上の写真は対馬北端に近い『異国の見える丘展望台』からのもの。
夏のこの時期に韓国・釜山が眺められるというのは珍しいとのことでした。
同じ日に対馬南端に近い豆酘(つつ)崎から九州側を望むと
壱岐の島影までしか見えませんでした。
朝鮮半島までは約50km、九州本土までは約130kmとなれば
当然と言えば当然。
こんなに目の前に見えるのに
むしろ韓国領とならなかったことの方が不思議なくらい
とは、同行の方の感想。
最近は釜山からの国際航路を使った韓国からの
観光客が急増しているそうです。
そういえば、対馬藩の藩主の住んだ厳原では
何組もの韓国人団体客に出会いましたし、
豆酘崎でも家族連れ韓国人観光客と一緒になりました。
釜山から南島の厳原に入り、
島内をめぐって北島の比田勝から釜山に帰る
一泊二日の行程のツアーが多いといいます。
釜山-厳原(いずはら)の高速船での所要時間が3時間。
釜山-比田勝の航路なら1時間半とか。
ちなみに博多-厳原はジェットフォイルで2時間15分。

厳原の歴史的施設ででたまたま出会った
韓国人の団体観光客が熱心にガイドの話を聞いていたのが
対馬藩藩主の末裔宗武志公と
李王朝の最後の王女徳恵姫との結婚を記念して建てられた石碑の前。
時代にほんろうされた王女徳恵姫の一生を描いた本が
現在、韓国でベストセラーになっているとかで、
韓国人ガイドも説明に熱が入っていたようです。
対馬の島民は耕作に恵まれない地形もあって
古くから朝鮮との交易で生活を営んできたといいます。
14世紀になって朝鮮半島を襲う和寇を取り締まるよう
李王朝より要請された島主宗氏は貿易上の特殊な権利を得て
相互の信頼関係とともに日朝貿易の独占的な体制を築いたといわれます。

江戸時代になると朝鮮通信使を迎える大役を仰せつけられ、
石高も十万石と実際の生産高以上にとりたてられ、
271あった藩のうち石高順で41番目に別格扱いされたとか。
釜山には、当時、唯一の在外公館「倭舘」があって、
長崎出島の25倍の広さの土地に600人程度の対馬人が移り住んで
貿易をしていたというのも今回の旅で初めて知りました。

日朝貿易で隆盛を誇った藩主宗氏の墓所は
日本三大墓所と呼ばれるほどの立派なものでした。
その宗家の血筋の方が柏市内に住まわれているようですが、
残念ながら、現在の宗家と対馬の間は親密な関係にはないとのことでした。
どういう事情かはわかりませんが、
できれば柏市民とが対馬の市民が交流して互いにいきいきできれば
今回のツアーの目的が十分達成されるのですが。

海峡の向こうに釜山の山影を望んだこの日、
朝鮮海峡には米韓の軍事訓練の砲弾らしき低い音が響いていました。
これも対馬の現実かもしれません。
夏のこの時期に韓国・釜山が眺められるというのは珍しいとのことでした。
同じ日に対馬南端に近い豆酘(つつ)崎から九州側を望むと
壱岐の島影までしか見えませんでした。
朝鮮半島までは約50km、九州本土までは約130kmとなれば
当然と言えば当然。
こんなに目の前に見えるのに
むしろ韓国領とならなかったことの方が不思議なくらい
とは、同行の方の感想。
最近は釜山からの国際航路を使った韓国からの
観光客が急増しているそうです。
そういえば、対馬藩の藩主の住んだ厳原では
何組もの韓国人団体客に出会いましたし、
豆酘崎でも家族連れ韓国人観光客と一緒になりました。
釜山から南島の厳原に入り、
島内をめぐって北島の比田勝から釜山に帰る
一泊二日の行程のツアーが多いといいます。
釜山-厳原(いずはら)の高速船での所要時間が3時間。
釜山-比田勝の航路なら1時間半とか。
ちなみに博多-厳原はジェットフォイルで2時間15分。

厳原の歴史的施設ででたまたま出会った
韓国人の団体観光客が熱心にガイドの話を聞いていたのが
対馬藩藩主の末裔宗武志公と
李王朝の最後の王女徳恵姫との結婚を記念して建てられた石碑の前。
時代にほんろうされた王女徳恵姫の一生を描いた本が
現在、韓国でベストセラーになっているとかで、
韓国人ガイドも説明に熱が入っていたようです。
対馬の島民は耕作に恵まれない地形もあって
古くから朝鮮との交易で生活を営んできたといいます。
14世紀になって朝鮮半島を襲う和寇を取り締まるよう
李王朝より要請された島主宗氏は貿易上の特殊な権利を得て
相互の信頼関係とともに日朝貿易の独占的な体制を築いたといわれます。

江戸時代になると朝鮮通信使を迎える大役を仰せつけられ、
石高も十万石と実際の生産高以上にとりたてられ、
271あった藩のうち石高順で41番目に別格扱いされたとか。
釜山には、当時、唯一の在外公館「倭舘」があって、
長崎出島の25倍の広さの土地に600人程度の対馬人が移り住んで
貿易をしていたというのも今回の旅で初めて知りました。

日朝貿易で隆盛を誇った藩主宗氏の墓所は
日本三大墓所と呼ばれるほどの立派なものでした。
その宗家の血筋の方が柏市内に住まわれているようですが、
残念ながら、現在の宗家と対馬の間は親密な関係にはないとのことでした。
どういう事情かはわかりませんが、
できれば柏市民とが対馬の市民が交流して互いにいきいきできれば
今回のツアーの目的が十分達成されるのですが。

海峡の向こうに釜山の山影を望んだこの日、
朝鮮海峡には米韓の軍事訓練の砲弾らしき低い音が響いていました。
これも対馬の現実かもしれません。