんな毎日に追われ、最近とみに発信力が衰えてきたことを自覚しているのですが、実は、受信力も衰えていたようで、2014年の新書大賞を受賞した『里山資本主義』という新書(角川oneテーマ21)を先ごろまで知りませんでした。
グローバリズムや「マネー資本主義」の経済システムのアンチテーゼとして、中国地方の中山間地で木屑ペレット発電に取り組んでいる製材所があるとか、木造高層建築物が可能となってオーストリアではエネルギー革命が起こっているとか、新しい社会の具体例を提示し、お金の循環が滞っても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組みをつくろうといっています。多くの人に「懐かしい未来」として、田舎の可能性が注目されるのはたいへん喜ばしいことです。311以降のなんとなくもやもやした気分を吹き飛ばしてくれるのかもしれません。
『百姓貴族』というコミックも話題を呼んでいるようです。最近映画化された『銀の匙』という農業高校を舞台にしたコミックと同じ作者で、農業エッセイをコミック化した感じ。
どちらも、そうだよねえとか、あるあるって思う反面、今頃、こんなに騒がれてなんだかなあという思いもあるのですが、農業分野に様々な人たちが興味をもって入ってきてくれることは現場が活性化してありがたいことです。
しかしながら、農業あるいは農村の現場では急速にその姿を変えていて、農地制度を含めた農政の見直しとともに企業参入や金融機関による農業ファンド、農業起業家たちの踊る舞台となりつつあることも確かです(週刊東洋経済2014/2/18 特集:強い農業 世界で勝つためのヒント)。
そんな中でわが家の当面の仕事はナシづくり、コメづくりとわが家産品を原料とした菓子・ジャム・ソース加工。それに近在農家からの加工受託。これでこれからの荒海を乗り越えていこうと考えています。
『里山資本主義』の中にこんなわが家を後押ししてくれる事例が紹介されていました。瀬戸内海の島で原料を高く買い入れ、人手をかけて成功したジャム屋さん。自分も地域も利益を上げる方法が生まれたといいます。生産、加工、販売を地域で行うことによって外に出ていく金を減らし、地元で回すことのできる経済モデルです。わが家の加工受託はまさにここを目指しています。
また、わが家でも貨幣換算できない物々交換や市場外での流通も以前からいろいろと試みてきました。CSA(community supported agriculture)もそのひとつの形でしょう。グローバリズムや巨大企業に負けない農業を探し続けねばなりません。
もし農業が行き詰るとすると、雨も風も雪も百年に一度なんていう大きさのものになってしまう気候変動か社会的動乱(戦争)かもしれません。
最近、こうあらねばならないと大のおとなが声だかに騒ぎ立てて、あちこちでギクシャクしているように思えます。農業って今年も去年と同じように収穫できますように、我々同様、子どもたちも食べていけますようにと念じながら作業することが多いので、本質的にイデオロギーや原理に基づくよりも、日常的利益や生活を維持しようとなります。
これまでうまくいってきたことは変えようとしない。まずいことが起きたらそこだけ変えればよい。まさにこういうことかもしれないなあと、新聞記事に目が止まりました。18世紀の思想家エドマンド・バークを引き合いに、真の保守とはこういうことだと、生命保険会社会長が紹介していました(朝日新聞4月11日オピニオン欄)。
やっぱり農業って保守主義だったんだって再認識させられたと同時に、環境を守れ、ふるさとを守れ、平和を守れって、進歩的な人の主張だといわれてきたことが、実は今の世の中では最も保守的だったと気づかされました。いつのまにか立場がすり変わっていることに驚かされます。
(2014年5月)

地域の農家の“かあさん”になりたい(のらやま通信233/1404)

2016年04月27日 | かしわかあさん

良いものを作っていれば、結果は後からついてくる。この気構えを持ちつつ仕事をしてきました。農家にとって良いものとはよい農作物であり、新鮮で安心な梨・米・加工品です。お客様へわが家の日常や農作物の生産の様子、栽培の各種情報を開示することがお客様の安心に結びつき、わが家の応援団になっていただき農業をこれまで続けてくることができたと思っています。ところが、農産品の加工受託という仕事をわが家の母が始めたことで、『売るコト』を意識するようになりました。
昨年、ブルーベリージャム、トマトケチャップ、にんじんとたまねぎのドレッシングを農家さんと相談しながら商品化しました。周囲が農業をやめる中、農業を続けている仲間たちの思いは同じ農業者としてわかるし、ブルーベリーもトマトもにんじんもケチャップもこだわりの農作物です。素材がいいのですから加工品も悪いはずがありません。
“かしわかあさん”としては、加工場を稼働させられる、加工の手間賃がいただける、売れ残りのリスクをとらなくてもいいというメリットがある反面、納品後商品が売れたかどうか心配でたまりませんでした。売れていないところへどう売れた?なんて聞いたら相手を怒らせてしまうかもしれません。
納品後、顔をあわせる機会があったとき恐る恐る聞いたところ、ブルーベリー農家のAさんは直売シーズンに完売。摘み取りの生のブルーベリーのお客さんに異なる商品アイテムとして提供できてよかったとのこと。トマト直売所をもっているBさんはホテルのシェフさんたちにトマトケチャップを試食してもらい褒められた、あっという間に売れたとのこと。
ところが、直売所仲間のCさんのトマトケチャップもおいしくできたのですが、しばらく売れませんでした。AさんとBさんは自前で直売所を持ち、お客様は彼女たちのブルーベリーやトマトを目的にくるので、ジャムやケチャップを手にとってもらえたようです。Cさんは道の駅直売所に出荷しています。客数は多いけれどすべてがCさんのお客様ではない…ならば、まずは店のCさんの生トマトのお客様にケッチャップの存在を知ってもらうのはどうか。『わがやの桃太郎のケチャップができました』とポップをおいたらどうだろう。ケチャップの方にも“桃太郎1キロをぎゅっと閉じ込めました”というポップをおいてみたら?』とCさんに提案しました。数日後、最初の1本が売れ、土曜日曜はあっという間に売れ切れ。その後、補充、補充で、納品分は完売しました。次回余剰のトマトができたときにまたお声がかかるかなと思っています。
食品のおいしさは食べなければわからない。食べてもらうには買ってもらわなければならない。買ってもらうためには手にとってもらわなければならない…。道の駅とともにわが家の農産加工も14年。受託加工の仕事が増える予感がします。売れ残ったらしょうがないというわけにはいかず、依頼者といかに売るかに知恵をしぼることになりそうです。“かしわかあさん”の小さな加工所で丁寧に作った仲間たちの商品は、地域のいわゆる顔のみえるお客様に支持されていければよいのだと思います。
つい最近、道の駅直売所でカレーを2箱買いました。レトルトカレーで700円。レジのパートさんが、「高いのにけっこうレジ通るのよね、どうして?」と聞いてきました。そのわけを考えました。①野田産地養鶏と完熟トマトという地域食材を使っている。②パッケエージのへたうま漫画の作者は、パッパラー河合さんという地元の芸能人。③柏の老舗カレー店監修。これが最大の理由?
農産物直売所のお客様はたぶん50代60代が中心です。昭和43年に創業した柏の老舗カレー店。カウンター形式で香辛料をあわせてルーを作る本格派だけれど高校生が気楽に入れる街のカレーショップでした。カシミールという商品が辛くて、「カシミールが食べられるか」というのが仲間内の合言葉になったほど。食べてみると意外や意外それほどでもない。でもごくんと飲み込んだあとの食道の火がついたような辛さ!高校の同窓会でもこの店が話題に上ります。
その後、いろいろな変遷があり、のれん分けではないのに同じ名のついた数店舗が柏周辺にあるようです。それだけこの店にファンがいて、店の名前がブランド化したのだと思います。道の駅でカレー店の名のついたレトルトカレーを買ったお客様の何割かはその響きとともに昔を懐かしむのでしょう。
はたして“かしわかあさん”はそんなお客様に支持される商品づくりができるでしょうか?すぎのファームフェイスブックに「かしわかあさんのシフォンケーキの大ファンです」とコメントしてくださった方がいます。小さな加工だからできることがあるはずです。菓子製造で14年。ソース類製造はやっと1年。家庭の台所を預かるのが母なら、“かしわかあさん”は地域食材を活用することで地域の農家の“かあさん”になりたいと思います。
(2014年4月)

食卓から地球を冷そう(のらやま通信232/1403)

2016年04月27日 | 農のあれこれ

植物は空気中のCO2を吸収して育ちます。しかし、その木を燃やすと、木に吸収されたCO2が再び空気中に放出されます。また、そのまま地中に埋めても微生物に分解されて、CO2に戻ってしまいます。そこで、木を炭にして炭素を固定します。炭は地中に埋めても分解されず、CO2に戻りません。つまりCO2が排出されません。炭を埋めた畑で栽培された野菜。それが地球温暖化の原因とされる空気中の二酸化炭素を削減し、地球を冷すことが期待されるクールベジタブル、つまり『クルベジ』です。
京都に出かけるついでがあったものですから、こんなクルベジの社会実験をすでに始めているお隣の亀岡に立ち寄ってみました。
亀岡では放置されて困っている竹林を地域の未利用バイオマスとしてとらえ、バイオマスの回収→炭化→たい肥との混合→農地施用カーボンクレジット 取引→クルベジ® 販売という流れをつくっています。竹の伐採、炭化は地元の民間事業者に任せ、市農業公社が竹炭と混合した堆肥を製造し、炭の投入実績を管理するため散布まで行います。協賛企業5社からは栽培地看板や商品ラベル等についてクレジット取り引きしています。
 
販売は地元のスーパーマーケットで扱ってもらっています。店の入り口の正面に「クルベジ」コーナーが置かれ、5分ほど観察していたのですが、その間でも何組かのお客さんが足を止め品定めをしていました。残念ながら購入した場面には立ち合いませんでしたが、マスコミで取り上げられ、小売店の努力や広報等によりその存在はある程度は認知されているようでした。ほかのノーブランドの野菜の価格と比較しても、特に高いというわけでもないようです。もしかすると、ほかの野菜コーナーと離れた場所の特設コーナーであることが、かえってほかの野菜と比較できずに、購入を躊躇してしまっているのではないかという印象も持ちました。
 
JR亀岡駅から徒歩で10分ほどのところにはクルベジ農法による市民農園が開設され、地元の農業者による農業体験塾のようなものも行われているようです。農作業にはまだ早い時期でしたから露地畑はまだ休んでいましたが、ビニールハウスの前には竹炭の入っているであろうローンバッグが置かれていました。
亀岡の事例は、大学研究機関と行政だけでなく、地元事業者・農業者や民間企業との協力を得ながら、社会実験がうまく離陸しているようです。あとは消費者がその価値を認識し、購入行動まで成熟すれば実験が成功。さらに社会運動という形に醸成されれば温室効果ガス削減の一歩にという期待が膨らみます。そのためにも柏市での社会実験が重要な役割を担うことになると再認識させられました。
 
わが家で行われた1月のナシの剪定枝の炭化試験の結果が少し前に報告されました。わが家の畑から排出される剪定枝は約9t。炭化した炭の量が約3t。そのうち難分解性炭素量が約1t。難分解性炭素とは炭から揮発分(有機質)やミネラル(灰分)を差し引いたもので、安定的に貯留可能な炭素・元素状炭素という意味のようです。
わが家のナシ畑から、計算上とはいえ、毎年1tもの炭素を固定化できるというのは予想以上の量でした。樹木は当然、竹やもみ殻よりも炭素の抽出率が高い値のようで、産地として取り組むようになればさらに大きな数値となって社会にアピールできるかもしれません。
(2014年3月)

やっかいものみんなきにしてすみにしましょ(のらやま通信230/1401)

2016年04月27日 | 農のあれこれ

現代社会のやっかいものといえば経済的にも割に合わないゲンパツ。みんなが一生懸命気にかけて“済み(廃炉)”にしたいものですが、もうひとつのやっかいものは地球温暖化を引き起こすCO2。
 現在、地球温暖化防止のため、先進国は京都議定書に基づいてCO2の排出量上限を決めていますが、自国の排出削減努力だけで削減しきれない分について、排出枠に満たない国の排出量を取引することができます。この地球温暖化の原因とされるCO2を排出する権利を企業間や国際間で流通するときに、クレジットとして取り扱われていて、これをカーボンクレジット(炭素クレジット)といいます。排出権を売買する取引市場も開設されています。
植物はCO2を吸って、自らを成長させながら酸素に換えています。しかし、植物は腐ったり燃えたりすると、再びCO2を排出します。でも、植物を炭にしたらCO2は排出されません。ナシの剪定枝も炭素のかたまり。燃やすと灰とCO2に。チップにすれば分解するときにやはりCO2が再び空気中に。炭化して畑に還元すれば、その分、空気中のCO2は減ることになります。もしかすると、その炭素貯留分のクレジットを企業が買ってくれるかも。そうなったら廃棄する対象であった剪定枝が新たな資源になるかも…。
実際のところは、炭素貯留という観点からのバイオ炭の施用コストの回収は通常よりも大量施用を想定していることもあって、現状の国際間取引価格であるカーボンクレジット(二酸化炭素取引)価格では非常に難しいと考えられます。そこで、バイオ炭による炭素農地貯留を行った農地で栽培された農作物のブランド化によってコストの回収を行おうという取り組みがすでに京都府亀岡市で行われています。
バイオ炭の持つ多孔質な構造は、土壌の保水性や透水性、肥料保持性を高めます。また、有用微生物の生息場所となることで、植物の根圏環境を改善し、病害虫への抵抗・予防を高めます。さらにアルカリ性を持つことから酸性土壌を中和するという化学的改善にも寄与するという最適な土壌改良材。亀岡市では地球を冷やす“クール”な、野菜“ベジタブル”、略してクルベジ®としてエコブランド化しています。地域の未利用バイオマスの回収→炭化→たい肥との混合→農地施用→カーボンクレジット取引&クルベジ®販売という流れを経て、温室効果ガスの削減と農山村部へ資金還流を導くという社会実験です(食卓から地球を冷やそう 亀岡カーボンマイナスプロジェクト)。
亀岡では主に竹を炭化していますが、千葉ではナシの剪定枝の処理も困っているが、逆にそれを資源化、付加価値化できないかということで、亀岡プロジェクトに参加している大学研究室がわが家で剪定枝の炭化実験が行いました。まず①ナシ剪定枝は炭にできるのか。次に②その炭からはどれほどの炭素を取り出せるのか。①については、毎年、剪定枝を焼いていますので、個人的には実証済み。②は大学研究室にお任せ。どの程度の数値になるのか、お楽しみ。
どのように剪定枝を炭にするか。今回試したのはちょっと深い皿のように加工されたステンレス製の“無煙炭化器”。以前、県の機関が試みた炭化プロジェクトでも採用されていましたが、炎がオープンなため防火上難あり。その上、“無煙”とはいえ剪定直後の枝を焼却するため、細枝を大量に投入した際には水蒸気の白煙が立ち上がって低い評価。ところが、炭が炭素貯留になり、ローテク・ローエネで短時間に大量にできる機材ということで、再評価されての再登場。
やはり燃焼時の白煙の問題は未解決。剪定後にしばらく乾燥させて焼却(炭化)すれば、白煙はいくぶん小さくなると思いますが、さてさてうまく事業化できますかどうか。
みんな木にして炭にしましょ。

(2014年1月)