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『老年について』(読書メモ)

キケロー(中務哲郎訳)『老年について』岩波文庫

最近、老いを感じ始めているので読んでみた。

古代ローマの政治家であり哲学者でもあったキケローが、老後の生活について書いたもの。出版はなんと紀元前44年である。

ちなみに、本書は、政治家の大カトーが若者に語りかけるという設定になっている。

「人生の行程は定まっている。自然の道は一本で、しかも折り返しがない。そして人生の各部分にはそれぞれの時にふさわしい性質が与えられている。少年のひ弱さ、若者の覇気、早安定期にある者の重厚さ、老年期の円熟、いずれもその時に取り入れなければならない自然の恵みのようなものを持っているのだ」(p.37)

この箇所を読み、「それぞれの年代に、それぞれの四季がある」という吉田松陰の言葉を思いだした(『留魂録』)。

では、老年期の円熟とは何か。

「老年にとって、いわば肉欲や野望や争いや敵意やあらゆる欲望への服役期間が満了して、心が自足している、いわゆる心が自分自身と共に生きる、というのは何と価値あることか。まことに、研究や学問という糧のようなものが幾らかでもあれば、暇のある老年ほど喜ばしいものはないのだ」(p.49-50)

野心から解放されて自分自身と共に生きることができれば、素晴らしいことだと思った。ただし、何らかの「糧」が必要となる。それを持っているかどうかがポイントかもしれない。

さらにキケローはいう。

「もしどなたか神様が、この歳から赤子に返り、揺り籠で泣くことを許してくださるとしても、きっぱりと断るだろう。言うならば、折角コースを走り終えたのに、ゴールから出発点へと呼び戻されるようなことはまっぴらだ」(p.76)

この考えには共感できた。ただし、人生というコースをどのように走ってきたかによるだろう。

本書を読み、充実した老年を生きるには、世間から解放されて自分を生きることができるかどうかが鍵となると思った。
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