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ラーニング・ラボ

松尾睦のブログです。書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。

『賃労働と資本』(読書メモ)

2024年11月13日 | 読書メモ
カール・マルクス(長谷部文雄訳)『賃労働と資本』岩波文庫

1934年に出版された本書は、労賃がどのように決まるかという問題を扱っている。

マルクスのメッセージは次の箇所に要約される。

「生産的資本が増大すればするほど、分業と機械の使用とがますます拡大する。分業と機械の使用が拡大すればするほど、労働者の間の競争がますます拡大し、彼らの賃金がますます収縮する」(p. 87)

「(労働者は)機械と競争せねばならず、機械によって失業させられる」(p. 94)という箇所を読み、AIと競争し、AIによって失業させられそうな現代人の状況を言い当てていると思った。

また、資本主義の本質をついた次の箇所も印象的である。

「かようにして生産様式、生産手段はたえず変革され、改革されるのであり、分業はより進んだ分業を、機械の使用は機械のより進んだ使用を、大規模な作業はより大規模な作業を、必然的に生じせしめるのである」「資本に対し、何らの休息を与えないで、絶えず進め!進め!と耳語する法則である」(p. 77)

ここを読み、『共産党宣言』の中の「自分が呼び出した地下の悪魔をもう使いこなせなくなった魔法使い」(p. 50)というフレーズを思い出した。

こうした資本主義社会を変えることは難しいが、少なくとも「包摂」されないよう、意識したいと思った。


『分別と多感』(読書メモ)

2024年10月31日 | 読書メモ
ジェイン・オースティン(中野康司訳)『分別と多感』ちくま文庫

オースティンにハマってから、本作が5冊目である(ちなみに、オースティンは6冊の小説を書いている)。

舞台はイギリスの中~上流階級であるダッシュウッド家。

当主のヘンリーが亡くなった後、妻と3人の娘に財産を残すかと思いきや、先妻との間に生まれた息子(ジョン・ダッシュウッド)に遺産を相続させてしまう。

ジョンの妻ファニー(意地悪)の策略で屋敷を追い出され、こじんまりとしたコテッジに住むことになってしまったダッシュウッド婦人と3人の娘たち。

3人娘のなかでも、何事にも冷静沈着で分析的なエリナー(長女)と、情熱的で感情のままにふるまうマリアン(次女)の恋物語が描かれているのが本作である。

右脳(感情)左脳(分析)のせめぎ合いが面白い(左脳が優勢)。

エリナーとマリアンともども恋の相手がいるわけだが、ゴタゴタしながらも、まるく収まるのがオースティンの「朝ドラ的小説」。

そのゴタゴタが魅力の一つである。

本作を読み、どんな人でも、ゴタゴタを乗り越えて成長していくものだな、と感じた。


『ジャン=ジャック・ルソー』(読書メモ)

2024年10月17日 | 読書メモ
桑瀬章二郎『ジャン=ジャック・ルソー:「いま、ここ」を問い直す』講談社現代新書

『社会契約論』や『エミール』で有名な思想家ルソー(1712- 1778年)の評伝。

時計職人の子供としてスイス・ジュネーブに生まれたルソーは父親に捨てられた後、彫刻師の徒弟を辞めて16歳で放浪し、ヴァランス男爵夫人の家に暮らすようになる。

一番驚いたのは、多方面で活躍し、その後の学問に大きな影響を与えたルソーは、ほぼ独学(読書)だったこと。

もう一つ驚いたのは、「人間や教育はどうあるべきか」について高邁な思想を発表していたルソーが、自分の子供5人の養育を拒否し、孤児院に入れていたこと。

かなり勝手な人である。

ただ、死ぬまで、さまざまな分野でオリジナリティのある理論を生み出し続けたルソーはまぎれもなく天才だろう。

本書は、著者の「ルソー愛」が満ち溢れていて、ルソーの本を読みたくなった。






『ノーサンガー・アビー』(読書メモ)

2024年10月03日 | 読書メモ
ジェイン・オースティン『ノーサンガー・アビー』ちくま文庫

これでジェイン・オースティンもの4冊目であるが、読み始めて「エッ、これ本当にジェイン・オースティンが書いたの?」と思ってしまった。

なぜなら、書きっぷりがなんとなく洗練されていないから。やたらと、著者のナレーションが入っているのも不自然である。

良く調べたら、本作はジェイン・オースティンの(実質的)1作目の作品であることが判明。

「ジェイン・オースティンでも、駆け出しのころは未熟だったんだ」と少し身近に感じた。

なお、ノーサンガーとは地名のことで、アビーとは元修道院だった屋敷を指す。

中の上の家庭に属する、17歳少女キャサリンが主人公。真っすぐで素直な性格だが、小説の読みすぎで妄想癖がある。

そんな彼女が、(当時の小説の舞台になることが多かった)アビーに滞在しているときに展開するストーリーが本作。

性格が良い好青年と出会い、いろいろな障害を乗り越えていくという点では『マンスフィールド・パーク』と似ている。

そして、癖のある人物がたくさんいて、物語を盛り上げる「朝ドラ的作り」はお決まりのパターン。

アリストテレスは『ニコマコス倫理学』の中で、「徳のある人とつきあえ」と言っているが、本作を読み、改めてそのことの大切さを感じた。

『説得』(読書メモ)

2024年09月18日 | 読書メモ
ジェイン・オースティン(中野康司訳)『説得』ちくま文庫

『マンスフィールド・パーク』を読んでから、ジェイン・オースティンにはまりつつある。

今回の舞台も、准男爵家

無駄遣いするナルシストの父親サー・ウォルター・エリオット、気位が高い長女エリザベス、すぐ感情的になる三女メアリーといった一癖ある家族に囲まれて暮らしている次女アンが主人公。

やさしく教養のあるアンは、19歳のときに、自信はあるがお金がなかった軍人ウェントワースから求婚されるが(相思相愛)、父親や、母親代わりのラッセル婦人から反対されて結婚を断念した経験がある(現在、27歳)。

そこに金持ちになったウェントワース大佐が再び現れ、アンの気持ちが揺れ動く、という物語。

オースティン作品は、狭い人間関係の中でストーリーが展開する「朝ドラ的」なところに特徴があるが、読みだしたら止まらないのは今回も一緒だった。

ただし、ストーリーが面白いだけでなく「人間(夫婦)とはどうあるべきか」を問うているところが哲学的である。

昨日書店で『分別と多感』『ノーサンガー・アビー』も買ってしまった。

『知性改善論』(読書メモ)

2024年08月29日 | 読書メモ
バールーフ・デ・スピノザ(秋保亘訳)『知性改善論』講談社学術文庫

『エチカ』に感動したので本書を読んでみたが、これまた難解だった。

「訳者解説」によると、スピノザが若かりし頃の仕事であり、未完成の書である。訳者の秋保先生いわく「本書は全体としてどのような意義を有しているのか見極めにくい、一筋縄ではいかないテキスト」らしい。

ただ、「善」に関する次の導入の部分には共感できた。

「これらすべて[の心の動揺]は、いずれにせよ、私たちがここまで語ってきた[富、名誉、快楽といった]すべてのもののように、滅びうるものを愛する場合に生じるのである。それに対して、永遠・無限なるものに対する愛は、もっぱらよろこびのみによって心を育み、しかもこのよろこびはあらゆる悲しみと無縁である。これこそが、大いに望まれるべきもの、全力を挙げて求められるべきものなのである」(p. 16)

また、スピノザは、知得を得る方法として

①伝聞(人から聞いたこと)
②行き当たりばったりの経験
③結果から原因を推測すること
本質のみを介して原因を認識すること

を挙げている。ちなみに、彼の主張は④である。

そのための方法論が述べられているのが本書。

ただ、何を言いいたいのかよくわからない箇所が多かった。たぶん、次のあたりがスピノザのメッセージであろう。

精神がもっとも完全な存在者の認識へと注意を向けるとき、言うならばそれを反照するときに、もっとも完全なものになるだろう」(p. 36)

スピノザ的な神は「自然」に近いので、人間の精神が自然に近づくことで、完全な知性を身に着けることができるということなのかな、と思った。




『マンスフィールド・パーク』(読書メモ)

2024年08月15日 | 読書メモ
ジェイン・オースティン(新井潤美・宮丸裕二訳)『マンスフィールド・パーク(上・下)』岩波文庫

1775-1817年に生きたイギリスの小説家ジェイン・オースティンの作品。

マンスフィールドとは、イギリスのノーサンプトンあたりにある架空の町。

准男爵家であるバートラム家に来た、親戚筋のフランシス・プライス(通称ファニー)が主人公。

実家が裕福ではないため、劣等感を感じながらバートラム家に居候するファニーが、優雅な従妹・従弟たち(トム、エドモンド、マライア、ジュ―リア)と交流する物語。

上下巻合わせて1000ページ近くあるのだけれども、劇的なストーリーがないにもかかわらず、朝ドラを見ているように、ついページをめくってしまうのは、オースティンらしい作品である。

ちなみに、主人公のファニーは、超内気ですぐに泣いてしまう「イジイジ・ウジウジ系の女子」であるが、人間の本質を常に見抜く力を持つ、ちょっと怖い人。

欲にまみれた世の中に惑わされない強さを持っているのだ。

ちなみに、作品の中で、屋敷に集う若者たちが演劇をする場面があり、その作品(『恋人たちの誓い』)が付録としてついているのだけれど、これが面白かった。その中の次のセリフが一番心に残った。

良心はいつだって正しいのです」(p. 422)

これを読んでも何がなんだかわからないと思うが、心にずしんときた。

われわれは、どこかで良心の声がしているにもかかわらず、さまざまな欲に負けてしまい、それを無視してしまいがちである。

しかし、その良心は常に正しいことを指摘してくれているのだ。

そうした声に耳を傾けることができるかどうかが大事なのだな、と思った。






『菊と刀』(読書メモ)

2024年08月01日 | 読書メモ
ベネディクト(角田安正訳)『菊と刀』光文社古典新訳文庫

文化人類学者であるルース・ベネディクトが、第二次世界大戦中に、米国戦時情報局の依頼を受けて書いた報告書が本書のベース。

日本は「菊の栽培にあらん限りの工夫を凝らす美的意識」を大事にする一方、「刀をあがめ武士をうやうやしく扱う」文化を持つ、という点がタイトルの意味である(p. 15)。

本書の目的は、第二次世界大戦が終結した際、あっさりと負けを認めてアメリカを受け入れ、「軍国主義」から「平和国家」に大きく舵をきった日本の「変わり身のはやさ」を分析すること。

その答えは「文化の型」にある。

欧米がキリスト教の原罪をベースにした「罪の文化」を持つのに対し、日本は世間の目を気にする「恥の文化」を持つ(p. 352-353)。

「恥は周囲の人々の批判に対する反応であり」、「日本人はだれもが自分の行いに対する世評を注視する」(p. 354-356)、「日本では、個人にかかる社会的圧力が非常に大きい」(p. 495)とベネディクトは分析する.

だから、明治維新後も、「日本人は、世界の中で尊敬を集めたい」(p. 275)という焦燥に駆られて軍事力を強化したが、もともと原理原則があったわけではないため、戦争に負けると、あっさりと方針を切り替えた日本

ベネディクトは言う。

「日本は、平和国家として出直すにあたって真に強みをそなえている。それは、ある行動方針について「あれは失敗した」と一蹴し、エネルギーを注ぎ込む経路を切り替えることができるということだ。日本人の倫理は、方針転換の倫理である」(p. 478)

印象に残ったのは次の箇所。

「現代の日本人が自分自身に対して行う攻撃的な行動はさまざまであるが、その最たるものは自殺である。日本人の物の考え方によれば、しかるべく自殺すれば、汚名はすすがれ、個人は立派な人だったという評判を取り戻せる」「日本人は自殺に対して敬意を払う。したがって、自殺は立派な、甲斐ある行為となる」(p. 264)

この点は今でも色濃く残っているように思う。

なお、本書を読んで一番驚いたのは、ベネディクトが日本を一度も訪れたことがなかったこと。米国戦時情報局が集めた大量の情報を分析し、日本からの移民にインタビューしたベネディクト。

こうしたアプローチをとったほうが、主観を交えず、客観的に分析することにつながったのかもしれない、と思った。


『道草』(読書メモ)

2024年07月18日 | 読書メモ
夏目漱石『道草』新潮文庫

漱石の自伝的な小説

そこそこの給料をもらい、社会的地位も確立している主人公「健三」が、養父母、姉、義理の父からお金を無心される様子が延々と描かれている。

さらに、気持ちがかみ合わない奥さんとの会話がてんこ盛りである。

作品全体に「ネガティブな雰囲気」が漂っていて、正直言って、あまり面白いとはいえない。

あまりに暗いので、ちょびちょび読み進めて、読了するのに半年くらいかかった。

ただ、驚いたのは、相性が良いとはいえない奥さんの気持ちや、ひねくれた自分の気性を漱石が克明に理解していたこと。

つまり、自分たちの夫婦関係を俯瞰して、客観的に小説化しているところがすごい。

こんなに赤裸々に親戚や夫婦のことを小説にしようと思った漱石の動機はなんだったのか?

そこを知りたいと思った。







『ファウスト』(読書メモ)

2024年07月03日 | 読書メモ
ゲーテ(手塚富雄訳)『ファウスト:悲劇第一部・第二部』中公文庫

巨匠ゲーテの代表作。
(第一部の冒頭にある「神様とメフィスト(悪魔)の会話」は、聖書のヨブ記を連想させる)

学者ファウストがメフィストと契約し、通常では考えられないような経験の旅に出る物語。

本書を読んでいる最中に感銘を受けたかというと、その逆で、退屈だった

なぜなら、ファウスト自身に魅力がないから。精神的な深みを感じられないし、世俗的である(美女好き)

ただ、第一部の、メフィスト(悪魔)との絡みは、まるで漫才を見ているようで面白かった。そして、純粋な少女グレートヒェンとの悲恋にはグッとくる。

しかし、第二部に入ると、わけのわからない展開が続き、「早く終わってくれ」と祈りながら読む状態。

なんだ駄作じゃないか」と思いながらラストシーンを読んでいたら、ゲーテは最後にちゃんと「オチ」を用意してくれていて「感動」である。

ファウストが世俗的である理由が分かり、「やっぱりゲーテは凄い」と思った。