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『地下室の手記』(読書メモ)

ドストエフスキー(安岡治子訳)『地下室の手記』光文社

これはとても暗い小説である。と同時に、深い小説でもある。

うだつのあがらない元役人の主人公は40歳。世間を呪い、自宅にひきこもる。友人たちとの関係もうまくいかず、心を寄せてくる女性も拒否してしまう。

本書はI部「地下室」とII部「ぼた雪に寄せて」から構成されていて、I部では、「理性」を持って常識的に生きることに疑問を呈し、「自分」を大事にすることを訴えている。この部分は共感できた。

しかし、II部に入ると、その「自分」が強すぎて社会に適応できない主人公が描かれる。主人公の性格が悪いために、まったく共感できない。訳者の安岡さんも「あとがき」で次のように述べているくらいだ。

「自意識過剰で猜疑心が強く、嫉妬深くて気も弱いくせにプライドだけは人一倍高く、人とつき合うにしても、相手を愛することはできずただ独占欲が強くて暴君のように振る舞うだけという、どこから見ても人好きのしないまぎれもないアンチヒーローとつき合うのは、訳者としても本当にしんどかった」(p. 283)

読者としても本当にしんどかったのだが、主人公が売春婦と語る部分でぐっときた。

俺は駄目なんだ…なれないんだよ…善良には!」(p.248)

本書は(極端ではあるけれど)善良になりたいのに善良になれない人間を描いた名作だと思った。



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10年間の基礎体力づくり

小説家の北方謙三さんは、22歳で純文学作家デビューするものの、その後10年間は、小説を100本書いて、掲載されたのは3本だけだったらしい。

あるとき、若手編集者から「あなたはこんな暗い話を書いている場合じゃない」とエンターテイメント小説をすすめられる。

それからは水を得た魚のようにヒット作を連発することに。アドバイスしてくれる人も大切だが、受け入れた北方さんも偉いと思った。

ところで、純文学を書いていた10年間はムダだったのか?

実は、10年間、純文学を書き続けたことで「月に千枚書いても文章が乱れなくなった」という。

つまり、初めの10年は小説家としての基礎体力作りの期間だったのだ。

一見ムダな経験も、その人を創り上げる働きをしていることがわかった。

出所:日本経済新聞2019年6月30日, p. 23.(中野稔「一途な青春 はるかなり」)



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『タンゴ・レッスン』(映画メモ)


『タンゴ・レッスン』(1997年、サリー・ポッター監督)

サリー・ポッター監督自らが主演し、自身の経験を映画化したもの。白黒映像、音楽、ストーリーがマッチしており、渋い映画に仕上がっている。

映画監督のサリーは、パリで出会ったダンサー・パブロのタンゴを観て、映画化を思いつく。パブロにタンゴのレッスンを受けるようになったサリーの中に恋心が芽生えるものの、そう簡単に関係が発展することはない。いろいろな葛藤を経て、次第に二人の距離が縮まっていくというストーリー。

印象に残ったのは、次のセリフ。

サリー「なぜタンゴを選んだの?」
パブロ「タンゴに選ばれたのだ

また、二人がケンカしたときのサリーの言葉も良かった。

「あなたの唯一の関心は自分が見られることよ。だから(他人が)見えないの」

さらに、タクシー運転手もいいこと言ってた。

「一生懸命生きろ。苦しめばタンゴが理解できる

と、名ゼリフもたくさんある、かっこいい映画だった。ピアソラのリベルタンゴも良かった。













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体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです

体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです
(コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章22節)

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『わたしのグランパ』(読書メモ)


筒井康隆『わたしのグランパ』文春文庫

『家族八景』や『七瀬ふたたび』が好きだったので、ひさしぶりに筒井康隆を読んだ。

中学生の珠子の家に、刑務所帰りの祖父・謙三がやってくる。しかし、この人、ただの老人ではなく、おしゃれで、頭が切れて、度胸のあるスーパーおじいちゃんなのだ。

珠子へのいじめや、地上げ屋による嫌がらせを次々と解決する謙三の活躍ストーリーはスピーディ。

ライトノベルのような軽さはあるが、映画「ボーンシリーズ」のようなスカッと感があり満足した。

ただし、ラストは余計だったような気がする…



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『禅』(映画メモ)

『禅』(2008年、高橋伴明監督)

先日『典座教訓』を読んだので、道元の生涯を描いた映画を観てみた。主役の中村勘九郎が道元と一体化している、迫力のある作品だった。

中国(宗)に留学し、帰ってきた道元(中村勘九郎)は、さまざまな経験を経て、「良いとか悪いとかを考えるのではなく、あるがままの真実を見ることこそ、悟りである」ことを理解する。

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」という道元の歌が心に響く。

典座教訓の中に出てきた「三心」(喜心、老心、大心)の話しも腹に落ちた。

なにごとも喜び、ひとのことを思いやり、大きな気持ちでいる」生き方こそ、あるがままを大切にする「禅」につながるのだ。

あまり期待していなかったが、感動する映画だった。










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怒りの手紙

リンカーン大統領は、優れたEI(感情的知性:emotional intelligence)の持ち主だったらしい。

その一つの例が「怒りのコントロール」。歴史家のグッドウィン氏は、次のように述べている。

「同僚に激しい怒りを感じた時、リンカーンはそれを残らず吐き出すために、「怒りの手紙」をしたためた。そして、気持ちが落ち着いて冷静に判断を下せるようになるまで、その手紙を手元に置いておいた。20世紀初頭にリンカーン関連の書類が公開されると、裏面に「署名も発送もしていない」と注記のあるこの種の手紙が歴史家によって大量に発掘された」(p. 14)

アンガーマネジメントが出来ないために失敗するリーダーは多い。「密かに怒りを吐き出すこと」は、感情をコントロールする上で大事だと思った。

出所:ドリス・カーンズ・グッドウィン「リンカーン大統領に学ぶリーダーシップの神髄」ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー2019年7月号, p. 6-19.


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