自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

時間は待ってくれる?

2017年03月24日 | うた
3月20日にNHKのBSで小田和正をとりあげていました。「100年インタビュー」というシリーズです。私はいくつかの面で小田和正が好きですが(2013年2015年)、この番組はそうした思いに答えるところがあり、とても納得が行き、心に響くものでした。私にとって印象的なことがふたつありました。
 ひとつは「感覚のあう人とつながることの大切さ」ということです。若い人は知らないと思いますが、1970年代にフォークソングがはやってコンサートがよくあったのですが、そこでは気に入らないアーティストが出てくると「帰れ!」と叫び声があがりました。そして「軟弱だ!」といったヤジが飛んだのです。ひどい話ですが、当時の若者は歌には「人生が投影されるべき」などと本気で思っていて、ただ恋情を歌うだけの歌は「軟弱だ」というのです。小田のいたオフコースはそう批判されたのです。別の機会に小田は自分の心に正直な歌を作ったといっています。今回小田が言っていたのは、「同じ歌が聴く人によって違い、オレと同じ感覚を持っている人の心に届くことを信じて作った。そういう人とのつながりを大切にする」という意味のことでした。好きな人への素直な気持ちを表現することは「軟弱」であるかないかといった基準で評価されるべきものでないにもかかわらず、粗雑な精神の持ち主にはその思いは伝わらないということです。そうした時代の空気の中でも、自分の作るものは売れる、売れないにかかわらず、いつわりはないのだ、そうであれば、数は少なくとも、あるいは声は小さくでも、その歌の心を理解する人は必ずいるという確信があったということでしょう(これについてはこちら)。私はとくに若い人向けの本を書くとき、同じ気持ちをもって文章に向かって来たので、たいへん得心のいくことでした。
 もうひとつは、自分が本気でやりたいことをやっていれば時間は必ず待ってくれるということばです。これは50歳代では決して感覚としてわからないことだと思います。小田は69歳、私より2歳上で、だいたい同世代です。人生をカウントダウンすると感じるようになった者にしかわからない感覚として、たとえば「あと何回春を迎えられるだろうか」というのがあります。時間は限られている、「あれもやりたい、これもやりたい」という気持ちでいれば、焦り、時間が惜しいと思うでしょう。しかし冷静に考えて、やりたいことに限りはないし、人生には限りがあるのだから、それはきりのないことです。小田のことばでわかったのは、彼はやりたいことを本気でやってきて、いわば今死んでも悔いはないという気持ちでいるということです。このことを自分に重ねて考えると、私は動植物のことをみて、理解したいと思って生きてきたし、その努力を惜しまなかったという感じあります。大仕事をしたかどうかではなく、自分に与えられた才能と時間を懸命にそちらに向ける努力はしてきた、という意味で。もちろんやり残したことはたくさんありますが、今でもそちらを向いて毎日を過ごしています。
 このふたつはとても腑に落ちることで、それを聞けただけで番組をみた甲斐がありました。ただ、大きなところで私の中に疑問というか謎のようなものがモワッと湧いてもいます。そのうち文章にしたいと思いますが、今は形になりません。


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