みどりの野原

野原の便り

1月5日 墓参り 箸尾周辺 ウォーキング セリ カラクサケマン? セイヨウエンゴサク?

2020年01月05日 | Weblog

新年の墓参りを済ませて、広陵町周辺を歩く。

 
箸尾は交通の要衝として北へ 南へ 東へ 西へ 街道が通っている。
三輪街道もこの辺を通っていたらしい。お地蔵さんも多い。

三角屋根が目についた。なんだろう?

 
大正15年創業の織物の会社らしい。昔は大和絣や蚊帳やガーゼなどを織っておられたという。
今は織物の襖生地などを製造しておられるらしい。(ネット)
         右)後ろに見えたレンガ煙突。近づかないでいられない。
ぐるっと裏に回り、レンガ煙突のそばへ行ってみた。いい雰囲気。今は使っておられないらしい。


   街道の趣のある町屋

 
教行寺 蓮如上人の開基と言われる。摂津に始まり、田原本からここ箸尾へは承応2年移転。
箸尾御坊として寺内町を形成した。 本堂の大きさには目を見張るばかり。
写真ではわかりにくいが格式の高い5本筋塀。


    箸尾城址の碑 
箸尾城は茅の・弁財天・的場にわたるほゞ2町四方(220m)の環濠集落の平城だったとか。

 
大福寺 聖徳太子の建立と伝わるお寺。13重の塔 鎌倉時代のもの。
今は静かでこじんまりしているが、昔は東大福寺 西大福寺が存在した大寺だったよう。
今はここ、西大福寺だけが残っている。

 
ひっそりした境内を明るくしていたキミノセンリョウ
                右)奥まったところにある裏門?
教行寺や大福寺・箸尾御坊などは以前にも行っている。
(それを忘れていちいち感動しているのはいいことなのか?○○が始まっているのか?幸せなことなのか?)
教行寺・大福寺・箸尾城跡などは2017.09.26に詳しく書いた。こちら。

今日はどこと言って目的はなかったので、途中で七草でもあればいいなと思っていた。


この頃見つけにくくなっているセリを2か所で採ることができた。
ナズナとハコベも採った。洗って7日まで置いておく。

そして、野の花も少ない季節だが・・

 
パッと見で、知っているニセカラクサケマンとは花色も葉の感じも違うように思った。
カラクサケマンではないかと思った。・・が・・
帰って、帰化植物図鑑で調べようとしたが、私の頭にあるニセカラクサケマン・カラクサケマンの他にセイヨウエンゴサクというものもあるのがわかる。記述と合わせてみたが・・わからない。
図鑑の写真も間違いがあるなど混乱があるようで、同定の困難な植物のよう。

また宿題(わからないもの)ができた。宿題は楽しい。解決すれば、またブログ書き換えます。

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