今年一番望むのは「あいかわらず」の平凡な日々が続いてほしいということです。そのことははなはだ心もとないとも思います。政権は、ことの重大性をどれほど理解しているのか(しているとは思えない)、深刻な決定を国会にかけることもしないで決めています。議論する能力がないため、適不適がわからず、内容の検討を避けて内輪で決めてしまいます。政治を司るものが、自分の主張を持たず、「説明は控えます」と空虚な言葉を繰り返すような国がどこにあるだろうか。私は改憲さえしかねないと懸念しています。今日、北陸で大地震がありましたが、原発が多いところで、事故が起きはしないか、本当に心配です。これだけ地震の多い国で、この上なく危険な原発をなぜ再稼働するのか。これも納得できる説明をしません。暗澹たる気持ちになります。そういう心配がリアリティを持つだけに「あいかわらず」の保持を余計に強う望みます。
分析と執筆、それにスケッチをする「あいかわらず」の毎日を続けながら、玉川上水の観察や保全活動をし、アファンの森や乙女高原に行ければ他に望むことはありません。
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