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リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

音楽を始めたころ (1)

2005年05月13日 04時00分50秒 | 随想
 小学校に入って間もない頃、どういう因果か私はヴァイオリンを習うことになった。当時のわが家は極貧ではないにしても決して豊かではなく、ヴァイオリンを習うということとはおよそかけ離れた家庭環境だ。そんな家の子供がなぜヴァイオリンなのかというと、父親が若いころアマチュア楽団に入っていて、少しヴァイオリンをかじったことがあり、あるとき思いついて自分の子供に弾かせてみようと思い立ったようである。もとより、深いクラシック音楽の素養があるわけでもなく、父親のヴァイオリンは我流だったが、マンツーマンのレッスンは2年近く続いたように思う。レッスンといってもピアノの伴奏があるわけではなく、ホーマンという名前の教則本を順番に弾いていっただけだが、このときに覚えた読譜法は、後にギターを始めようとする際の敷居を驚くほど低くした。よく子供がやりがちなのは、音符を見て頭の中でドレミを言いながら弾く方法だが、私が身につけたのは、一定幅のアイ・スパンで少し先の楽譜を見ながら弾いていき、音符を図形的に見て楽器のポジションと対照していく方法だ。この方法は父親が教えてくれたと思っていたのだが、後日そうではないことがわかったので、何かの偶然で身につけたもののようだ。この頃ピアノ伴奏をきちんとつけて練習していれば、絶対音感を身につけたかも知れないが、それはなかった。ただ、440より少し低いDの音だけは覚えているので、その音はその頃に覚えたのかも知れない。古楽をするには絶対音感はかえってじゃまになることもあるので、それはそれでかえってよかったのかも知れない。

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