リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

久松十郎左衛門(2)

2013年10月17日 12時11分14秒 | 音楽系
その後私もそこそこリュートを弾くようになり、岡田龍之介さんとも何度もアンサンブルをする機会を持つことができました。岡田さんと一緒のあるコンサートの打ち上げの時にふとしたことから小野萬里さんの話が出てきました。聞くと岡田さんは小野さんと一緒にムジカ・レセルヴァータというアンサンブルを組んでいるとおっしゃる。その後名古屋でも何回かそのアンサンブルのコンサートがありましたが、なかなか都合がつかずコンサートに行くことができませんでした。

しかしながら機が熟し?昨年の10月についにコンサートに行くことができ、終演後お会いしてお話をすることができました。もちろん小野さんにとっては初対面です。でも40年以上たっても私にとっては憧れのお姫様です。いろいろお話を伺ってとても感慨深いものがありました。その話の終わりの方に、ひいおじい様が桑名出身だということを伺いました。苗字を訪ねると久松とおっしゃる。

家に帰って文政八年(1825年)制作の桑名市のお侍住宅地図で調べてみました。あの桑名日記の渡邉平太夫の住宅も記載されている地図です。久松姓の屋敷は二軒、久松丹下と久松十郎左衛門です。二つのお屋敷は二軒おいて隣同士、桑名城の堀のすぐ近く、今の立教小学校体育館の道をはさんだ西側あたりです。とても大きな区画ですので、桑名藩の有力者であったと思われます。ちなみに私の町内にある下級武士渡邊平太夫宅の数倍から10倍くらいはある敷地です。



それで日曜日のムジカ・レセルヴァータ名古屋公演終了後小野さんに久松氏のフルネームを伺いましたら、久松十郎左衛門とおっしゃる。戊辰戦争のとき幕府方について負け組になってしまった桑名藩の有力者の多くは桑名の地を離れてしまいました。もしもあのとき桑名藩が新政府方についていたら、小野さんのご先祖は桑名に留まり、小野さんとは中学生のころにお会いしていたかも。そこは校区ですから。(笑)ちなみになんの因果か、私の中学校の同級生のお家が何を隠そうこの久松十郎左衛門のお屋敷の跡地にありました。うーむなんか因縁めいたものを感じますなぁ。(笑)