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のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

よくもまあ異国とならぬ地と史の運

2010年07月31日 | わが家の時時
上の写真は対馬北端に近い『異国の見える丘展望台』からのもの。
夏のこの時期に韓国・釜山が眺められるというのは珍しいとのことでした。
同じ日に対馬南端に近い豆酘(つつ)崎から九州側を望むと
壱岐の島影までしか見えませんでした。

朝鮮半島までは約50km、九州本土までは約130kmとなれば
当然と言えば当然。
こんなに目の前に見えるのに
むしろ韓国領とならなかったことの方が不思議なくらい
とは、同行の方の感想。

最近は釜山からの国際航路を使った韓国からの
観光客が急増しているそうです。
そういえば、対馬藩の藩主の住んだ厳原では
何組もの韓国人団体客に出会いましたし、
豆酘崎でも家族連れ韓国人観光客と一緒になりました。

釜山から南島の厳原に入り、
島内をめぐって北島の比田勝から釜山に帰る
一泊二日の行程のツアーが多いといいます。
釜山-厳原(いずはら)の高速船での所要時間が3時間。
釜山-比田勝の航路なら1時間半とか。
ちなみに博多-厳原はジェットフォイルで2時間15分。

             

厳原の歴史的施設ででたまたま出会った
韓国人の団体観光客が熱心にガイドの話を聞いていたのが
対馬藩藩主の末裔宗武志公と
李王朝の最後の王女徳恵姫との結婚を記念して建てられた石碑の前。
時代にほんろうされた王女徳恵姫の一生を描いた本が
現在、韓国でベストセラーになっているとかで、
韓国人ガイドも説明に熱が入っていたようです。

対馬の島民は耕作に恵まれない地形もあって
古くから朝鮮との交易で生活を営んできたといいます。
14世紀になって朝鮮半島を襲う和寇を取り締まるよう
李王朝より要請された島主宗氏は貿易上の特殊な権利を得て
相互の信頼関係とともに日朝貿易の独占的な体制を築いたといわれます。

             

江戸時代になると朝鮮通信使を迎える大役を仰せつけられ、
石高も十万石と実際の生産高以上にとりたてられ、
271あった藩のうち石高順で41番目に別格扱いされたとか。
釜山には、当時、唯一の在外公館「倭舘」があって、
長崎出島の25倍の広さの土地に600人程度の対馬人が移り住んで
貿易をしていたというのも今回の旅で初めて知りました。

             

日朝貿易で隆盛を誇った藩主宗氏の墓所は
日本三大墓所と呼ばれるほどの立派なものでした。
その宗家の血筋の方が柏市内に住まわれているようですが、
残念ながら、現在の宗家と対馬の間は親密な関係にはないとのことでした。
どういう事情かはわかりませんが、
できれば柏市民とが対馬の市民が交流して互いにいきいきできれば
今回のツアーの目的が十分達成されるのですが。

             

海峡の向こうに釜山の山影を望んだこの日、
朝鮮海峡には米韓の軍事訓練の砲弾らしき低い音が響いていました。
これも対馬の現実かもしれません。

船隠す島影隠す波模様

2010年07月30日 | わが家の時時
先週末、2泊3日で(福岡で前泊したので3泊4日か)、
長崎県対馬に行っておりました。
盛りだくさんの体験でしたのでいまだに頭の中が整理されておりません。
で、ここ数日、ブログをお休みいただきました。
留守にしたので農作業がたまってしまったという事情もあるのですが。

というのは、学生時代の知人が対馬でここ数年、
地域起こしのような仕事をしておりまして、
地元でエコツアーのようなものを検討しているので
そのモニターになってもらえないかという話があったわけです。
モニターといっても、経費は自分持ちです。
こういう機会でもないと
対馬という国境にまで出かけることもないだろうと奮発しました。

名付けて「対馬の自然と歴史・ツシマヤマネコと共生する国境をめぐる旅」。
要するに対馬のすべてを体験しようという欲張りツアー。
実際、島の北端から南端まで、海上から原生林の山中まで、
防人の時代から現代の韓国からの観光客事情まで、
“せんだんご”というサツマイモを発酵させた保存食品から
ヤマネコと暮らす米作りまで
はてさて、なにから紹介してよいのやら。

初日の午前中は上島と下島のあいだに広がる
日本有数のリアス式海岸を持つ浅茅(あそう)湾のクルージング。

湾の中はツアーにチャーターした船以外の波紋はみえません。
この船は本来、浅茅湾内の陸路の不便な海岸のむらをつなぐ定期航路船で、
一日2便の定期運行以外の時間を利用して観光運行されています。
いわば海上のバス。
陸路が不便だった時代の雰囲気をすこしだけ感じられました。

             

奥の深い入江は真珠の養殖が行われています。
近くの海岸には作業小屋があって、
毎日、別の海岸の村から通うそうです。

             

竜宮伝説がのこる和多津美神社の5つの鳥居のうち
二つの鳥居は宮島と同じように海中にそびえていました。

             

この山は663年、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた日本軍が
国防の最前線として築いた城山、金田城跡。
西側に開いた浅茅湾の入り口にちかい半島にあります。
山の中腹には残存する石塁の印が線となってみえます。

藩政時代、水運を重視した対馬藩が
人工的に開削して大船越地区に航路を開設したことにより
それまで一つの島だった対馬が二つの島になったそうです。

その後、近代日本海軍が湾内の竹敷という漁村に司令部を置き、
軍艦が東側にも速やかに移動できるよう
明治33年、久須保地区で人工的に開削してもうひとつの瀬戸を作っています。

             

             

しかし、こういうところで体験してみたいのはやはりシーカヤックか。
もし再訪できたなら、次はぜひ。

             

あの顔もこの顔もあってクラスメイト

2010年07月12日 | わが家の時時
この写真、さてなんでしょう。

一見、トウモロコシのようにぎっしりと種子が並んでいますが、
均一な形ではありません。
それぞれ個性のある顔に見えてきました。
団塊の世代の学校時代もそうだったのかななんて連想してました。

というのも、全国どこでもそうであるように
わがまちでも児童生徒数の減少から学校の統廃合が課題となっております。
都心から35kmにあるわが家のある地区の小学校では
今年の全校生徒は102人。
隣の小学校はさらに少なくて、
二校が一つの中学校に進学することになるのですが、
当然、クラブ活動も団体競技などはなりたちません。

伝統ある地域のアイデンティティをとるのか、
行政の効率性や子供たちの教育効果を優先させるべきか
地域みんなの母校の行く末が気になります。

さて、写真の種子をすこし遠目でみるとこんな感じ。

             

花はどうだったかというとこんな感じ。

             

答えはこんにゃくですが、
正直言えば、花のあとにできたので種子といったまでで
ほんとうにこの粒粒がこんにゃくの種子だかどうかは知りません。
失礼しました。

あこがれの農夫と同じ帽子乗せ

2010年06月04日 | わが家の時時
たびたびの家族自慢で恐縮です。

農業ブームのおかげでしょう。
またまたわが家の後継者君が雑誌に登場。
いきつけのお店の紹介でこんどはアウトドアファッション誌に
「究極のアウトドアを楽しむおしゃれ農業男子」だそうです。

『OF』 vol.2 2010 spring issue 2010年3月、学研パブリシッシング

冬の剪定作業中、モスグリーンの帽子をかぶっていたのですが、
ドイツ研修中に見かけた地元のおじいさんが格好良くみえて
帰ってくるときに探して買ってきたそうです。
「将来こんなすてきな帽子が似合うようなじいさんになろう」
というコメントが至極です。泣かせます。

こんなにあちこち露出させてもらっているんだから
そろそろパートナーも連れてきなさいよ。

梅雨前にベルトゆるめて食べ歩き

2010年06月02日 | わが家の時時
先日、ユルベルトKASHIWAXというイベントに参加してきました。

柏ユルベルトについてはこちら

柏の駅前をのんびり食べ歩いて、楽しんでもらおう……
という新しいスタイルのお祭りだそうです。
ユルベルトの語源は「ベルトをゆるめて食べ歩いちゃおう!」

柏駅周辺の66店舗が参加していて
チケットを参加している各店舗に持っていくと、
各店舗独自の飲み物1杯と1皿の料理を提供してくれます。
お店それぞれがさまざまな工夫を凝らしておもてなし。

当日の様子はこちら

企画自体はどこかの街の真似だそうですが、
飲食店の集中している柏ならではのイベントです。
街の一角で地元農家の野菜直売なども行われていました。
地場産の食材を使って「おもてなし」なんていうことにでもなれば
まだまだ「のびしろ」のありそうなイベントです。

ギャラリーに野菜果実の並ぶ朝

2010年05月21日 | わが家の時時
学生時代からの友人がオーナーのギャラリーがオープンしました。
東京駅八重洲南口を出てまっすぐ3ブロック目の一角に
そのギャラリーモーツァルトはあります。

学生時代に民俗学者の宮本常一氏や
文化人類学者の川喜多二郎氏に師事したことのある彼らしく
「文化のクライマックス」がキーワードのギャラリーといいます。

特に学生時代に調査に入ったアイヌ文化に関することを発信したいと
第1回企画展は「アイヌとモダン」と名付けたK澤珠美さんの作品の展示販売。
K澤さんはアイヌの伝統的な文様を現代風にアレンジした刺繍や染色を使って
多方面で活躍されています。
自然を模写したことから始まったであろうアイヌの文様が今風に洗練され、
新鮮なイメージを抱きました。

             

K澤さんのご家族は北海道・二風谷で農業をしながら
二風谷の環境やアイヌの文化を守り継承しようと
NPO法人を運営してナショナルトラスト運動に取り組んでいるとか。
所違えど志は同じ、実績はまったく違うのですが、
身近に感じられて応援したくなりました。

そのうちわが家のナシもギャラリーに並べようと彼は言ってくれています。
いつか「遺物」になるまえに
京橋のビジネス街でわが家のナシをお披露目できるかもしれません。

如月は風のち花冷えブルームーン

2010年03月30日 | わが家の時時
3月30日は旧暦の2月15日だそうで、
西行の
“願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ”

のまさにその頃だと、
天セイ人語でも紹介されていました。
もっとも今年は
1週間前に東京でサクラの開花宣言されてから寒気が陣取っていまして、
遅々として開花は進んでいませんが。

また、今月はひと月に2回満月となり、
2回目の今夜は“ブルームーン”と呼ばれています。
もともとは言葉の通り「青い月」を意味していたそうですが、
ひと月に2回目の満月の場合は
「めったにないめずらしいこと」の意にもなるのだそうです。

ちなみに、今年は1月と3月にブルームーンがあって
これまた珍しいことだとラジオで紹介していました。

21日だったか、発達した低気圧が北日本を通過した際に大南風が吹いて、
各地で被害が出ていましたが、
わが家でも被害が出ていたことに昨日になって気がついて
あわてて瓦屋さんに応急処置してもらいました。

50代になった今まで大風で家の瓦が飛んだというのは初めての経験です。
地形的なものと風向きからたまたまそうなったのでしょうが、
「めったにないめずらしいこと」で終わってほしいものです。

観る日でも男と女のすれ違い

2010年03月08日 | わが家の時時
ずるい男に、気はいいけど自立する女の
そんな二人の改めての旅立ちというところでしょうか。
メリル・ストリープ主演の映画『恋するベーカリー』を観てきました。

夫婦50割で観たい男とレディースデイに観たい女の
そんな二人の姿がそのままスクリーンに映されているようでした。

観ている最中、女は何回か「男はずるい」とつぶやいていました。
あそこまでひどくはないと思いつつも、男は恐縮するばかりです。

しばらくは、
子育てを終えた二人の新しい付き合い方を探しまわることになるのでしょう。

言わずとも唇寒し菜種梅雨

2010年03月03日 | わが家の時時
「新書大賞2010」第一位なんだそうです。
昨年一年間に刊行された1500点余りの新書の中から
書店員や書評家らが投票して、その第一位だったそうです。
ベストセラーになっていることも知りませんでした。

実は、毎朝、団子づくりをしながら聞いているラジオで
Ta田Te也さんが受け持っているコーナーがありまして、
この本を五日間?十日間?にわたって紹介していました。
面白いなあと思って聞いていると、最後の部分で
「可能性は無限にある。しかし、……………」という締め。
残念ながら後半部分が聞き取れませんでした。

もしかしたら、この本の中に聞き逃した部分があるのではないかと考え、
ネットで注文。
届くまでの2,3日の間に大賞が発表されました。
受賞したから買ったのではありませんからー。

ところが、パラパラとページをめくっても
「可能性」「無限」のようなキーワードは出てきません。
あれはなんだったろうなあ。

本の内容についてはあちこちで紹介されているでしょうけど、
要は日本人はどこかに「中心」が必要な「辺境の民」であるということ。
たとえば、日本語。
漢字が日本が入ってきたとき、
それまで使われていた表音文字を『仮名』と呼んで「暫定」の座におき、
表意文字の漢字は『真名』という正統の位置に。
「外来の高尚な理論=男性語」と「地場のベタな生活言語=女性語』を
うまく使い分け、豊かで細やかな思考、表現によって、
「余人を以ては代え難い」仕事ができるのではないかと主張しています。

この新書は珍しく「ですます」調で書かれています。
「はじめに」の最初のフレーズが「みなさん、こんにちは。」
まったく意表を突かれます。
著者はあえてこういう文体で書くことによって、挑戦しているのだと。


内田 樹 『日本辺境論』新潮新書336 740円+税

亀に乗り鳥をお伴の北斗神

2010年02月22日 | わが家の時時
集落内に妙見社という社があります。
中世千葉氏の一族の相馬氏の、
そのまた一族が山城を構えていたといわれ、
その氏神であったそうです。
小字は「中城」。まさに城中です。

妙見社は北斗信仰とも結びつきが強いといわれ、
当地のご神体は「相馬北斗大神」。
上の写真右奥の掛け軸にご神体が描かれていますが、
その足元にはカメ。
神様がカメに乗って、鳥に導かれて当地に降臨したとか。
神の使いである鳥をしん粉餅で成形し、
鳥木<とりぼく>に飾って「オビシャ行事」を行うのが「鳥オビシャ」。

その祭礼は毎年、2月22日に行われていますが、
今年は“来当<らいとう>”として招待され、出席してきました。
“来当”とは次の当番の意味。
来年は当番長として祭礼を取り仕切ることになるので、
ただ飲み食いするお客のままではいられません。
祭礼の意味を先輩や神官に伺ったところによると…

             

オビシャ(お備社)というのは、弓矢で的を射ることによって
その年の吉凶や農作物の豊凶作を占う祭りのことだそうで、
新年に行われる場合には、
邪気を祓い五穀豊穣や無病息災等を祈念する祭にもなっているといわれます。

祭礼のなかで「箭弓の儀」というのがあって、
鬼と書かれた紙を弓矢で射抜きました。
めでたし、めでたし。

              

しん粉餅を食紅で色づけ練り合わせ、鋏や櫛で
鳥の形をつくっていくのですが、
本来は、家々でつくった“オビシャ鳥”を持ち寄って
祭礼がおこなわれていたそうで、
色とりどりの鳥のほか、ツル、カメ、羽を広げたウグイスや、
チャボやキンギョのような変わり種もつくられていたそうです。
時には品評会のようなことも行われ、景品もでたとか。
わが家でも明治生まれの曾祖母が元気な時には作っていて
子供たちの楽しみでした。

             

現在は、地区の老人会が地元の小学校に出向き、
半日、“オビシャ鳥”作りを指導しています。
近在では市内の二地区に市外の一地区でしか残っていない民俗行事のようで、
ぜひとも子供たちにも引き継ぎたいものです。

実は、今日の祭礼が朝のNHKのローカルニュースで紹介されたそうで、
それを頼りに10名ほどの方々が見物にいらっしゃいました。
仕掛け方によっては地域づくりの柱になるかもしれません。

道の駅しょうなんのロビーに
隣集落の有志がつくった鳥木が飾られています。
しばらくはあるでしょうから、興味ある方はどうぞ。

             

             

枯れ木に花咲かせ、鬼神の目に涙

2010年01月28日 | わが家の時時
柿本人麻呂、山部赤人、紀貫之、在原業平等と並ぶ歌人で、
その腕前は枯れた草木に花を咲かせ、
鬼神の目にも涙を浮かばせるほどとか。

歌人西行の生涯を追いながら詠んだ和歌を観賞する
というような物語のようです。
鎌倉期以降につくられた『西行物語』を現代語訳して、
解説を加えている新書です。

学校で西行法師という名は習いましたが、
『西行物語』という古典があるとは知りませんでした。
目次をめくると、伊勢参拝とか、熊野巡礼、
東下り、四国渡海といった項目が並んでいます。
昨年末、伊勢、熊野に出向き、
次は四国かと思っていましたのでつい買ってしまいました。
「旅する、詠む、恋する…そして死ぬ」というキャッチコピーにも
捕まってしまいました。

歌を鑑賞するだけの力量はありませんが、
西行の生涯はたいへん興味深いものでした。

ご承知の通り、もとは宮中を守る北面の武士であったものが妻子を捨て、
旅をしながら仏法と和歌の道に励む放浪詩人。

時は、前九年・後三年の役、保元・平治の乱、源平合戦の時代。
平清盛、源頼朝、藤原秀衡といった権力者たちから尊敬と好意を寄せられ、
怨霊となったといわれる崇徳天皇とも関係が深く、
源義経とも接点があったのではないかとも推測できるそうです。
かと思うと、遊女とたわむれ、老女となった宮廷美女たちとデートを楽しみ、
文覚のような荒法師と堂々と対峙し、
捨てたはずの妻子のことも配慮するというような
そして、歌の通りに極楽往生した最期。

<願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月の頃>

いわば、融通無碍な生涯。

がんばらないで自由に生きるという西行的生き方は
その後の芸術家たちに影響を与えたといわれます。
松尾芭蕉に『奥の細道』へ旅立たせ、高杉晋作には<東行>と号させています。
大河ドラマの題材に取り上げることもできそうです。

この『西行物語』は早い段階から絵巻物とされ、
異本も数多く出ているというほどの人気のある物語だったようですが、
戦後は大手出版社の古典文学全集にもまったく収録されていない
というのも興味深い話です。


たまたま大きな書店内をぶらぶらしていたときに見つけました。
ネット通販で書物を入手できるようになり、
街中から書店がどんどん姿を消しているといいますが、
こういう書物との出会いがある本屋さんは大事です。


【新訳】西行物語 がんばらないで自由に生きる  訳;宮下隆二
PHP研究所 2008年12月 800円+税 
「わかりやすい新訳で読む古典の名著」シリーズ 新書版

御礼 8,788位

2010年01月10日 | わが家の時時
わが家のこのブログはgooが提供してくれています。
今、130万件を超えるgooブログが開設されているようです。
週別アクセスランキングというのがありまして、
12月27日から1月2日の週のわが家のブログへのアクセス数が
全体の8,788番目だったという記録がありました。
(1月10日から16日の週には8476番目という記録も)

これまでも数回、9000番台の週が何回かありましたが、
8000番台というのは初めてです。
全体の1%以内に入るという記録はありがたいことです。
これもアクセスしてくださっている皆様のおかげです。
ほんとうにありがとうございます。


ブログといえば
先日、例のごとく夫婦50割の特権を行使し、
映画『ジュリー&ジュリア』をみてきました。

50年前、普通の主婦からTVやレシピ本を通じて
フランス料理を米国の一般家庭に広めた伝説の料理家ジュリア。
彼女の残した524の料理レシピを一年で自分で試して、
その様子をブログに紹介したことから夢だった作家に転身したジュリー。
50年の時を超え、二つの人生がキッチンで出逢った…。

二つの実話を元にした映画で、おSぎさんも絶賛していました。
主役のメリル・ストリープの醸し出すおおらかな明るさも
一年前の『マンマ・ミーア』のそのままでした。

料理で夢をかなえるブログコンテストは現実にも。

映画の中でも登場したパリの料理教室「ル・コルドン・ブルー」では、
映画「ジュリー&ジュリア」の公開を記念して、
ブログコンテストを開催しています。
優秀者2名は、
国内のル・コルドン・ブルー校で授業が受けられるといいます。

メリル・ストリープは次作も食べ物系、大人気ベーカリー経営者の役。
(タイトル写真は次作『恋するベーカリー』2月19日ロードショー)
また、出かけなくてはなりますまい。

虎の子をとらぬ算段松の内

2010年01月03日 | わが家の時時
写真は今年の干支のぬいぐるみ?のトラ。
知人の奥さんの労作で、
一昨年のこいのぼり、昨年の牛につづいていただきました。

昨年の牛はこちら
一昨年のこいのぼりはこちら

本来なら、今年一年の算段を図る松の内ですが、
日常に押されてしまって、
また自転車操業が始まっていくようです。

日の下の不二の子なるぞ倒るまで

2009年12月31日 | わが家の時時
強い季節風が吹き続きました。
身の回りをきれいにするには適しませんでしたが、
歳神さまを気持ちよくお迎えするために一日を使いました。

夕焼けがきれいだなと西に目をやると、
下の方に黒い三角形の影がみえます。
わが家からも富士山(たぶん)がみえるのかと、
すこし厳かな気持ちになりました。

そういえば、わが家のこの一年は万事が無事の一年でした。
子供たちも育ち、みな健康で、一生懸命稼ぎ、
なぜかメディアにも取り上げられることが続きました。

そうそうこういう年が続くわけがないと思いながらも
また来年もお願いしますと。

崩す日に積みし日のこと思わんや

2009年12月26日 | わが家の時時
写真は先日積み上げたナシの薪。

15年前にわが家のひい爺さんがなくなった際に
「木小屋いっぱいの薪を残して旅立ちました」と
喪中挨拶を書いたことを思い出しました。

その薪の一部は15年たってもまだ残っています。
風呂に、ストーブにとどんどん使っても、
毎年、毎年、次々に新しい薪が作られますから、
いつも木小屋は薪がいっぱい詰まっています。

来年はナシ以外に切り倒さねばならないカシの大木があり、
また、薪にしなければ申し訳ありますまい。
今年積んだ薪が使われる日はいつになるか、
積んだ人が使えるとは限りません。