私の家は特に教育熱心であったわけではありませんが、今から思うと周りの環境の影響を受けてかなりよかったのではという感じがしています。
お隣さんはお医者さんで自分の子供にヴァイオリンを習わせるなどなかなか教育熱心なお家でした。お隣さんの息子さんは私よりひとつ上で小さい頃からよく一緒に遊んでいました。私が6歳になった頃、その息子さんがヴァイオリンを習い始めたという話を聞いて父親が急に私にヴァイオリンを習わせました。
私の父親は陸軍に招集、満州に派兵、そして戦後シベリアに抑留されて強制労働に就いていました。収容所では当然厳しい環境に置かれていましたが、そこで楽団が編成されることもあったようで、そこでヴァイオリンやギターを弾いていました。そんな父親がお隣さんに影響されて自分の息子にヴァイオリンを習わそうと思い立ったのです。
もちろんお隣さんはきちんとした先生についていたのだと思いますが、息子さんはなかなかうまく弾けずすぐレッスンを止めてしまったようです。私は父親の我流レッスンでその後3年くらい毎日楽器を弾いていました。
このレッスンは私の音楽的な基礎を形作ったと言っても過言ではありません。途中で止めてしまったとは言え、楽譜の読み方、弦楽器の左手の使い方そしてナンチャッテ絶対音感を身に付けたのはこの時期です。ある意味当時としてはどっかのお金持ちのボンボンクラスの環境であったかも知れません。
ただボンボンの家庭と違うのは、私が壁にぶつかって楽器を弾こうとしなかったら父親もあっさり教えるのを止めてしまったことです。シロウトなのでその壁を乗り越える方法を教えることができなかったのか、もう教えるのに飽きてしまったのか。ボンボンの家の子だったら多分親が無理矢理継続させようとしたと思います。
それ以降私はヴァイオリンに向うことはありませんでしたが、根が音楽好きでしたから結局音楽に向かいその数年後にギターさらにその数年後にはリュートを弾くことになります。