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サービス・スクリプト

昨日の授業では、サービス・スクリプトを学習した。

サービススクリプトとは、サービスがデリバリー(提供)される際の台本のようなもの。

例えば居酒屋の場合、「店に入る→座席に案内される→店の雰囲気を感じる→メニューを見る→注文する→おしゃべりをする→注文したものが来る→追加注文する→トイレに立つ→会計をする」のように表現できる。

前回勉強した「サービス・エンカウンター」を時間の流れに沿って並べたものである。このツールは「顧客満足を左右するクリティカルなエンカウンターは何か」を見極めて、フロントステージとバックステージのマネジメントを考える上で役に立つ。

サービスマーケティング研究者のフィスクらは、サービス組織を「劇場」に例えているが、まさにピッタリのメタファーだ。役者(従業員)を活かし、観客(顧客)が楽しめる舞台をつくる舞台監督(管理者)の役割が大切になる。

今回の演習では居酒屋のスクリプトの中で、どこがクリティカルなエンカウンターかを考えてもらった。発表した3チームに共通していたのは「追加注文のスムーズさ」。ここが居酒屋サービスの肝かもしれない。

なお、女性のチームは「店や座席の雰囲気」を重視し、男性チームは「食事のボリューム」を気にする傾向があった。店のターゲットに合わせてエンカウンターをマネジメントできるかどうかが勝負の分かれ目になるのだろう。
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忙しさが学習を阻害する

忙しすぎると学習が阻害されることもあるようだ。

トヨタグループのジェイテクトは、自動車部品加工用の工作機械を生産するメーカーだが、好況がかえってあだとなり、生産改革が二の次になっていた、という。つまり、トヨタ最優先で仕事に追われ、生産性を向上させる時間がなかったのである。

しかし、不況になってトヨタの販売台数が減少すると、受注量が激減してしまった。同工場では、こうした逆境を機会として、生産プロセスを見直し、不況に強い筋肉質の工場づくりをしている。

まず手がけたのは、一台ごとに部品を組み立てるセル生産方式を見直し、工程管理がしやすい総組立ラインを立ち上げた。これにより、組み立て日数が半分に短縮したらしい。

また、顧客の細かい要求に応じる受注生産を進化させ「パターンオーダー制」を導入した。例えば、マシニングセンター(MC)を設計する際、12の部品について、顧客が選べる部品をそれぞれ30項目用意し、これらの組み合わせで最適な工作機械を選べるようにした。

いわゆるマスカスタマイぜーションである。これにより、納期は従来の六分の一に短縮し、部品の共通化・標準化率も1割アップしたという。

さらに、あらゆる工程に精通した多能工を、現在の2割から5割に引き上げるために研修中である。

職場における学習を促進するためには、「学習のための時間」を確保する必要がある。景気がいいときには、目の前の仕事に追われて、新たなノウハウを獲得するための時間を確保できないことが多いので注意しなければならない。業績は好調だが、企業能力は高まっていないという状況である。

不況でヒマになってしまった今、たっぷりある時間をどのように使うかによって、将来の業績が左右されるといえる。

出所:日経産業新聞2009.4.30
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強くあれ、雄雄しくあれ

『強くあれ、雄雄しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。』
(ヨシュア記1章9節)
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コスト削減のコスト削減

製造業におけるコスト削減策の一つがロボットによる省力化

日産の追浜工場では、ロボットの導入や工程の見直しにより、3000人必要だった正社員が2000人になり、自動車一台あたりのコストは23%低下し、生産性は45%向上したという。

しかし、ロボットを導入するにもコストがかかる。同工場がすごいところは、なるべくお金をかけずに自動化・省力化に成功した点だ。本田工場長は次のように語っている。

「バブル期には組立工程で一人減らすのに、3千万円のロボットを導入した。今はその十分の一で実現しないと意味がない。」

同工場が着目したのは、部品を入れた箱をコンピューター制御のAGV(無人搬送車)で組み立てラインの隣まで運ぶ「からくり搬送」と呼ばれるもの。一台140万円程度のAGV以外は手作りだ。この3年間で400台のAGVを導入したという。

ちなみに、からくり搬送は、クボタの堺製造所を視察して学んだもの。他社のベストプラクティスから学ぶベンチマーキングである。

コストを削減するにもコストがかかる。追浜工場の事例は、このコストを、従業員の創意工夫と外部から貪欲に学ぶ姿勢によって削減している良い例だ。

これからは「コスト削減に要するコストの削減策」にも敏感になる必要がある、と思った。

出所:日経産業新聞2009.4.27
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『花咲ける上方武士道』(読書メモ)

司馬遼太郎『花咲ける上方武士道』(中公文庫)

ゴールデンウィークの休みに寝っころがりながら読んだのがこの小説。

司馬遼太郎が『梟の城』で直木賞を受賞した後、昭和35年頃に書かれた作品なので、娯楽性が高く、講談本に近い。

時代は武士の世の中が終わろうとしている幕末。密命をおびた公家である高野則近が、変な大阪侍や忍者につきそわれ、京から江戸へ旅する珍道中が面白い。

ちなみに則近は、右近衛少将という位にあるえらい人なのだが(お金はない)、剣の達人で、あまり公家っぽくない人。しかし、ときどき自分のことを「麿(まろ)」と言ったりするのでやっぱり公家。

「剣の達人、偉い人、お忍び」という設定は、「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」と共通するところがある。幕府おかかえの忍者との戦いなどもふんだんに盛り込まれている。

後に書かれる「竜馬がゆく」や「燃えよ剣」などの幕末モノにあるような緊迫感や悲壮感はなく、おもいっきり肩の力が抜けた作品だ。

ただ、「座敷牢」である京都に300年間閉じ込められていた公家の目から、崩壊していく幕末の世を描写しているところは、さすが司馬遼太郎。

山本周五郎もそうだが、だんだん有名になると、面白おかしい小説から「小難しい小説」を書くようになるんだな、と感じた。晩年の司馬遼太郎は「日本とは」とか「国家とは何か」を語る文化論者になってしまったような気がする(それはそれで凄いと思うけど)。

最近、本を読むときに「この本のメッセージは何か」を考えながら読んでいる自分に気づくが、小説の原点は、やはり単純な面白さやスピード感だと思った。
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賞の副作用

つみきのいえ」で米短編アカデミー賞を受賞した加藤久仁生氏のインタビュー記事を読んだ。ビッグタイトルを獲得した加藤氏が次のように語っているのが心に残った。

「今一番心配しているのは、アカデミー賞受賞という事実が独り歩きしてしまっていることです。賞を狙ってアニメーションを作っているのではありません。賞はおまけみたいなもので、タイミングとか様々な要件が合って受賞できるものだと考えています。」

「次の作品でも賞を取ることを期待されているとすれば、その期待とは距離を置きたい。自分はその時々で表現したいものを形作っていければいいと思っています。」

同じくアカデミー賞をとった本木さんが「自分のイメージする自分の役割からはみだしている」と言っていたが、加藤さんも「賞」が持つ怖さを実感しているのだろう。

「賞」という他者からの評価は、自信につながるし、知名度が高まることで世界が広がるというポジティブな面がある。

その一方で、自信過剰になったり、安心しすぎたり、過度なプレッシャーにより自分を見失ったりするという副作用もあるのだろう。

成功すればするほど、自分が表現したいことを表現することは難しくなるのかもしれない。そういう意味では、宮崎駿さんや手塚治虫さんは凄い人たちである。

出所:加藤久仁生氏「オスカーに負けたくない」日経ビジネス2009年5月4日号82-84p
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遠く離れてはおられません

『神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません』
(使徒の働き17章27節)
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『ほんまにオレはアホやろか』(読書メモ)

水木しげる著『ほんまにオレはアホやろか』新潮文庫

ゲゲゲの鬼太郎でおなじみの水木しげる氏の自伝である。

水木さんは、子供の頃からマイペース。「こいつあ、アホとちゃうか」と言われながら、勉強はそっちのけで、昆虫や貝殻を集めたり、近所のおばあさんから妖怪や伝説を聞くのに夢中だったらしい。

大人になっても自分のペースを曲げることなく、軍隊に入っても「水木ウェイ」を変えないところがすごい。

しかし、後年、紙芝居や貸本マンガを描くようになると、その日一日を乗り切るのに精いっぱいの毎日が続く。次の言葉が印象的である。

「そのころのぼくをささえていたのは、ただ、自信だけだった。作品の自信ではない。生きることの自信だった。しかし、これには悲壮感はなかった。むしろ「絶対に生かされる」という楽天的な信念だった。」

この本を読んで感じたことが二つある。

一つは、ゲゲゲの鬼太郎をはじめとした妖怪ものの漫画を描くようになったのは、水木さんが40歳近くなってからであること。あれほど妖怪が好きであったのに、それを仕事にするのは、意外にも遅かった

二つ目は、水木さんは、暇ができると美術学校に通っていたこと。現在の武蔵野美術大学の前身である武蔵野美術学校でも学んでいる。どの学校も中退してしまうのだが、常に美術を学び続ける姿勢が現在の水木さんを作っているような気がする。

自分の関心やこだわりを大切にし、学び続ければ、その人にしかできない仕事に巡り合うことができるのかもしれない。
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