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本社と現場をつなぐ

本社と現場が離れてしまうと、モノが売れなくなる。ロフトでも同じことが起こっていたという。

データ重視の品ぞろえにより、売れる商品を中心に取り扱うようになった結果、現場のこだわりが消え、売り場の魅力が失われていったらしい。4年前のことである。

ロフトが打った手は二つ。

一つは、パート社員、契約社員の雇用区分をなくし、全員を正社員にしたこと。パート社員の離職を防ぎ、現場の知恵を蓄積するためだ。ひとりひとりが「ロフト社員」として、こだわりを持った売場運営をすることを求めた。

二つめは、本部と売場をつなぐ「エディター」と呼ばれる社員を配置したこと。売場社員に商品の情報を流したり、売場社員の要望を本社に伝える「営業マン」の役割を果たす。決して強制せず、丁寧にコミュニケーションを重ねながら、売場を支援する役割を担う。

企業が顧客を見ていないと、顧客は企業から離れていってしまう。「現場と本社の距離」を縮めることが、「顧客との距離」を縮めることにつながる、と感じた。

出所:「ロフト 正社員でこそ売り場は輝く」日経ビジネス2009年2月16日号、p.46-50.
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人から出るもの、これが、人を汚すのです

『人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出てくるものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そして、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。』
(マルコの福音書7章20-23節)
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『松下幸之助 夢を育てる:私の履歴書』(読書メモ)

松下幸之助『夢を育てる:私の履歴書』日経ビジネス人文庫

松下幸之助氏の自伝を読んで驚いたのは、氏の生命力である。体力とか精神力という言葉よりも、生命力といったほうがふさわしい。氏は70歳を超えたときに「どうも最近、体力が落ちてきたように思う」とおっしゃっている。ふつうは、40代、50代でつぶやく言葉だ。また、「人間、本気でやろうと思えば実現できる」という考え方が随所にみられる。

樋口廣太郎氏(アサヒビール名誉会長)がまだ住友銀行におられたころのエピソードが巻末で紹介されているが、これを読むと、幸之助氏は、80歳で相談役に退かれてからも、実質的な決定権を握っておられたようだ。94歳で亡くなるまで、精力的に働かれていたのだろう。

もうひとつ心に残ったのは「自己観照」という言葉。自己観照とは、自分を客観的に見て、素直な気持ちで物事を判断・実施すること、のようだ。幸之助氏は、次のように語っている。

「会社の経営でも何でも、素直な心で見るということがきわめて大事であると思う。そうすれば、事をやっていいか悪いかの判断というものは、おのずとついてくる。岡目八目というけれど、渦中にいる自分にはなかなか自分というものが分からない。だから意地になってみたり、何かにとらわれたりして、知らず知らずのうちに判断を誤ってしまう。やはり自己観照ということが大事である。」(p.117-119)

自分を客観的に見る能力は、認知心理学でいう「メタ認知」にあたり、物事に熟達した人は、この能力が高いといわれている。

素直な気持ちで物事を見る力は、物事の本質をとらえる力でもある。しかし、いろいろな欲やしがらみがあるため、素直に見ることが難しい。幸之助氏の成功は、自己観照ができていたためである、と感じた。
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思いの共有

日経ビジネスに、京セラ名誉会長の稲盛和夫さんの記事が載っていた。「日本的経営とは何か?」というテーマだが、稲盛さんの答えは「思いの共有」である。

不景気を乗り越えて会社を発展させるためには「経営者が自らの意志を強く持ち、その思いを周囲にしっかりと伝えていくしか方法はありません」と主張している。

また、過去を振り返り、次のように述べている。

「私が京都セラミックという中小零細企業を始めた頃、技術もなければお金もないという時、何が頼りになったかと言えば、やはり一緒に働く従業員の心や意識です。経営している私と同じ方向に向いてくれていることが、一番大事でした」。

先日紹介した、セコムの飯田氏による「経営者のメッセージが組織の活力を生む」という考え方と似ている。

「思いを共有」するためには

・リーダーが強い思いを持ち
・それを伝え
・メンバーがそれに共感すること

が必要になる。

僕は現在、人材育成の上手な看護師長さんのインタビューをしているが、彼女達はまさに、これら3つを実践している。つまり、師長が「うちの病棟をこうしたい」という強い意志を持ち、それをスタッフに伝え、スタッフがそれに共感している職場では、人がよく育ち、看護の質も高いのである。

このように考えると、日本企業も海外の企業も大きな違いはない。思いの「伝え方」「共感の仕方」が、国や組織や個人によって異なるのだろう。いわゆる日本的経営とは、あうんの呼吸で思いを伝え、共感できていた時代の経営スタイルを指していると思われる。

これら3つの要素をしっかりと実施することが、会社や職場を活性化するための鍵になる、といえるかもしれない。

出所:稲盛和夫『「思い」をもっと伝えよ』日経ビジネス2009年10月5日号、p.114-117.
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日本語脳を活用する

英語はグローバル社会で競争する重要なツールである。日本人しか使わない日本語という言語を使っている私たちは「不利な立場に置かれている」と思うこともあった。しかし、それはどうも違うようだ。

アメリカで教育を受け、プリンストン大学やミシガン大学で日本近代文学を教えてきた水村美苗氏は、次のように語っている。

「日本は数多くの傑作を含め、世界でも稀に見る豊かな文学と歴史を持つ国語があるにもかかわらず、自分が恵まれていることを知らず、世界的視野で日本語を見ていない。だから、国語を大切にしようという問題意識もない。」

「日本語を読むということを通じて、私たちは英語の脳とは別の脳を持っているとも言える。ですから、それをきっちり作動させなくなることは、人類が貧しくなる、退化することを意味するわけです。」

なるほど、と思った。

言語と思考がつながっていることを考えると、私たちは英語脳とは違う日本語脳を持っている。日本語脳は、英語の世界の人々とは違う発想・発明を生む可能性を秘めているわけだ。

「当たり前と思っていたけど、実は凄いもの」を持っていることを自覚することは大切である。これからは「日本語で発想して、英語で伝える」ことが求められているのかもしれない。

出所:水村美苗『国語こそ競争力の源』日経ビジネス2009年9月21日号、p.106-108.
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私たちを母の胎内に形造られた方は

『私たちを母の胎内に形造られた方は、ただひとりではないか。』
(ヨブ記31章15節)
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『死をどう生きたか』(読書メモ)

日野原重明『死をどう生きたか:私の心に残る人々』中公新書

聖路加国際病院理事長の日野原先生が、心に残った人々の最期の様子を記録したものである。ここに登場するのは、有名な作曲家、哲学者、プロ野球オーナー、画家、人間国宝、外交官夫人など、いわゆるVIPやセレブの方々ばかり。

著名な人だけあって、それぞれ、こだわりの生き方をされていて「さすが」と思った。しかし、本書を読んで一番印象に残ったのは、最初に紹介されている、名もない十六歳の少女の記録。昭和12年、日野原先生が大学を卒業して京都大学の医局に入ったばかりの出来事である。

小学校を出てすぐに工場で女工として働いていた少女は、結核にかかり入院していた。治療の術がなく、みるみる痩せていく少女は、ある日曜日、容体が急変する。彼女は次のように語ったという。

「先生、どうも長いあいだお世話になりました。日曜日にも先生にきていただいてすみません。でも今日は、すっかりくたびれてしまいました」といって、しばらく間をおいたのち、またこうつづけた。「私は、もうこれで死んでゆくような気がします。お母さんには会えないと思います」と。そうして、そのあとしばらく眼を閉じていたが、また眼を開いてこういった。「先生、お母さんには心配をかけつづけで、申し訳なく思っていますので、先生からお母さんに、よろしく伝えてください。」彼女は私にこう頼み、私に向かって合掌した。(p.9)

本書に出てくるVIPの方々は、世の中に未練がある様子がうかがえたのに対し、この少女は、静かに自分の運命を受け入れ、母親と担当医に感謝している。死に際して、これほどの強さを持つことができるだろうか。

人間の本質は、最期の時をどうすごすかにあらわれる、と感じた。
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